第4話 ―― SOMEDAY.4 ―― The end of ...
走り続けていたスクーターは緩やかに減速して止まった。
目的地に着いたのだ。
この小さな町の一角にある丘陵地に建てられた墓地だった。
そこに、瑞稀の実家のお墓があるらしい。
バイクから下りて、哲郎にヘルメットを手渡し、僕らは歩いた。
草が伸び放題の掃除されていないお墓が割合多かった。
しばらく坂道を上ると、瑞稀の実家のお墓も見えてきた。
瑞稀はお墓に入れてもらえた。体裁を気にした母親の意向らしかった。
たいそうな戒名が刻まれている。
仰々しい作りの墓石は丁寧に磨かれ、辺りは清掃されていた。真新しい仏花がある。
「瑞稀、透が来てくれたぜ」
哲郎がぶっきらぼうに言った。
僕はその時、彼の瞳の奥に安堵の色を見た。
確信があった。
仏道に入っても、哲郎には彼なりの罪悪感が残っていて、それを償うための行為は、彼の信じた正しさに由来しているのだろう。
それが僕をこの町に連れてきた?
……くだらない考えだと思った。
陽に当って墓石は照らされている。
この下に、もう骨になった瑞稀がいる。
そう思った途端、昨日行われたはずの瑞稀の一周忌に僕が出なかった意味を突きつけられた。
瑞稀の墓前に立ち、確かな現実を叩きつけられた。
瑞稀は死んだ。自殺した。
その事実を僕は認めるしかなかった。
彼女が線路に飛び込んでから一年間、僕の痛みは続いていた。その痛みは今日この場所に来て、さらに増した。
悶えそうになる。止める手立てはない。もう認めてしまったから。
叫んでやりたかった。僕は心の中で咆哮した。
誰かを想い続けることがこんなにも苦しいと、初めて知った。
この一年、いつもどこかで瑞稀を探してた。
何か見るたび彼女の影ばかりが映って見えて、時々自分が何処にいるのか解らなくなるんだ。
こびり付いてしまって、なかなか取ることのできないカサブタみたいに。
剥がそうとすると痛くて。
分かるか?
すごく辛いんだよ、亀裂が入ったって言葉では足りない、丸ごと身体の中央を抉り抜かれた感じだ。
僕っていう人間が内側からボロボロに崩れて、感覚や神経が壊れていく。
瑞稀が僕を平常でいられなくする。
瑞稀に飲みこまれそうになってる。
僕はいつも怯えてた。
彼女の部屋で見た言葉、いや、呪詛のような願望が僕を包みこんで血だらけにする。
本当に怖いよ、どうしても彼女は目には見えないんだよ。
でも、見ようとして、毎日もがくんだ。
死にたい。僕はただ、そう言った瑞稀を知りたかっただけなんだ。
知っていたくて掌握したくて受け止めたくて堪らなかったんだ。
でも同時に、あの部屋で見たものが、さらに僕から瑞稀の実像を遠ざけていく。
僕は常に抗っていた。
あの夏の熱っぽい風景の中で屈託なく笑っている彼女のことも、僕は求めてるんだから、あの部屋はそれとは真逆なんだよ。
僕はあの狭い部屋にいた瑞稀から逃れる一方で、もう片方のあの夏の瑞稀も探してたんだ。
それでも、あの部屋で見た瑞稀こそが彼女の真実だと思うから、僕の求めた彼女はそれ以外にないかもしれない。
瑞稀に触れたかった、この一年間ずっと。
正気じゃないかもな。
元々そうだったのかも知れない。
気付いてなかっただけで、僕は最初から強烈に瑞稀という存在そのものに引きつけられていたんだと思う。
たまに夢を見るんだ。瑞稀が僕のバイト先の喫茶店にふらりと現れて、あの声で僕を呼んで注文する、クリームソーダをね。その時、あの笑顔を向けられたような気分になる。そして僕は目が覚めると、最高に幸福な気持ちで笑ってるんだ。
ありえないよな、もちろん分かってるんだよ。
だから苦しくて、その後すぐに泣きたくなってくるんだ。
鼻の奥が染みるように痛くなる。
身体中がバラバラに千切れそうなんだ。
でも、その感覚は味わい尽くしても消えない。
途方もないんだ、この空虚感は永遠に続くんじゃないかって本当に思うんだよ。
自分でもどうにもならない。
空っぽなまま、抜け落ちてしまう幸福な瞬間は取り戻せない。
気付いたときには瑞稀のことばかり考えるようになる。
急いで流し場に駆け込んでから、顔をひたすら洗うと少しだけ冷静になれるよ。
洗面台に立って、鏡を見るとね、その時の僕の顔は決まって死んでるみたいなんだ。
ずっと一年、僕はそうだったんだ。
僕は瑞稀が死んでから、過去ばかりを見ていたらしい。
止まった時間を巻き戻すように、あの夏を網膜に、脳内に、ひたすら繰り返し再生していたのだろう。
過ぎた時間を戻そうと。
戻ることなんて無いと知って。
「葬儀の後、瑞稀の家に行ったんだろ」
哲郎が僕に聞いた。
瑞稀の街の下宿の様子をしきりに尋ねてくる。僕は頑なに答えなかった。もうあの場所は空き家になっている。意味が無い。
何より、話したくなかった。
しばらくして哲郎は詮索を諦め、線香をあげる支度を始めた。
火を点けた蝋燭の先端が燃える。束になった線香を灯火の先にかざすと静かに煙を出し始める。それを彼は線香皿に供え、手を合せた。
お経を唱える。変に高い声だ。煙から白い蓮の花のような淡い匂いがした。その匂いは僕の鼻先をくすぐるように撫でた。
おもむろに僕は、自分の布財布にいつも挟んでいるポリ包みを取り出す。その中に一本の線香花火が入っている。カラフルな線香花火だ。
「それ、あの時の花火か?」
「ああ」
僕は蝋燭に線香花火の先端を近づけた。紙の部分が焼け、芯が露わになる。
チチチ……。音が跳ねる。
僕の手は震える。火花が出るのを待った。すると、花火は息切れしたように情けない音を出して先端を萎ませた。
細い煙が一瞬伸びて、すぐ目に見えなくなる。
「湿気てたみたいだな」
哲郎に何も言い返さず、僕は花火をステンレスの線香皿にそっと置いた。
線香花火は実際の線香に比べてはるかに細く、よれており、貧弱な印象を抱かせた。
「これでもいいか?」
「いいだろ。まあ、あの母親がどう思うのかは知らないけどな」
僕は両手を合せた。
目を閉じて瑞稀との日々を思い出した。
すべて過去になってしまった。僕は一年でバイトの時給が十円上がっていた、その間に両親の離婚が成立した。
哲郎は出家し、仏道に入っていた。
瑞稀は駅のホームで四散した姿のまま止まっていた。記憶の中のそれは、彼女の望んだ永遠に近いはずなのに。
胸のあたりにあの懐かしい靄が込み上げて詰まった。
「長生きして、幸せになりたい。花嫁さんなんか良いな」
不意に哲郎が神妙な顔で呟いた。
「それ、何?」
「ずっと昔に瑞稀が言ってたんだ」
僕の問いかけに哲郎は強い調子で答えた。
「あれも俺が守れなかった瑞稀の夢の一つだろうか」
尋ねてくる彼に、僕は眉をひそめて声を荒げる。
「仕方ないだろ、いまさら」
僕も哲郎もそれきり黙った。口を閉ざしていた。
何種類もの家名が刻まれた、墓地にある沢山のお墓の一つ一つをぼんやりと眺めていた。虫の音と草の響きが周りに広がっていた。
やがて、沈黙に耐えられないのか、哲郎は咳払いをして僕の肩を叩いた。
「ここに来て良かったろ」
「そうかもしれない」
曖昧に答えた。
僕はさらに遠くを見つめた。あの小さな町を眺めた。
あの河原がある。
田んぼが広がっている。
哲郎の実家の豆腐屋がある。
プレハブ小屋が建っていた跡が残っている。葬儀の後、速やかに取り壊されたのだ。
花火をした小学校のグラウンド。
さらに遠くには巨大なショッピングモールの影。
あの日、瑞稀が飛び降りた駅のホーム……。
夏草の匂いに、川の水の匂いは混じっていない。混じり気のない、濃い緑の匂いだ。
もうすぐ夕暮れ時だ。一日が終わりを迎えようとしている。
「なんだか、すごく満たされた気分だ」
僕は誰に伝えようとも考えず呟いた。
「そうか」
哲郎は小さく息を吐いた。
「もう二度と、この町には来ないのか?」
「ああ、納得したから」
「透、いま死にたいか?」
「分からないや」
ふと、視線を落とす。
線香花火は先ほど哲郎が供えた線香束の火が移ったのか、その極細の紙の身体をことごとく燃やし尽くされ、すっかり灰になってしまっていた。
その灰が風に乗って吹き飛ばされた。
灰は夕闇に消えた。二度と戻らない。
その瞬間を僕は見逃した。
「でも、生きていける気はするよ」
僕の言葉に、哲郎は大声で笑った。あの夏の瑞稀みたいに。
「嘘臭いな、それ」
真顔に戻った彼の低い声が、墓地の向こう側へと飛んでいく。
「うん、嘘だ」
僕は唇の端をつり上げた。
「それでも、死ぬまでは生きるよ」
迫る夕闇が、僕らの影を濃くしていた。
僕らはいつか花火になる。 美治夫みちお @jawtkr21
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