第6話 黒い羊②


「く、国立くにたち君、イヤホン返してよ」


 無遠慮に樹希のイヤホンを外し、馴れ馴れしく距離を詰めて来たこの男こそ、樹希が厄介者扱いされる原因となった存在だった。


 国立くにたちりょう


 小学生の頃から同じ学校に通っている顔なじみ。


 特に顔が際立つ程良いわけでもなく、身長も平均的。運動や勉強面でも名前が上がる事はない。どちらかといえば平凡よりの目立たないような男。


 だが、そんな亮はこのクラスでは一際存在感を放っている。


 亮は昔から、こうして樹希によく声をかけてくれる貴重な存在だった。


 クラスでハブられている樹希に、周りの目を気にせずに話しかけてくれる亮。


 普通ならそんな男友達がいてくれたら、随分と心の支えになってくれるだろう。 


 だが、樹希は亮の事をどうしても友達とは思えなかった。


「おいおい樹希、国立君ってよそよそしいなぁ、いつも言ってるだろ、亮でいいってよ。それともあれか? やっぱ俺たちみたいな貧乏人とは友達になりたくないって事か?」


 イヤホンを返してくれる様子もない亮は、大げさにため息をついて樹希の隣に腰を下ろした。


「そ、そんな事は言ってないよ」

「悲しいなぁおい。俺は樹希の事昔からずっと友達だと思って、こうして一人のお前を心配して声をかけてるのによ。お前はそんな俺の事まで見下すのか?」

「だ、だから僕はそんな事は――」

「いや、いいんだ樹希。喩えお前にどう思われてようともな、俺はお前の事友達だと思ってるからさ。喩えお前が俺たちクラスメイトの事を貧乏人だと見下してるとしても! 俺はお前ともいつか仲良くなれるって信じてるんだ。お前がいつか心変わりしてくれるって、そう信じてるんだ!」


 樹希の言葉を遮り、亮はわざとらしくすら聞こえるほどの大きな声で話し続ける。


 樹希と会話をしているはずなのに、亮はまるで樹希の声を聞いてていないかのようだ。


 それはまるで亮の一人芝居。


 そして、無料で提供される亮の一人芝居を見ている観客は、クラスメイト達だ。


 遠巻きに見ているクラスメイト達には、亮の大きな声だけが浸透していく。


 樹希はクラスメイトを貧乏人だと見下しているのだと。


 当然聞いている人達には、樹希の悪いイメージだけが蓄積していくわけで、その積み重ねが樹希の今の現状を作り出していた。


「あのな樹希、お前は確かに金持ちだよ。それは皆認めてる。もちろん俺だってな。お前の母ちゃんすげぇもんな。自慢なんだろ? けどな、せっかくこのクラスの一員になったんだから、お金なんて関係なしにもっと皆と仲良くしてもいいんじゃないか? 本当の友達ってのは金じゃ買えないんだぞ」


 樹希の肩に手を置き、言い聞かせるような口調で語る亮。


「お前のプライドが高いのだって知ってるよ。小学校の時も中学の時も、樹希は友達なんて作らなかったもんな。それって皆を見下してたからだろ?」

「ち、違うよ。僕は誰も見下してなんか」

「ん? ならどうして誰とも友達にならないんだ? 昔から一緒に帰ろうって誰が誘っても絶対に断ってたのはなんでだ? 休日の遊びにも一度も来たことがないのはどうしてなんだ? 貧乏人だって見下してる俺たちと遊びたくなかったんじゃないのか?」

「そんな事思ってないよ。だって、僕は、その、お母さんに……」

「おいおい樹希、今はお前の大好きなママの話しをしてるんじゃないんだよ。俺はお前のためを思って真面目に話してるってのに、お前はママ、ママって、そりゃないんじゃないか? 俺の話しを少しは真面目に聞いてくれよ」


 樹希はもう困り果てていた。


 皆まで言うなとばかりに樹希の言葉を遮り、あとは勝手な憶測で話しを進めてしまう亮。


 樹希が周りを見下しているというイメージだけでなく、樹希がマザコンだという印象を広めることになってしまったのも、全て亮が大きな声で話しをする事が原因だ。


 いつもそうだった。


 小学生の時も中学の時も、頼んでもいないのに亮は何故かいつも樹希に声をかけてきた。


 亮が気さくに樹希に声をかけてくるのは小学生の時から変わらない。


 人の話しを聞かず、勝手なイメージをべらべらと喋り、そのせいで樹希の周りからは人が離れていく。


 亮の言葉を否定しようにも、理恵のせいで元から友達付き合いの悪い樹希の言葉を誰も聞いてはくれなかった。


 一度着いたレッテルは、そう簡単に取れることはない。


 樹希は小学生の時も中学の時も、いつもクラスの鼻つまみ者だった。


 そして、それは今も変わらない。


 高校生になっても同じ学校のにいた亮の影響で、樹希はまた良くないレッテルを貼られて周りから疎まれるようになってしまっていた。


 だからこそ亮の存在は、樹希にとって疫病神のようなものだった。


 樹希にはどうして亮が自分に構うのかが分からない。


 亮の言葉を信じるなら善意なのだろうが、そうだとしても樹希には不利益しかならないのだから、それは善意の押し売りと何ら変わらない。


 樹希が亮を友達と思えないのも当然だった。


「お前を心配してるから言うけどな、マザコンも度が過ぎるのもどうかと思うぞ。そりゃあんなに綺麗な母ちゃんなんだから気持ちは分かるよ。若々しくて美人で、おまけに胸もデカいってな! 俺もあんな綺麗な母ちゃんが欲しかったよ。けどな、ママにばっかりしがみついてないでちゃんと同年代の友達とか彼女を作れよ。そうしないとお前はいつまでも一人のままだぞ?」

「……ママなんて言ってないよ」

「ん? なんだって?」

「ママなんて言ってないって言ったんだよ!」

「うぉ!? 急に怒るなよ樹希、皆に迷惑だろ」

「うっ、別に怒ったわけじゃないよ」

「なぁ樹希。そんなに俺と喋るのが嫌なのか? 俺を見下してないって言うのなら、もう少しまともに会話してくれてもいいじゃないか?」

「してるよ! ちゃんと聞いてくれないのは国立君の方じゃないか」

「だから怒るなよ樹希。そんなに怒るなんてやっぱり貧乏人と会話は嫌なんだな? だけどな樹希、お前みたいに恵まれた奴の方が珍しいんだぞ? 俺もクラスメイトの皆も貧乏じゃなくて普通なんだよ。お前が特段恵まれてるんだ。それを本当に理解してるのか? もし理解しててそれでも俺やこのクラスの皆が嫌なら、嫌ってはっきり言ってくれよ。じゃないといつまでも頑張ってる俺が馬鹿みたいじゃないか。ほら、今みたいな大きな声で皆に聞こえるようにはっきりと言ってくれ」


 煽るような亮の言葉に、クラス中の注目が集まっているのを樹希は感じていた。


 もちろん樹希は亮に煽られた通りに言うつもりなんてない。そんな事は微塵も思っていないからだ。


 樹希は自分がお金持ちだと得意になったことなんてない。


 実際に樹希の家は裕福だ。だが、その全ては理恵のもの。樹希はお小遣いすらもらっていない。


 樹希には一円すら自らの意志で使う権利はない。


 そもそも、外出するときは常に隣に理恵がいるのだから、一人で買い物したことすらなかった。


 そもそも樹希には他人を見下したり馬鹿にする思想がない。


 日々理恵に支配され、そんな事を考える余裕すらないのだから。


 だがここまで注目を集められると、もう樹希が周りを貧乏人だと思っているという固定観念がクラスメイト達の中にも深く刻み込まれただろう。


 こうなってしまった状況を、樹希にはどうすることもできない。


 できる事はもう余計ないざこざを起こさないように、黙って俯くだけだった。


「……ふぅ、落ち着いたか樹希? お前は皆に酷い事を考えてるんだって、もう少し自覚した方がいいぞ。このままじゃお前は本当に一人になっちまう。もし俺まで愛想尽かしたらどうするんだよ? 友達のいない人生って本当に寂しいぞ? でもな、まだ大丈夫だぞ」


 樹希が俯いていると亮に肩を叩かれた。


 顔を上げれば、亮が清々しい笑みを浮かべている。


「ちゃんとお前が反省して、今まで皆を貧乏人だって見下してた事を素直に謝って、これからは俺や皆の言う事をちゃんと聞くっていうなら、俺が皆との仲を取り持ってやるよ」


 まるで樹希のためにと、心の底から語っているかのような亮。


 だが言っている事は、どうだろうか……。


「謙虚に生きればさ、きっと皆も今までのお前の行いを許してくれるよ。皆の言う事を聞いてさ、皆のために尽くすんだ。金持ちのお前にならできる事は沢山あるだろ? ほら樹希、俺と一緒に皆に謝ろうぜ」


 そう言って、亮が大げさな動作で手を差し出してくる。


 目の前に差し出された手。


 その手を握るつもりなんて、樹希にはまったくない。


 だがここで、クラスメイトたちが見ている前で亮の手を払えば、それはまた周りからの偏見を強めることになるだろう。


 手を取る事も振り払うことすらできない。


 樹希は追い詰められていた。




「樹希から離れて」


 だから、その怒ったような低い声が聞こえた時、樹希は心の底から安堵したのだ。

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