第3話 朝の奉仕①


 朝食の準備は樹希の役割だ。


 だが正確に言えば、樹希の役割は朝食の時だけとは限らない。


 理恵の昼食と、夕食の支度も樹希の役目だ。


 もっと言えば、食事の用意だけが樹希の役目ではない。


 掃除に洗濯、この家のありとあらゆる家事はすべて樹希が担っている。


 樹希は幼いころから理恵によって家事を仕込まれた。


 理恵曰く、「これからの世の中は男でも家事ができなければならないのよ。家のことを女だけに任せていてはいい男にはなれないわ」とのこと。


 その教育方針に従い、幼いころからすべての家事を一人で行ってきた樹希。


 その手際は、今や理恵も満足しているほどに成長している。


「今日も美味しいわ樹希。貴方の朝ごはんがないと、最近は調子がでないの。本当は食事よりもう少し寝ていたいのだけど」

「ありがとうございます理恵さん。忙しいのは理解してますけど、健康のためにも朝ごはんは毎日食べてくださいね」

「ええ、わかってるわ。そんなに私が心配なのね樹希、本当にいい子だわ」

「いえそんな、理恵さんの健康を心配するのは僕にとって当然のことですから」


 樹希は心にもない言葉で理恵の機嫌を取りながら、ただ苦痛なだけの朝食の時間を無心で過ごす。


 理恵と二人きりの朝食。


 樹希には理恵以外の家族がいない。


 だから、樹希には逃げ場がない。


 理恵の感心はすべて樹希に向けられる。


 樹希はその全てに、理恵が満足するような答えを返さなければならなかった。


 一つでも受け答えに間違えば、一つでも理恵の気に入らない行動をすれば、その後には寝室での折檻が待っていたからだ。


 今では樹希も滅多な事では間違えることはない。もう十年以上もそうしてきたのだから、理恵の望む行動は樹希の身体にしみついている。


 だが、それでも樹希の神経はすり減り、食欲だってあまりわかないのは仕方のない事だろう。


 樹希が年齢の割に身長が低く、ひょろひょろと男らしさに欠ける体型なのは、慢性的な食欲不足も大いに影響しているはずだ。


 自分の食事は少なめにして、それでも多い分は無理やり口にかきこむ。


 そこまでするのは、理恵のために元気でいる樹希でいなければならないから。


 食事の味も感じないような時間を乗り越えても、樹希にとっての苦痛は終わらない。


 むしろ樹希にとっての苦痛は、ここからが本番だった。


 毎朝の苦行。


 それは食後、理恵の寝室で行われる。



「じゃあ樹希、今日も着替えを手伝ってちょうだい」

「……はい、わかりました理恵さん」


 樹希にとって一番の苦痛。


 それは自らの母親を着替えさせること。


「では、失礼します」


 理恵に一声かけてから、樹希は理恵のまとっている衣類に手をかけ、丁寧に服を脱がせていく。


 その間、理恵はただされるがまま。


 まるで女王か貴婦人のように、自分の服を脱がせる樹希を満足そうに眺めているだけ。


 自らの素肌を樹希に見せつけて頬を薄く赤らめているだけ。


「どうかしら? 私の身体は」


 元から理恵は下半身には下着しか身に着けていない。


 樹希が上半身のルームウェアを脱がせれば、完全な下着姿になる。


 豊満な胸と、秘部を隠しているのは、薄いブラジャーとショーツのみ。


 実の息子にそんな姿を晒しているというのに、理恵は身体を隠すことなく、もっと見ろとでもいうように樹希の前に堂々と晒し続ける。


「今日も、とても綺麗です理恵さん」


 樹希は目の前に晒されている理恵の身体を、あまり見ないように目線を床に落として答えた。


 他人から見て理恵の肉体はどんなに魅力的な事だろう。


 我の強そうな整った顔。


 年齢を感じさせないハリのある瑞々しい肌。


 男を惹きつけてやまない主張の激しすぎる胸と、モデル並みの長身。


 それを惜しげもなく見せびらかされたら、大抵の男は興奮するはずだ。


 だが、それは所詮他人の感想。


 太一にとって理恵の身体は、恐怖と嫌悪の対象でしかない。


 できるならば一瞬でも見たくないものでしかなかった。


「あら、俯くなんて相変わらず恥ずかしがりやね樹希は」


 俯いて視線を逸らす樹希の行動を見て勘違いしたらしい理恵は、愉快そうに身体を樹希に押し付けて来る。


 長身の理恵と並ぶと背の低い樹希は、丁度胸元までの身長しかない。


 理恵は、わざと樹希の顔に自分の胸を押し当ててきたのだ。


 瞬時に身を引いた樹希は、決して顔を上げないよう必死になってこらえた。


 今、自分がどんな顔をしているのか樹希は分かっていたからだ。


 とても理恵に見せていい顔ではない。


「うふふ、そんなに驚いてどうしたの樹希? 顔を上げなさい」

「っ!? り、理恵さん、今はその、顔が熱くて……」


 必死の言い訳だった。


 喩えどんなに自分が惨めになる嘘をついても、嫌悪を露わにしている顔を見せるわけにはいかない。


 見せてしまえばそれだけ後が怖いからだ。


「あらあら、私の胸はそんなに気持ちよかったのかしら?」

「あはは……それはもちろん。理恵さんは魅力的なので、僕にはちょっと刺激が強すぎるんです」

「ふふ、興奮しちゃったのね。からかってごめんなさい樹希。でも、お楽しみは夜にしましょう。さぁ、スーツを持って来て」

「はい、すぐに」


 急いでスーツを取り出し、理恵に袖を通させる。


 普段通りに理恵の着替えを手伝う樹希だったが、内心では冷や汗が止まらなかった。


 理恵の機嫌を損ねることなく乗り切れたが、あの誤魔化し方はマズかったかもしれないと後悔が湧いてきたからだ。


 妖艶な笑みを浮かべている理恵を見て、樹希は今日の夜が憂鬱になった。

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