バレンタイン
「チョコを一緒に作ってほしい?」
こくりと目の前で頷かれるのに私は頭の中に溢れる疑問符に気づかれないため良いよと緩く答えていた。彼女の目がパァと輝くのに良かった。取り敢えずは間違ってなかったと思うのだけど……。
さて、これはなんて聞くべきなのか。
チョコってあれだよね。食べるやつ。あれって家で作れるものなのだろうか。否、豆腐だって作れるし作ろうと思えば作れるんだろうけど、材料は何処で仕入れれば良いんだろう。
と言うかなぜにチョコ?
鏡花ちゃんってそんなにチョコ好きだったけ? うーーん甘いものはそれなりに好きだったと思うけどチョコが好きだとかではなかったように思うんだけどな。
「いつ作ろうか」
疑問はたくさんあるけれど取り敢えずは一番無難な質問をしておく。
「……十三日、前の日が良い」
「そう。十三日ね。分かった。その日は開けておくね」
ん? 十三日? 前の日? 何のことだろう。分からない。全く分からない
「ありがとう」
嬉しそうな鏡花ちゃんから今さら聞くことはできない。そうでなくとも出来ないのだけど、さて、私はどうしたら良いのだろうね
「どうした。太宰。悩みごとか」
「へ? 何がですか。何でもないですが」
社長に問いかけられたのに私は笑顔で答えていた。それより今日も美味しいですねと話題をそらす。もぐもぐと夕食を食べた。突き刺さる二つの視線。太宰と乱歩さんが名前を呼ぶのに私は固まってしまう。見たくなかったが、仕方なくそちらを見た。そこには鋭い目で見つめてくる乱歩さんがいる。社長の方を見ると同じように険しい目をして私を見ている。
いつも通りに過ごせていると思ったのに一体何処でばれたのか。乱歩さんだけならまだしも社長にもばれてしまうとは……。
心の中でため息をつく。
言わないで終わらせることができる雰囲気ではなくて口を開いた。
「ちょっとチョコの作り方を考えていただけですよ。今度鏡花ちゃんと作ることになりまして」
「チョコ? と言うと菓子のか? あれは家でも作れるものなのか?」
「さあ」
素直に言えば目を丸く見開いて社長が聞いてくる。私はそれに首を捻り答えるのだが乱歩さんからは深いため息がでた。
「太宰はともかく福沢さんまでその反応はやめてよね。この時期にチョコなんてバレンタインのお菓子を作ろうってことだろう」
「へ?」
「言い方が悪いのもあるけどお前の勘違いなんだよ。チョコを一から作るんじゃなくて、市販のチョコを使ってチョコのお菓子を作りたいってそう言う話なんだよ。まあ、多分鏡花が考えてるのは市販のを溶かして固めるだけのだろうからチョコを作りたいでも間違ってはないんだけどね。お前相手には駄目だったね」
へえ、そうなんですかと私の口は答えているが、乱歩さんが言っていることの半分は分かっていなかった。一体そうすることに何の意味があるのだろうか。普通に市販のチョコを食べたら良いのではないだろうか。その方が余計な手間をかけずにすんで楽だし、美味しい。
「言ったろ。バレンタインって。鏡花も何か手作りのものを作りたかったんだろうけど、これはどう考えても人選ミスだろう。むしろなんでこいつを選んだんだ」
乱歩さんがやれやれと首を振る。恐らく最初から知ってただろうに今ぼやくのはどうかと思う。そう思うのであれば最初から伝えておいてあげて欲しかった。私も困っている。
そもそもバレンタインって何だ? 何でバレンタインにチョコ? そういえばそんな名前の宣教師がいたけどそれとは多分関係ないよね。宣教師ではなくて、あ、でもまってよ。私何処かで聞いたことがあるかも。いや、見たか…
あ、そうだそうだ。
そんなイベントがあるんだ。その日が来てから思い出すから忘れてた。なにか良く分からないけどチョコとかたくさん届けられる日。そんでもって……。え、待って。ヤバイ。どう言うこと。余計分からなくなってしまったかも。
鏡花ちゃんが殺したい人がいるって言うなら協力するけど、でも私としては毒殺はあんまりおすすめしないんだけど……
「太宰言っておくけど、バレンタインは好きな人とかにチョコを渡すとかそんな日で毒とか媚薬とか精液とか押し付けてくる日じゃないからな。そんなものをバレンタインの日に受けとるのは言いたくないけどごく少数だよ」
「……何のことですか」
ニッコリと笑う。
取り繕っても無駄だと分かっているがそれでもニッコリと笑う。視線がいたいが気にしない。社長を見ればぎょっとした目で私を見ていた。それも気にしない。あくまでもシラを切り通す。話題を変えようと話の種になることを探した。
好きな人にチョコを渡すと言うことだし、鏡花ちゃんの好きな日とについて話してみる? でも社長はそう言う話題好きじゃないだろうしなそれに待てよ。好きな人とかだから好きな人とも限らないし、それに好きが恋人とかそう言う意味かも分からない。良く調べもしないうちに話すのは危険か。
となると……
「私お菓子作りなんて今までしたことないんですけど、どうすれば良いんでしょうか」
話題はこれかな
「間違っても変なものはいれるよな。チョコ食べて死ぬとか嫌だから」
「そんなことしませんよ」
え? 乱歩さんも食べるの?? やっぱり恋人とかだけじゃなさそう。迂闊なことは言わなくて良かった。
「てか、太宰大丈夫」
「何がですか」
「敦とかにばれたくないだろうからお前の部屋で作ることになると思うけど、調理できる」
「え、マジですか」
「本当だよ」
さぁと血の気が引いていくのが分かった。とても困った事態になった。なってしまった。私の部屋には調理器具なんて包丁一つすらないのに。
「良かったら私のいえでやるか。器具なら与謝野が昔作っていたから必要なものはあると思うが」
「大丈夫ですよ。何とかしますから」
社長が提案してくれたのにだけど私は断っていた。ある意味ではチャンスだろう。
バレンタインデーの前日、十三日。
女の子たちにとっては明日が決戦の日だろうが、私にとっては今日が決戦の日だ。
前もって鏡花ちゃんと色々打ち合わせをして作るものもちゃんと決めてある。ただ溶かして固めるチョコだけでなく、クッキーとカップケーキを作ることになった。そのために必要な調理器具は全て買ってあり、オープンレンジも用意した。材料もあるからこれで私の家でもお菓子が作れる。
ついでにフライパンに鍋、お玉なども買ったからまともな料理ができる部屋になった。
美味しいお菓子を作り上げて何だかんだで続いている社長の家で食事を取るのをそろそろ終わらせるのだ。今日もきっと遅くなるからいらないと言ったのに遅くなっても良いからと押しきられてしまっている。
それもこれも私が料理はできないと思われてしまっているからだ。ここでそうじゃないことを証明して見せる。
決意を新たに固めたところに呼び鈴がなった。鏡花ちゃんだろう。はーいと扉を開ける。鏡花ちゃんの小さな姿が見えた。
「今日は頑張ろうね」
「頑張る」
こくりと頷く鏡花ちゃんは私の部屋のなかを見る。残念ながらでもないが、面白いものはなにもない部屋だ。むしろつまらないといっても言いかもしれない。あるのは布団と机だけ。台所だけ昨日充実したものになった。
「ものが少ない」
「そうこんなものだと思うけどね。それより手を洗って始めようか」
部屋を見た鏡花ちゃんが驚いたように呟く。私はそれに普通に答えた。私の部屋なんていつだってこんなものだし、あんまり多くものを持っていても必要はないだろう。台所に進んでいく。
手を洗ってしまえば準備は完璧だ。お菓子作りのためか長い髪を鏡花ちゃんは高く結んでいた。
「じゃあ、まずは材料を用意しようか。お菓子作りは分量が命で正確に図っておく必要があるのだって、私こういうのは苦手だから鏡花ちゃんにやってもらっても良いかな」
「任せて」
国木田君辺りが聞いたらお前はやる気があるのかなんていわれそうなことをいう。鏡花ちゃんはいいこだから素直に頷いて秤の前に立っている。私はレシピの紙をみて分量を言う係になることにした。
「大体揃ったね。じゃあ次は図った材料を順番にまぜていこうね。うーーん、見たときも思ったけど結構順番決められているのだよね適当じゃ駄目なのかな」
「駄目だと思う。ちゃんとレシピ通りにした方がいい」
「まあ、そうだよね。じゃあレシピ通りに行こうか。まずはボールにバターをいれて泡立て器で良く練りまぜてからクリーム状になったらグラニュー糖と塩を一度に加えるようだね」
「わかった」
レシピを教えると言うとおりに鏡花ちゃんが作っていく。その姿を見ながら私は少し首を傾けた。これ気のせいでなければ私はいらないのではないだろうか。今のところただレシピを読み上げるだけしかしてないんだけど、必要なのか。
何で私はここにいるのだろうか。いや、ここ私の家だけどさ
「できた」
鏡花ちゃんの声が嬉しそうに弾んでいる。私はぱちぱちと手を叩いた。やったねといいながら首をひねている。結局ほとんど全て鏡花ちゃん一人でやってしまった。私も手伝ったヵ所はあるものの、基本は読み上げていただけ。
やっぱり意味がなかったように思う。
何で鏡花ちゃんは私に頼んだのか。謎だ。
「ありがとう。貴方のお陰で上手くできた」
「鏡花ちゃんが頑張ったからだよ」
まあ、嬉しそうだから良いけどさ。私本当になにもしてないけど。
「後はラッピングとかだね。みんなに配るんだけ、きっと喜んでくれるよ」
鏡花ちゃんは元気に頷いた。その瞳はキラキラと輝いていてありがとうと再度私に言ってくる。本当になにもしていないので罪悪感が募ってきたかもしれない。せめてラッピングぐらいはまともに手伝おうと思う。
昔、リボンを結ぶのはさんざんやらされたから得意だった。鏡花ちゃんが袋にいれたものを飾り付けていく。
「上手」
「リボンを上手く結べる男は持てるからね」
「そうなの?」
「でも器用な人間は何かと重宝される。仕事が素早くできるからね」
ほらと鏡花ちゃんに何個めかの包みを渡した。残りはないのに鏡花ちゃんがいれていたようにいれていく。そして結んでいく。その指先を鏡花ちゃんがじっと見る。
「私がやる」
最後の一個になったとき、鏡花ちゃんはそう言った。え? と私は鏡花ちゃんを見る。
「それは私が結ぶ」
「でも」
結び方分からないだろう。そう言う筈だったけど、鏡花ちゃんが私がやると強めの声で言ってきたので私は言わなかった。鏡花ちゃんがそう言うならと最後の一つは鏡花ちゃんに渡した。
「まずはクロスにさせてね」
「いい。みて覚えたから」
やり方だけでも教えてあげようと声をかけたのに鏡花ちゃんからそんな言葉が返ってきた。その目は怖いほど真剣に最後の一つを見ていて、そして指先は慎重に動いていた。声をかけられる雰囲気ではなく口を閉ざす。
時間は少しかかったが私がやっていたのと同じ結び方でリボンが完成していた。それに飾りをつけて渡す品が出来上がる。
ぱぁと鏡花ちゃんが笑ったがすぐにその笑みは曇っていた
「……歪」
「そんなことないよ。凄く上手に結べている。流石だね」
全体をみて彼女はそう呟いた。確かに私がしたものよりは歪だろう。だけど気にするほどでもなく私は彼女に笑いかけていた。鏡花ちゃんが私を見上げる。じぃと見てくるのに私は首を傾けた。
何か気にさわっただろうか。本当は思ってないくせにとか思われたか。考えるのに鏡花ちゃんの手は鏡花ちゃんがラッピングした袋を両手で包んでいた。
「これ、貴方に」
それが私の目の前に差し出される。
はいと言われるのに私ははい? と言っていた。どう言うことだと鏡花ちゃんを見てしまう。
「私に?」
「そう」
「何で?」
「お世話になった」
「別にチョコを貰えるようなことはなにもしてないよ。折角作ったものだからもっと」
別の人に渡してあげたらそう言おうと思ったのだけど、ずいと押し付けられた袋。鏡花ちゃんの瞳が私を見上げてくる。
「私があげたいと思った。それじゃあ、だめ」
ことりと首を傾けられて聞かれる。だめじゃないけどとしか私には言えなかった。
「それなら受け取ってほしい。
……これなら貴方も受け取ってくれると思ったの」
差し出される袋のなかに入っているのは先ほど鏡花ちゃんが作ったクッキーだ。作っているところは見ている。袋のなかにいれたのは私だ。最後のリボンを閉めたところもしっかり見ていた。中にはちゃんとしたクッキーしか入っていない。
私はそれと鏡花ちゃんを見比べた。
少しだけ目が見開いてしまったかもしれない。見上げてくる目は少しだけ不安そうに私を見ている。小さな手が差し出してくれる袋をてにした。
「……ありがとう。凄く嬉しいよ。折角だからここで食べても良いかい」
ほっとした息を鏡花ちゃんはもらした。うんと頷く首。ポニーテールが揺れた。綺麗に結んでくれたリボンをはずして、私は中のクッキーをてにした。それを一口食べる。鏡花ちゃんの目は私からそれることなくずっと見ていた。
ホロホロと口のなかで崩れていくクッキーは甘くてとても美味しい。美味しいよと私は彼女に告げる。彼女が嬉しそうに笑った。
「あ、そうだ。これどうぞ」
大きくなった目。見開かれた口。それらをみて私はまたかと思った。今日何度も見た顔である。鏡花ちゃんがお菓子を渡したあと、私に手伝って貰ったと告げるとみんな同じような顔をした。そしてはぁあと声をあらげたのだった。さすがにそんなことはないが、よほど驚いたのか口をぱくぱくと見開いている。あの乱歩さんまでそんな始末だ
「何、毒」
「そんなものいれませんよ。みんなにも疑われましたが失礼な。鏡花ちゃんがみんなにお世話になってるからとチョコを渡すと言う話だったので、私もまあ二人にはお世話になっているなと思い用意したんですよ。それなりに上手くできたと思いますよ。どうぞ」
聞いてくる声にため息をつく。今日はみんなに同じことを聞かれている。鏡花ちゃんがつくったと言っているのに聞かれて正直うんざりしていた。さすがの私も鏡花ちゃんが作ったものにいれたりはしないし、探偵社のみんなに盛る理由もなかった。
ぷくりと頬を膨らませるのに乱歩さんの額が机にぶつかっていた。後頭部からはぺしりと良い音が聞こえていて正直これは予想以上だなと今度は私が目を丸くしてしまった。乱歩さんを叩いた社長の手が私が差し出していた袋を受けとる。透明な袋のなかにはクッキーが幾つかはいっていた。
鏡花ちゃんのとほとんど同じだが私のには少々色がついている。社長ならこちらの方が好きかと抹茶の粉をいれてつくったのだ。お酒にしようかもと考えたが、飲む方が良いかとやめておいた。
「乱歩が失礼なことをいってすまないな。それに私も驚いてしまってすまなかった。まさか貰えるとは思っていなかったから。とても嬉しい」
受け取って貰えたのに取りあえずは肩の重荷を落とした。貰って貰えるとは思っていたが、嫌がられたらと少しだけ不安になっていたのだ。何せ乱歩さんは私の料理の腕前を知っているから。と言っても実験として料理をしてただけだからちゃんとしたらちゃんとしたものは作れるのだけれど。
乱歩さんも疑うような顔をしながらも受け取ってくれていた。
「ありがとう」
「まあ、何時ものお礼ですから礼を言われても困るんですけど」
社長が珍しく微笑んで私にお礼の言葉を言ってくる。反応に困ってしまってそんな言葉がでた。社長は気にせず何かを言う。
「ホワイトデーは楽しみにしておいてくれ」
私は首を傾きかけて止めた。
ホワイトデー? それはなんだ。
だざいおさむのはじめて わたちょ @asatakyona
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