逝きる~下層場はこちら~(1)

潘ゆうり

第1話 入り口

「実は君の移動先は、東京から500km以上も離れたS県の村なんだ。

遠方で大変かもしれないが…人手不足の手助けと思ってお願い出来ないか」


『村……ですか』


「あぁ。ここが今、心理カウンセラーを求めているらしいんだが…如何せん場所が場所だけに、来る人がいないようなんだよ」


『……でも、何で私なんです?カウンセラーなら他にもいますよね』


「…………」


『……秋山先生?聞いてますか?』


「松本くん、これは君じゃないとダメなんだよ」


『……え?……どういうことですか』




━世間は8月16日 暑い夏の真っ只中

院長から突然の人事異動命令を出された松本黎子は、明後日から勤務する病院があるS県の村へと向かっていた。

S県T駅から路線バスで約50分もかかる山の奥深くにその病院はあるという。


東京からS県S駅まで新幹線で約3時間半。

そこからローカル線でT駅まで20分という長旅の末、T駅に降り立った。



『はぁ……やっと着いた……』


T駅に到着するや否や、黎子は駅周辺の景色を見渡した。

避暑地と呼ばれているだけあって、関東のジメジメした空気とは違って体感は涼しく感じた。


駅の改札はホームと連携していて、改札を出ると直ぐ小さな広場があるが人の気配はあまり見当たらない。

先ほど駅に降り立った人々も黎子を含めて5人程度だった。

広場の奥に青文字で[タチマート]と書かれたローカルなコンビニエンスストアが一軒ある。

その手前に長椅子のベンチが一つだけ置かれた屋根のないバス停が見えた。


「ここから更に奥地に向かうのかぁ……」


黄色い薄手のカーディガンに黒のワンピース。ヒール付きのサンダルで重い白のキャリー鞄を引きずりながらバス停の方へ向かう。

手書きで乱暴に書かれた時刻表を確認すると、T村入り口への路線は今から12分後に到着予定とのことだった。


「……ありゃ」


場所が場所だけに数十分以上は待たされることを覚悟していた黎子は少しだけ拍子抜けしてしまう。

それでも早い分には都合が良い。ベンチに座って待とうと決めた時


グルルルルル…


「あ…」


朝の始発で東京を出発し、T駅に到着するまで何も胃袋に収めていなかったことに今更気が付いた。

ちょうど近くにコンビニがある。そこで何か飲食物を買って行こうと思い立ち向かった。


…店内に入ると中年の男性が一人レジに立ち、黎子が入ってきたことに驚いた様子で


「あ、いらっしゃいませ」


と声をかけてきた。

店内にお客は黎子一人。奥に進むと、ローカルな雰囲気が漂う地方限定の食品が並んでおり、思わず手に取ってみる。

食品は地域限定の菓子パン、飲み物は無難な緑茶を選んだ。

…しかしよく見ると、初めて目にかかるパッケージのペットボトルだった。


(…これも地域限定品かな)


あまり深追いはせずそう納得させた黎子は商品を片手に持ちレジへと向かう。

先ほどの中年の店員が「いらっしゃいませ」ともう一度会釈をしバーコードを読み取り始める。

すると突然


「何処からいらしたんですか?」


と店員から声をかけられた。

黎子は一瞬驚くも、


『あ、東京からです』


と答えると


「へぇ…よくこんな危険なところに来れましたね」


店員が皮肉混じりに言う。


『危険なところ……?』


黎子が不思議そうに尋ねると、店員は半笑いをして何も答えない。


「お会計621円です」


『……あ、はい』


店員の言葉に妙な不快さを感じた黎子は、財布から1000円札だけを出しトレーに置いた。


「329円のお釣りです。ありがとうございました」


お釣りを手渡された後、購入した商品の袋を取り足早で外に出る黎子。

再びバス停へと戻りベンチに腰をかけると、先ほどの店員の発言を思い返していた。


【よくこんな危険なところに来れましたね】


「………………」



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


東京・N大学病院


院長室の椅子にかけ、秋山はある一枚の資料を眺めていた。




【S県T町T村 嗜食病院】


業務形態


8;30 出勤・開院準備

9;00 午前の受付開始

12;30 午前の受付終了

13;00 休憩

14;30 午後の受付開始

18;00 診療終了 片付け

21;00 退勤


(診療終了時間から退勤時間までがやたら長いな。この時間は一体…)


険しい顔つきで資料に眼を向けながら、湯飲み茶碗に入れた熱々の緑茶を一口啜る。湯気が顔に覆いかかり、老眼鏡のレンズに白い膜が張った。

今日のお茶は少し変わった味がしたように感じた。お茶の葉を入れすぎたのか…?と秋山が湯飲み茶碗の中を覗き込んだ時。


トントン


「失礼します」


突然ドアが開く音と共に女が入ってきた。


「……君か」


看護師の神山梨絵だった。


「先生、お昼休憩中すみません。急患です」


「おう、分かった」


急患と聞き、秋山は直ぐに脱いでいた白衣を着服する。

資料と湯飲み茶碗を院長机に置いて席を立つと、足早に部屋を出ていった。


院長室に残った神山は、先ほど秋山が手にしていた資料が気になり机に近付いた。

中を覗き込むと


「…………!!これ……」


ガチャッ


するとドアノブを回す音が聞こえ咄嗟に机から離れた。


「神山くん、何してるんだよ!君も早く来なさい!」


後に続いて来ない神山を呼びに戻って来た秋山が、ドアを開けたまま怒鳴る。


「あ、す、すみません」


慌ててドアの方へ駆け寄ると、秋山が無言で白髪混じりの薄い眉を吊り上げ鬼のような形相でこちらを睨んできた。何か言いたげに唇を結んで曲げたが、言葉を飲み込み


「……行くぞ」


と一言だけ吐いた。

凄みを効かせた秋山の姿を初めて見た神山は、驚いて腰が抜けそうになるのを押さえ

歩き出した秋山の後を追うように急患室へ小走りで向かった…。



つづく



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逝きる~下層場はこちら~(1) 潘ゆうり @Raiyan1221

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