乾燥知らずの二人の手

南雲 皋

***

 俺は発明家で、俊哉としやは画家だった。

 遊びの延長線で俺が作ったオモチャともゴミともとれる物たちが”発明品”になったのは、そこに添えられた俊哉の絵があったからだった。


 これからもずっと、自分が発明した物を包むパッケージは俊哉が描いた絵になるのだと、幼い俺は無邪気に信じていた。


 成長するにつれて現実が圧倒的な存在感を伴って迫り、俺たちを呑み込んだ。

 いつだって賞を取っていた俊哉の絵がだんたんと評価されなくなり、自由に、楽しそうに描いていたはずの俊哉がどんどん苦しそうになっていって。

 無理はしてほしくないと思いながらも、俊哉が筆を折った時、誰よりも泣いたのは俺だった。


 てっきり同じ高校に進学すると思っていた俊哉が、たった一人で海外に行ってしまったと知った時も、誰より泣いたのは多分、俺だった。



 幼き発明家だった俺は、いまだにその名残を引き摺り続けている。

 大学を出てからそれなりに大手のハンドクリーム商品開発部に身を置き、日がな一日、新しい商品の開発のために働いていた。


 自分の企画したハンドクリームが初めて商品化され、全国のドラッグストアに並んだ時は思わず涙したものだった。

 俺の涙腺はいくつになっても変わらずゆるゆるで、結婚式でも、娘が生まれた時も、たぶん誰より泣いていた。


 コロナが流行り始めてからは、進んでいた企画を全て一旦ストップし、全社を上げて消毒もできるハンドクリームの開発に勤しんだ。

 どこよりも早く商品化できれば、確実に売上の期待できる商品だったからだ。


 上層部からのプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも何とか商品化に漕ぎ着けたあとは、反動でみな自分の企画への力の入れ方がハンパないことになっていた。

 俺も当然その中の一人で、前々から何度か企画しては他の企画に負け続けていた男性向けのハンドクリーム開発に力を入れていた。


 他の社員たちが女性向けの新作ハンドクリームのため、さまざまな香りを試し、美容効果を検証している横で、俺はひたすら乾燥した肌に潤いを与えることのみに特化したクリームができないか試し続けていた。


 ハンドクリームを使う習慣のない男性に使わせるためには、一日に何度も塗るのではダメだ。

 朝起きた時か、夜寝る前、一日一回塗るだけで効果が実感できるくらいでなくては。


 企画会議で商品化の席を勝ち取り、パッケージを考える段になった時、広報担当から一人のカメラマンの名前が候補に上がった。

 片桐かたぎり俊哉。

 それは、中学を卒業するまで一番の親友だと思っていた男と同じ名前だった。


 公表されているプロフィールに、受賞歴、今までに携わった商品などが列挙された紙を受け取った俺は、そこに印刷されている顔写真を見て鼻の奥がツンとするのを感じていた。

 あどけなさは消え、精悍さの中に年齢を感じさせる。

 少し痩せ形だったはずの体は随分と逞しくなり、しかし俊哉の面影がはっきりと見てとれた。


(カメラマンになってたのか)


 俺は一も二もなく、俊哉を選んだのだった。



 初顔合わせの日、俺はいつになく緊張していた。

 家を出る時、妻にさえ心配されるほどに。


 玄関先の鏡に映る俺は、四十も目前になって肉付きがよくなり、日頃の運動不足もたたってやや腹が出ていた。

 何とか服装で誤魔化そうとしてみても、どうにも締まらない。

 こんな姿で俊哉に会って、ガッカリされないだろうか。

 妻と付き合いたての頃のデート前みたいな思考に苦笑いをこぼす。

 結局全てを諦めて、会社に向かうのだった。


 会議室にやってきた俊哉は、俺より低かった背がずいぶんと伸びていた。

 俺を少しだけ見下ろすような位置から、真っ直ぐにこちらを見つめる瞳とぶつかる。

 昔と変わらない笑顔で歯を覗かせて、俊哉は俺に右手を差し出した。


「久しぶり、直樹なおき

「ああ、やっぱりお前だよな、俊哉」

「えっ、近藤こんどうさんって片桐さんとお知り合いだったんですか? それならそうと早く言ってくださいよー!」


 デザイナーも加わり、パッケージについての打ち合わせは実のあるものになった。

 俊哉が持ち込んだ数枚の写真は、どれも商品イメージに即したもので、それを見たデザイナーがその場でざっくり提案したデザインラフも、俺には魅力的に思えた。


 全員の間でイメージの共有ができたところで今回の打ち合わせは終わり、あとは基本的にはオンラインで打ち合わせを行なっていくことになった。

 参加者全員にハンドクリームのサンプルを配り、使い心地についての感想もフィードバックしてもらうことにする。

 今回の企画が男性向けハンドクリームであることからか、関わっているメンバーのほとんどが男性だったため、正直な感想を聞くモニターにはぴったりだった。


 もちろん、社外に募集した一般のモニターにも小さなサンプルを送付して回答をもらってはいるが、俺としては俊哉の感想が聞きたかった。

 発明品とまでは呼べないかもしれないが、俺の作ったものを見てほしかった。使ってほしかった。


 挨拶をして打ち合わせが終了した後、俺と俊哉は何を言うでもなく隣に立った。

 俊哉は受け取ったばかりのハンドクリームを左手の甲に少し出し、両手に塗り込みながら俺を見る。


「話があった時、お前の名前を見つけて見間違いかと思ったよ」

「俺も、カメラマンの資料を見せられた時ビックリしたよ」

「…………ごめんな、勝手にいなくなって」

「……本当だよ、バカ野郎。俺が、……どんなに……」


 絶対に泣くものかと思っていたのに、涙が勝手に両の目から溢れ出た。

 言葉に詰まったまま俯いて鼻を啜る俺に、俊哉がハンカチを差し出す。

 俺はそのハンカチを遠慮なく使いながら、俊哉の腹を殴った。

 力なんてほとんど入っていないパンチだったにも関わらず、俊哉は表情を歪めた。


「絵を描くことが、自分の全てだと思ってた。お前と一緒に夢を追いかけることができるのは、絵の描ける俺なんだって。だからあの頃、何も描けなくなって、ずっと手にしてた筆を折った時、俺には何も残らなかった。今なら、馬鹿だったなって思えるよ。でもあの頃の俺には無理だった。それで、高校にも行かずに逃げて、逃げて、逃げて…………出会ったんだ。俺は、光景を切り取って形にするのが好きだった、だから絵を描いていた。俺のやりたかったことが、写真でもできるって気付いたんだ」


 俊哉の目からも、一筋の涙が流れていた。

 俺は思わず会議室の扉の外に視線を向け、誰の気配も感じないことにホッとした。

 さすがに大の男が二人で泣いている絵面を誰かに見られたくはない。


「カメラを持って、世界中のものを切り取って、そんなことをしている内に賞を取ってた。自分がやっと認められた気がして、それでようやく日本に帰ってきたんだ。お前に何度も謝りに行こうとしたけど、勇気が出なかった。賞状もトロフィーも家族の言葉もあったのに、こわくて。だから、このオファーがあった時、飛び上がったよ。これは、もう逃げるなって言われてるんだって。写真に出会って変わった俺で、お前の前に立つ時が来たんだって」


 俊哉の言葉を聞いている内に、段々と涙が乾いてきた。

 目の前の大きな男が、どんどんと小さくなっていくように感じて少しだけ笑いそうになる。


 俺は俊哉の両手を包み込むように握った。

 塗り込む量が少し足りず、まだ乾燥の残る手に、残っていたサンプルを出してクリームを塗り込んでやった。

 毎日クリームを使っているから手だけはすべすべな俺に負けないくらい、俊哉の両手も潤ったのを感じて満足する。


 それから俊哉を見上げて言った。


「いや、勇気って、お前の方が俺よりよっぽど凄いからな? 俺はしがない商品開発部の一人、お前は世界で認められてるカメラマン。どう考えてもお前の方が上に立ってるぞ」

「そんなことない」

「あるよ」

「ない」

「ある!」

「じゃあ……あの夢、叶えさせてくれる?」

「え?」

「直樹の発明品のパッケージを、俺が描くってやつ」


 覚えていたんだ。

 俺はまた、鼻の奥がツンとするのを感じて慌てて深呼吸をした。

 俊哉は、いつのまにか中学時代に戻ったみたいな顔で俺を見ていた。

 不安に揺れる瞳に映る俺も、昔の姿をしているみたいだった。


「発明品……ってほどでもねーけど」

「俺も、絵じゃないし、写真だし」


 俺は俊哉の肩を抱いた。

 あの頃、無邪気に自分たちの可能性を信じていた頃のように。


「初めて商品が棚に並んだ時もさ、俺、泣いたんだよな」

「想像できる」

「多分、もっと泣くわ。お前と叶えた夢が棚に並んだら」

「それは、俺も泣くかも」

「しょうがないよな」

「ああ、しょうがない」



 ビニールに包まれた俊哉の写真に商品のロゴ、俺の作ったハンドクリームが発売された日、俺たちは二人でドラッグストアに入店し、店の隅でこっそりと泣いた。

 それからお互いに買ったハンドクリームを贈り合い、同じ香りのする手で、しっかりと握手をした。


 その手はしっとりとしていて、暖かかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

乾燥知らずの二人の手 南雲 皋 @nagumo-satsuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ