神椿に臨む

佐島 紡

第1話 あなたが起こした撃鉄

 あなたは頓着しなかった。友達選びも行動も、この世界の物事全てに即決を言い渡すような人間で、結局死んでしまうその時まで頓着とは無縁の人生を歩んでいたように私は思う。あなたはためらいを抱かないのを納得してしまうぐらいにはたくさんの知識と自我を持っていて、きっとあなたの前には現実というものはまるごと些事に過ぎないことだったのだろう。

 しかし今までも生きていたのだ。あなたは毎日のようにこの世界に対して愚痴を吐きながら、それでも先生から出された宿題にはきっちり手を付けていたし、学校にだって毎日通っていた。いつでもあなたの目には力が宿っていて、いつかは変えてやると呟いていたけれど、私があなたと話さない日は無かったし、そうやって何年間も生きていたのだ。

「私、神椿市に行ってくる」

 ——だからこそ、あなたがあの時言った言葉も、ほんの数駅離れたところにでもある無名の市に休日を使って訪れるだけだと思っていたのだ。私はその市の名前を知らなかったし、初めて言われたことだったから一瞬疑問に思いはしたものの、思えばそんなことはままあった。だから私はその話を流したし、あなたも別に異を唱えなかった。私はあなたを信頼していたのだ。

 そう、勝手に私の手から離れていかないということを。

 その日もいつも通りにフードコートで時間を使い潰すと私たちは別れることにした。私とあなたは決して遠くない場所に住んでいたけど、それは近くじゃないことでもあって、何の用もなしに向かうのは少しばかり気が引ける。次の日は神様が一服をした日で、携帯でしか繋がれなくなる私はあなたの行動を知る由もなかったのだ。

「またね」

 沈みかける夕日を背に手を振るあなたのその所作が、今でも頭に焼き付いている。


 ■


 使い方も分からないくらいの最新設備がずらりと並ぶ。やむを得ない事情の元、足繁く通っているつもりの私ですら、訪れるたびに新しい機械が導入されている街病院。検査の後、一室に通された私は、もう何度目かも分からないような提案をまたもや聞かされていた。そろそろ三年になりそうな期間を頑なに断り続けてきた私だったが、どういうわけか、今回はいつも通りの口上を窮してしまった。


「——眼球移植については何の痛みも後遺症もなく、三十分もあれば人口の物と取り換えることが可能です。日々その目には苦労をなさっているでしょう?いかがでしょうか」

「……少し、考えてみます」

 私がそう言うと、まだまだ若いかかりつけの医者の顔は明らかに崩れた。今までなんと言われようが、頑として首を縦に振らなかった私がようやく一考するそぶりを見せたのだ。努力が実を結んだこの事は、かかりつけ医としてさぞかし冥利に尽きることなのだろう。大して隠すそぶりもなく、顔を喜の色に染めた医師が更なる説明をしようと口を開こうとする。

「あの、もういいです」

 私はその蛇足を拒絶する。支離滅裂な私の応対に流石の医師も眉根を寄せたが、心当たりがあったのか、すぐさま表情を和ませた。そして今度は同情の眼を差し向ける。私はころころと変わる顔を侮蔑と苛立ちを持って受け取った。

「何かあれば、お気軽に訪ねてきてください。力になります」

 この対応が最善手とでも思っているのか、満足げにうんうんと頷きながら同じ言葉を吐き続ける。

 大人は苦手だ。

 勝手に疑問を抱かれて、勝手に得心を得て。私たちのことをまるで知らないというのに、透かして見たとでも言いたげな顔を受かべていて。

「お父様とお母様のためにも頑張っていきましょう」

 体の中をかき回されているような気分で私は小部屋を後にする。そのままロビーで待機をし、送られてくる手術に関するPDFを受け取ったら検診は終了だ。いつも以上にページ数が多いことを確認し、病院を出て、駐車場にいる母の車に乗り込む。無言で車を起動させる母の後ろ姿を尻目に、私は資料に目を落とす。

 車内に会話はなかった。雑音が嫌いな母はテレビも音楽も全く見ない。とはいえ、いつもならば二句三句の軽いやりとりぐらいはするもので、一切ない今日に、私は一抹の不安を覚える。

「次はちゃんとしなさいよ」

 私の希望をよそに母が言う。もう連絡が行ったのかと諦観混じりで目を伏せた。振り向きもせず、ただ淡々と、突き放したような後ろ姿を眺めていると、急に全てが萎えてしまい資料を読む気も失せ、惰性でゲームを立ち上げる。

 そう、私は檻に住まう小鳥。半径数十センチの世界に住まわされる小さく無力な親のモノ。クチバシもまだまだ黄色い私では、家族の意見に従うこと以外に選択肢なんてどこにもなかった。13の背丈では、見通せるものも見通せない。

 ピコリピコリと操作に合わせて、ゲーム内の人形は実によく動いた。自由を謳う基本無料の世界のなかで、私だけがぐるりぐるりと回っている。今日始めたばかりのもので勝手がわからず、私はすぐさま攻略サイトを開いた。序盤の進め方のページに飛び、そして気づく。

 檻に住まうだけではなく、出たがらない小鳥でもあるのだと。

「ねえ」

 ふと母に声をかけられ、顔を上げる。

「あなたは行かないの」

 対向車線から神輿のようなものを担がせた黒い車とすれ違う。霊柩車だ。その宗教色強めの様相は、潔癖じみ過ぎたこの世界では一層際立ち思わず目で追ってしまう。中の人間は向かう分解センターで液体につけられ環境に無害なものに還元させられる。まるでその人が居なかったかのように。まるでただ在ることが悪とでも言うように。

 私は母の問いに無言を貫いた。バックミラーに映る霊柩車との距離は離れていくばかりだった。続く車のいくつかは追って分解センターへと向かうのだろう。そして亡骸との最後の別れを告げ、液体に肌が、肉が、骨が溶かされることを待ちながら、仲間内で思い出を語り合うのだ。センターを出る頃には、その日が終わる頃には、そうでなくとも数日もすればいくら悲しんだ人間も自分の世界に戻っていく。こうして忘れ去られる。こうしてあなたは世界からいなくなる。

 私は、こんな世の中が心から嫌いだった。

 逃げたあなたはもっと嫌いだった。


 ■


 この光景にも慣れたものだ。

 罵詈雑言が敷き詰められた机の上に、菊を活けた花瓶が置かれている。柄を見るに性懲りもなく面談室から持ってきたもののようで、周りを見渡すと当事者と思われる複数人が義憤に満ちた目で私を睨んでいた。

 私が教室内に押し入ると、それまでひそやかながら嗜まれていたのどかな空気は一変する。皆が緊張で口を閉じ、私の動向一つ一つに冷たい視線が付きまとう。当事者以外の人は見て見ぬふりを決め込んでいるものの、それは関わることで自分に飛び火するのを恐れてのことではない。それどころか制裁を受けてしかるべきという圧がクラスの中で今にも溢れ出さんとしていた。私に対する同情心などは欠片もない。

 そう、私はクラスからの負の感情を一身に背負っていた。そしてそれを私は良しとしていた。

「ねえ」

 私は前の席の女の子に声をかけた。言いながら肩に手を乗せると勢いよく跳ねた。青ざめた顔でこちらに顔を向けるその子に私は分かり切った質問をする。

「この花瓶、どこに置いてあるものかな」

「……め、面談室、かな」

 上ずった声で返される。私はふうんと意味ありげなものを匂わせて、もう一度当事者と目を合わせた。何かしでかすのではないかと緊張の色が見え隠れしている。私からしてみれば、視野が狭くなっている君たちの方がよっぽど――。

 そういった内容で相手の気を煽っても良かったのだが、すんでのところで留まり、より良く憤慨させる煽り以上の素晴らしい妙案を思いついた。悪魔にでも取りつかれたような気持ちでふわりと作り笑いを送った私は、花瓶を手に取ると皆の視線を受けながら歩を進める。他のクラスメートも目は合わせてくれないものの私の動向は気になるようだ。向かう先は私の席から前に三つ、右に二つのとある席。私が何をしようとしているのか見当がついた一人がやめろと叫んだ。しかしその行為はまるで私へのファンコールのようにも思え、よけいにリミッターを外す助力を担ってくれる。

 特別丹念を込めて掃除されているらしく、やけに小綺麗なその席は主人への支持をそのまま浴びているらしかった。いつか戻ってくるのだと置いてあるままの教材も、その時遅れがないようにと、毎日更新される当番制の要点ノートも、全てが私の行動の一助になる。興奮で脳がズキズキ傷んだ。身体中が燃えるような熱を帯びていて、クラスメートの声が急に遠く感じてしまう。


 ほんの一瞬、小さな躊躇が頭によぎって。


 倫理のメーターを振り切りながら、歯を食いしばりながら、震える手先を抑えながら、私は花瓶をことりと置く。

 意味は哀悼。それを知らないクラスメートではない。

「こうが正しいでしょう?」

「ふざけるな——」

 頭に血を上らせた犯人たちは思わず席を立ち、私に詰めかかろうとする。いやいや何が間違っているのだ。私はただいつまでも認めないクラスメートに事実を教えてあげようとしているだけではないか。感謝こそされど、怒りに体を震わせて襲われそうになる道理なんて全くない――。

 突如視界が明滅した。

 正確には左の方。私は殴られたのだ。揺らいだ焦点を殴った張本人に向けると涙をうんと流していて、赤くなっている顔にはやはり怒気が滲み出している。私を殴った張本人なはずなのに、まるで自分が殴られたかのような醜い顔が大口を開く。

「どうしてあんたが生きているのよ!」

 眼前での叫びは耳にキンキンと響いてやたらうるさく感じた。なぜ生きているのか。そんなのわざわざ聞くまでもない。私は再三言っている。

「決まっているでしょう」

 いつの間にか私も涙していた。殴りが思った以上に痛かったのか、滂沱と溢れる涙は止まることを知らず景色を

 濡らす。こんなことを言わせる輩を心底恨んだ。爪が手のひらに食い込み、心臓はドグドグとグロテクスな音を奏で、きゅうと狭くなった視界では青黒い影たちがやはり怒りの目を向けている。

 それでも口に出さなければいけなかった。

 そうでないと私は折れてしまうから。そうでないと、あなたを綺麗な感情で見ることは出来なくなってしまうから。一生恨み続けることになりそうだから。だから、私は。

「あの子は自殺をして、私はそんなことしなかったからよ」

 遂に怒りが頂点に達したらしく、目の前の子は私に飛びかかってきた。押された拍子に私の背があなたの席に当たり、置いた花瓶が倒れ、床で弾ける。もちろん中の水も零れ、あなたの席の周りは大惨事と化した。相手は爪を立てて私の腕を握りしめ、それは先生が教室に来るまで続いていた。後に相手の方は先生に呼ばれていたが、私の方は全くのお咎めなしだった。

 あなたが死んだ四日後の朝のことだった。


 ■


 その事実が教師の口から告げられた時、私は話の荒唐無稽さに思わず吹き出してしまったのだった。あまりにも突飛なもので信じられず、鼻で笑うしかできなかったというのが理由だと思うのだが、いかんせんタイミングが悪かった。皆はその内容で愕然としていた空気内でやってしまったのだ。さらに言うとその行動を私がやったというのもいけなかった。おそらくあなたと一番行動を共にしていて、中身の部分を除けば、異質な部分まで含めてなぜか瓜二つな容姿。あなたの交友関係で一番近しいところにいる間柄で、一番最後に話したとも思われる第一被疑者にして第一参考人。そんな私があなたの死を笑ったのだ。根も葉もない噂が立つのには条件が揃いすぎていて、元から私を良く思わない人間が一定数いることも相まって、数日も経つと、もはや私への悪意は日常の様を帯びていた。

 もっとも、火に油を注いだのは私自身だから何をいうつもりはないのだが。

 凄惨たる一日にため息をつきながら、誰もいなくなった放課後の教室で私はあなたの机を撫でた。いかに綺麗にしているとはいえ塗装なんてとっくに剥げた古い木製の机だ。朝に倒れた花瓶の水が染み込んでいて、少しばかりの湿り気と濡れた木特有の癖の強い匂いが鼻をつく。

 その中に、あなたの香りは残っていない。物寂しくはあるが、それが現実なのだ。

 あなたは死んだ——

 教室に刺し込む赤みが増した光芒を辿ると斜陽が目に入る。特異な目玉を持った私は光にめっぽう弱く、遮るものがないとその方向を向けもしない。今は手で覆っているが、普段はいつも間にあなたがいた。

 大丈夫だからと。私よりも濃い三重円の目を太陽で光らせながら、あなたはいつもそう言った。記憶の中のあなたはこう続ける。

「私は、そういう人間だから」

 弱者である私以上に脆いはずなのに、いつも弱者に寄り添い導く異常なまでの優しさ。あなたをあなた足らしめている要素がその記憶に全て詰まっていた。そのパステルカラーの目に、未来はどんな風に映っていたのだろう。

 考えても仕方がない。しかし、考えずにはいられなかった。


 だって、あなたは理想家だったから。


 なのに。

「……よそう」

 考えることを辞め、作業に移る。

 まず、カバンから取り出したサンドペーパーであなたの机についた傷を整える。朝の揉め事以外にも一度喧嘩があり、その際男子の袖ボタンがあなたの机を削ったのだ。皆私に釘付けで誰も気づいていなかったけれど、跡は目に見えてわかる程。丹念に磨き、今度は目が細かいもので滑らかにする。水を含ませた布巾で木屑を取り除いたら乾くまでしばらく待機だ。もう一度、教室の周りに誰もいないことを確認すると、恐る恐るあなたの椅子を引いて腰掛ける。

 座りさえすればなんのことはない、ただの椅子だ。大差ない私とあなたの身長では、黒板の位置もそう変わらないだろう。前の席に座る生徒は背丈が高い方だから視界取りには苦労したはずだ。若干首を横に傾けて教師の話を聞いていたあなたの姿が思い出される。

「端末に投影された教師の姿もいいけれど、やっぱりリアルが好きだからさ」

 この時ばかりはぽりぽりと頬を掻きながら、照れ臭そうに笑っていた。日夜繰り返す大言壮語に比べたらよほど言いやすいことだろうに、こういう時には人間味を曝け出した。結局、あなたの考えはわからずじまいだったけれど、人間味を残した姿は意味もなく私の心を震わせた。

 あなたのことを考えれば考えるほど、なんとか心臓に巻きつけた粘着ガーゼをベリベリと剥がされていくような感覚に包まれる。その帯は安物故にいたく張り付いてきて、しかも皮まで持っていこうとするもんだから私の胸中は激痛に襲われる。患部を押さえながら蹲り、私はひとしきり泣いていた。悲しいという感情はもうなかったように思う。ただ、痛かった。あなたがいないということが、たまらなく痛かった。

「……」

 どの様にもできなかったのだろうか。私にはあなたの決断を変えることはできなかったのだろうか。

 全てを諦めてよかったから、せめて生きていてほしかった。そう考えるのは、やはり幼稚に値するのだろうか。

 幼すぎる私には、大人すぎるあなたの決断を到底受け入れられなかった。やはり違う。私と背丈は同じでも、見ているものは全く違う。

 朝、クラスメートの涙ながらの訴えが耳に蘇る。

『どうしてあなたが生きているのよ』

 ごもっともだ。あなたが生きていない世界の中で、どうしてのうのうと私が生き続けている。

 泣いて疲れて、自分のものではないような体を動かしながらのろのろと立ち上がり、自宅から持ってきたカラーオイルを布巾に浸し、丹念込めて机を磨く。勝手に学校の道具に手を加えるのはいけないことなのだろうけど、これぐらいはせめて許して欲しかった。未だ飲み込めていないあなたの死を、残されたもので慰めるぐらいは。

 夕日に照らされて、オイル掛けされたあなたの机はてらてら輝く。その光景を眺めていると、まだあなたが生きているようで幾分か心が落ち着くようだった。

「……何をしてるの」

 急にかけられた声に今度は私が跳ね上がる番だった。クラスの立場的に泣き腫らした顔を見られるわけにも行かず、首を僅かに傾けて、鋭い目つきを声の主に送る。

 そして思わず目を見開いた。

「……それ、あの子の机よね」

 そこにいたのは見慣れない少女だった。まだ幼さが残る顔つきを鑑みるに、見た目は12、13、おそらく私とそう変わらない。短く切り揃えられた髪型に、シンプルで無地なじんべいを着付けていて、そこから覗く、病的なまでの白い肌。ひどく場違いな見た目だが、一層際立たせているのは彼女の体毛の色だろう。

 混じり気のない白だった。

 今まで一応人間として10年余り色んな他人を見てきたが、こうも違和感を覚えたのは人生で二度目だった。

 髪の毛だけではない。眉毛にまつ毛、どれもがまるで色を知らなかったとでも言うかのように純白な様を呈している。それが斜陽に当たってキラキラと黄金色に輝くものだから、まるで加工した画像、あるいは映画か何かのワンシーンのようだった。

 言葉を失い、見とれることしかできなかった私に、彼女は後退りしながら、それでも確認しなければと、はったとした顔で口を開く。

「それに、その机、何か塗ってる?」

 若干強張った物言いを見るに、私を訝しく思うための噂はしっかり聞き及んでいるようで、途端私の興味はどこかに移ろう。悪者に仕立て上げたい人に涙跡を見せるほど、私は臆病者ではないのだ。

 見開いた目が細まっていくのがわかる。幻想的な一枚絵は急に色褪せ、雑多な風景に置き換わる。

「……だから何」

 自分でも驚くぐらい底冷えする声が出た。初対面の相手に流石に申し訳なく思ったが、とはいえ口に出した言葉はもう取り消せない。仕方なく、相手の反応を伺うことにする。

「そ、その声は、それじゃあ、きみはやっぱり」

 どうしてだか、彼女の反応がイマイチおかしい。怯えもせず不信的でもなく、目を瞬かせ、声は上擦り、歓喜の色を見せている。私が思う態度ではない。だが、この表情は知っていた。

 きっと誰からも見せられたことのない表情だ。母からも、クラスメートからも、恐らくあなたからも。感情の数なんて高が知れていて、これぐらいは別段気に留めることではないのかも知れないが、それでも違和感を覚えずにはいられない。

 なぜだか後ろめたさが背をついた。私はおもむろに目線を逸らし、横の窓に視線を這わせる。

 反射された私の姿が写っていた。赤に黄色を混ぜ込んで、血とも花ともなりはしない黄昏が、私の後ろから後光のように刺している。真黒な影は更に陰影を増し、その真ん中で、爛々と光る青と赤と黄色の三重円が確かに私の姿を捉えていた。

 この姿はまるで——

「——あ」

 ああそうか、と合点がいく。彼女が浮かべるその顔は、その声は、その表情は知っている。数年前、私とあなたが出会った時。そして数年間に渡って、きっとあなたが死んでしまうまで、必ず抱いた私の顔。

 実に嫌な気持ちだった。共感性羞恥とも、若気の至りを掘り返された時とも似たようで少し違う。上記とは違って、今なお生き続ける苦さが胸の中には残っていた。

 まるで、浄玻璃の鏡の元に立たされた亡者のよう。閻魔の御前を前にして、己の罪が包み隠さず映し出されるのだ。

「やっぱり『——』よね」

 あなたの名前が告げられる。そして彼女が浮かべる表情は、

 まごうことなき、『憧れ』の色が宿っていた。

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