エピローグ 「未来への祈り」

 かさねと詩織が外に出て、葉月が泣きながら二人を抱き留めた直後、ホテル全体に一気に炎が回った。

 葉月も、かさねも詩織も、火事の現場を見たことはなかったが、それでもこんな風に燃えるのは不自然だと思った。

 ごうごうと音を立てて燃え尽きていく建屋に反して、周囲の木々に燃え移るようなことはなかった。

 それなのに、火花が不自然に跳ねて、飛んで、メリーゴーランドだけが延焼した。


 佐野が、このままでは危険だと叫んで、その場にいた全員を駐車場まで避難させた。

 炎はあっという間に遊園地廃墟全てに回り、空は真っ赤に染まった。

 奈緒子が、車に葉月たち三人を乗せて、国道まで退避し、その後を追うように、佳月と佐野が森から出てきたところで、空に消防のヘリコプターが飛んできた。

 けたたましいサイレンの音が、どんどん近づいて来る中、奈緒子のスマホが鳴り、秀花の全生徒、全職員に避難指示が出ていると連絡が来た。


 奈緒子は佐野と何かをやり取りして、葉月たちを車に押し込んだ。

 とにかく避難する。全てはそこからだと言われた。

 詩織とかさねは、疲れてしまったのか、脱力したように奈緒子に従った。

 動き出す車の窓から、涙にくれて佐野に支えられている佳月に「迎えに行くから!」と、葉月は叫んだ。



 あの、現実離れした夜から、もう二か月。

 定期試験も終わり、まもなく夏休みという浮かれた雰囲気が、秀花学園に漂っていた。

 やたらとクラシカルな秀花の夏服は、白い半そでのワンピースに、大きなセーラーカラーと、レモン色のスカーフだ。

 窓の外には相変わらず鉄塔があるが、学園では生徒たちの精神状況に配慮するとして、教室棟のカーテンを今も閉め切っている。

 学校がいろいろと心配をして対策を講じているのだが、それとは無関係に、あの日に飛び降りる人影を見た生徒も、パニックを起こした生徒も、元気に登校している。


「なあんにも、思い出せないんだよね」

 繭が、校庭のベンチに座って、神社を見つめて呟いた。

 神社の前で手を合わせて祈っているのは、詩織だ。

 黒いワンピースも似合っているが、夏服もとても似合っている。

 葉月は、こっそり見とれてため息をついた。

「まあ、パニック起こすような記憶なんて、なくなった方がいいじゃん」

 かさねが、繭にラムネ菓子を差し出してすすめながら、笑って言った。

 かさねはあの後、長かった黒髪をばっさりと切って、今はショートヘアだ。ワンポイントになっている青いリボンのヘアピンが、よく似合っている。

「遊園地の廃墟と一緒に、みんなの怖い記憶も天国に持ってってくれたんだよ」

 詩織が、神社からこちらに歩いてきて、そう言った。

「そうだね」

 葉月はにっこりと微笑んで答えた。

 

 あの大火事は、不思議なことに山や森をほとんど焼かず、きれいにホテルとメリーゴーランドだけを焼き尽くした。

 理事長の遺体は、地下で見つかったが、死因の特定が困難なほど、燃えてつきてしまっていたと聞いた。

 あの地下にだけ咲いていた新種の花も全部焼け消えて、その花についての各種研究資料などもあのホテルにあったそうで、一緒に灰になった。

 葉月たちも、奈緒子も、佐野と佳月も、警察に呼ばれてみんなそれぞれ、知っていることを正直に全て話した。けれど、葉月たちの証言を裏付ける証拠のようなものは、全部全部、燃えてなくなってしまっていたのだという。


 事情聴取を受けてぐったりと疲れた葉月たちが寮に戻ると、不思議なことがもう一つ起こっていた。

 秀花の生徒たちの記憶から、きれいさっぱり飛び降りた人影のことが消え去っていたのだ。

 不安障害やパニック障害、トラウマなどが心配されたが、数時間分の記憶が消えたことで、そういった症状を訴える生徒は一人も出なかった。


 葉月は、この神社に祀られているのだろう花という少女と、秀月という少年は、本当に神様になっていて、みんなを救ってくれたのかもしれないと思った。


「ねえ、佳月さん元気?」

 かさねが、ラムネを勧めながら葉月に問いかけてきた。

「うん、来年から大学に行けるように、来月から予備校に通わせてもらえるんだって」

「へえ! すごいね!」

「佐野さんの養子? になったんだっけ」

 詩織が、葉月のとなりに座って言った。

「うん。佐野佳月になったの。佐野さんは実佳さんのところの孤児院の職員になって、もっといろんな資格を取れるように勉強しながら働いてるんだって。二人とも、すんごい勉強してて偉いよね」


 答えながら、葉月は数日して、実佳家の現当主だという、理事長の一番上の兄に呼び出されたときのことを思い出した。


 ――三人も弟妹がいたのに、おいぼれの私一人が生き残ってしまった。


 そう言って項垂れた男性は、理事長よりもっと年老いて、枯れているように見えた。辛そうで、悲しそうで、疲れ切っているようにも見えた。

 老人の後ろには、佐野と佳月が立っていた。

 佳月は髪を短く切って、スーツを着ていた。

「愚弟のしでかしたこと、一族を代表して謝罪させてください。本当に申し訳なかった。

 私は自分の立場を息子や若手に譲り、これからの残りの人生全てをかけて雪継が遺していった多くのことの後始末をします。これは、なかなか骨の折れる仕事になるでしょう」

 そう言った、老人の背を、佳月がそっとさすった。

「だが、幸い、こうして若い力が支えてくれている。不幸中の幸いと言うべきか、弟が遺した優しく優秀な『子供たち』は、たくさんいるのでね。みんなで、力を合わせて、この世界に幸せを増やしていくよ。

 これがきっと、私の亡くした弟妹たち全員の願いだろうから――」



「葉月のお兄さん、私も会ってみたいなあ」

 繭がラムネを口に放り込みながら、言った言葉で、葉月は思い出から引き戻された。繭の顔を見て、微笑んで答える。

「そっか、繭だけ会ってないんだっけ。いつか紹介するね」

「今度会ったら、写真撮ってきてよ! 超カッコイイよね、佳月さん」

 かさねが楽しそうに言った。

「え? カッコイイ? そうかな? じゃあ今度写真撮ってくるね」

「そう言えば奈緒ちゃんさ、佐野さんとより戻したらしいよ?」

 かさねが悪戯っぽく言うと、繭が顔を真っ赤にして「きゃー」とはしゃいだ。

「遠距離恋愛? 大丈夫なの?」

 詩織はドライに、シニカルに笑って言った。

 詩織はあの一見以来、こういう顔をするようになった。

 神秘的な雰囲気は薄れてしまったけど、本当の詩織を見せてくれるようになったような気がして、葉月は嬉しかった。

「こんな寮に住み込んでたんじゃ、なかなかデートも行けないよね」

 葉月がそう言うと、かさねがニヤニヤと笑う。

「佐野さんも結構カッコイイから、外に出たらモテそうだし、奈緒ちゃんも頑張らなきゃなんじゃない? 奈緒ちゃん、最近美容に興味持ちだしたの、そのせいかなって思ってるんだ!」

「奈緒子先生がキレイになるなら、いいんじゃないの?」

「恋する女は綺麗になるって、本当なんだね」

 詩織の興味なさそうな声のあとに、繭が目を輝かせる。


 平和な時間を噛みしめて、葉月は神社の鳥居の上の、空を見上げる。


 そこに、たくさんの神様がいて、地上の自分たちを見守ってくれている。

 そう思うと、この世界も案外悪いものじゃない。

 葉月は、空に向かって手を伸ばして、心の中で「ありがとう」と呟いた。

 

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神様のカルーセル 祥之るう子 @sho-no-roo

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