7、誰のものでもない





 澄子の服を身にまとい、僕は夜の街を走った。コインパーキングに停めていた車に乗り込み、すぐさま走らせる。

 あの小汚いペットめ!

 指を食いちぎられたせいで、駐車代金を財布から取り出すのに難儀した。

 自分の部屋へと逃げ帰ると、ようやく混乱した頭が冷やされてきた。状況をまとめていく。

 監視カメラに一切映らなかったあの生き物はなんだったんだ。澄子や、その友人のアンナとかいう馴れ馴れしい女が、見えない何かに向かって話しているのはずっと謎だった。そして妙な壺。

 澄子の動向は全てカメラと盗聴器によって監視していた。自分の休みの日には澄子の部屋に入り、毛や爪や唾液や、いろいろなものを置いてきた。シフトは僕が作っていたし、スケジュール管理は容易だった。

 ココロの寂しさを埋めるために集められた雑多な物に、僕は溶け込んだ。

「そうだ、澄子と僕はずっと一緒だったじゃないか。埋め合ってきたじゃないか」

 カメラを探し出された時は焦った。もし2人がそれを思いついたその日にネット注文して、直接店頭に赴かず、そして一回も出かけなかったなら、カメラや盗聴器はバレていた。

 しかし、一度外したカメラを改めて設置しにいったところに、まさかあんなに早く澄子が帰ってくるとは。

 仕掛け直した監視カメラの映像を確認する。アンナとタヌキ女が、あの壺を覗き込んでいた。

『澄子!』

 アンナが澄子を呼び続けていた。

 澄子はあの謎の壺に吸い込まれた。

 全て失敗だった。

 前に落とした腕時計はあの壺の中だ。その回収もしたかったのに、よりにもよって指を……あの糞ペットめ!

 なんで僕ばかりがこんなに辛いのだろう。

 強い怒りが再燃してきた。

 バレた。

 血も、時計も、何より顔を見られた。

 おしまいだ……!

 こうなったのは何故なのかと考えを巡らせる。やはりあの日だ。あのおかしなセールスマンがやってきてからだ。きっとアイツは澄子に変な薬を盛ったり、催眠術をかけたりして、澄子を騙したんだ。

 澄子は僕の物なのに、僕だって、澄子の物なのに。

 これだから生き物は嫌いだ。優しいのは澄子だけだ。あのタヌキ女も、生意気にもそれに気づいていた。

 澄子、澄子、澄子、澄子、澄子、澄子、澄子。

「やっぱりおかしいよな。澄子が僕を捨てるなんてさ」

 僕は、僕のカラダを包む澄子の服を嗅いだ。

 澄子を、悲しいけど、ちゃんと壊さなきゃ————。

 僕は着替え、ありったけの刃物や鈍器を鞄に詰めた。澄子はあの壺の中だ。車のキーを手に部屋を出ていこうとする。

「お出かけですか?」

 男の声に振り返ると、なぜか辺りは真っ暗闇だった。部屋にいたはずだ。しかしいくら見回しても、暗闇。見渡す限りの闇。

「なんだ、どこだこれ……」

「ここは、置いてけ堀です」

 男の姿が浮かび上がる。安っぽいスーツに大きなビジネスリュック、漫画調の笑い口がデザインされたマスク。あの壺を持ってきた男だ。男と、僕とが闇に浮かび上がる。

 そうだ、こいつも殺さなきゃ。

「探す手間が省けた」

「一応ご確認させてください。平目さん、アナタこれから澄子さんのとこに戻るんですか? そして鞄の中のこわいもので、こわいことするんですね?」

「そうだよ。僕の手から離れた澄子を、壊さなきゃ」

「そうですか。まぁ……だからボクが来たんですがね。お客様は、守らなければなりません」

 男は左手を前に出して、ゆらゆらと動かした。手招きだった。

「おいで、おいで、おいで————」

 川のせせらぎがきこえた。一歩踏み出したところで、カラダが下に沈んで転倒した。どうやらあの男と僕の間には1本の川が流れているらしい。眼が慣れてきたのか、下を流れる黒い川や、自分がいる土手の道なんかも見えてきた。

「オイテケ」

 野太い声がした。低く、ゆっくり、その声は繰り返される。

 ぼとり——————。

 足元に何かが落ちた。

 目を凝らす。

 腕だった。

 指が欠けた、僕の腕。

 押し寄せた苦痛に叫ぶが、どういうわけか辺りは静かで、川のせせらぎだけがきこえている。

 もう片方の手も落ちた。

「オイテケ、オイテケ」

 助けて!

 次に落ちたのは、どうやら自分のアゴだった。

 僕は対岸の男を見る。笑っているように見えた。

 目の前に何かが現れた。それは逆さまになったカワウソの、巨大なカワウソに似た化け物の顔だった。

 腰が抜けて、座り込んでしまう。背もたれのように僕のカラダを支えているのは、その化け物の大きなお腹。






◆誰のものでもない



 川のせせらぎが聞こえる暗闇。

 誰かがあたしの名前を呼んでいる。

 あたし、どうしたんだっけ?

 たしか平目さんに襲われて、それで、死んだのかな?

 手足が動かない。息をしてるのかも分からない。

 アンナ、大丈夫かな。

『捨ててやる』

 誰かの声がきこえた。捨てるもなにも、あたしは誰かの物じゃない。寂しさを埋めるための、物じゃない。誰のものでもない。

 凄まじい振動がやってきた。天変地異。大地震、はやく、本当に大切なものを持っていかなきゃ。

 カラダが動いた。手を闇雲に動かす。何かに触れた。お互い、それだけで理解した。しっかりと手を繋ぐ。グッと引っ張られた。

「澄子!」

 物だらけの部屋にあたしは吐き出された。

 なにが起こったのか分からず、言葉が出なかった。

「よかった! ホントによかった!」

 アンナに抱きつかれる。離れたところにタヌキがいて、おずおずとあたしに会釈した。あっどうも、とあたしも会釈。

「ワタシさ、タヌキさんに思い切って声かけてみたのよ。そしたら話してても、全然悪意やらなにやらを感じなくて、いろいろ聞いてみると、どうやら他にストーカーがいるって可能性が急浮上で。あのね、彼女、好きなアンタの前だと緊張でいっぱいになって言葉に詰まっちゃうんだって」

「はぁ……」

 タヌキは花束を持っていた。

「それは」とたずねると、

「けっ、結婚祝いのつもりで買ったんですが……」と消え入りそうな声で話してくれた。

 なんだか、まるで、生まれ変わったみたいに気分がよくなってきた。

「アンナ、引っ張ってくれてありがとう」

「うん、うん!」

 涙ぐんだアンナを見ていると、こちらまで胸が熱くなってくる。

 感動の場面。

 を、台無しにする音がした。

 ぐえっ……!

 オヤジが痰を吐くような、気持ち悪い音。いや、気持ち悪くなっているのは、壺の中にいる。

 ぶるぶる、がたがたと、壺が震えている。

 ぐえっ、ぐえぇっ!

 招吉の忠告を思い出す。

 あたしの物以外の物は捨てちゃいけない、下痢を起こしたり、最悪、死ぬ————。

 壺には大きなヒビも入っていた。まさか……、

「テケテケぇ!」

 手を伸ばしたとほぼ同時に、壺が勢いよく破裂した。

 あたりにバラバラになって砕けたあたしの廃棄物が、テケテケの汚物と一緒になって飛散した。

 そりゃあ、大惨事だった。

 もうなにもかも、汚れて、形容する気も失せるほど、汚れた。

 天井も、壁も、床の物も、ぜんぶ。

 爆発の中心にテケテケがいた。

 やっちまったなぁ……、というような顔でそそくさと籐製のバスケットの中に逃げ込む。そしてひょっこりポーズで、心なしか申し訳なさそうに言った。

「オイテケ、オイテケ」

 やってやるよ。

 もう必要なくなった。持ってる意味も、持ってる気もなくなった。

「ぜぇーーんぶ、捨ててやるーーーー!!」

 100万円から部屋の清掃代を差し引いても、ハワイ旅行は行けるだろうか。





『うそまつり』 おわり

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招かれざるセールスマン 朱々 @akiaki-summer

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