第11話

 首元を締めるネクタイを軽く緩めて息を吐く。それを見ながら横に座る浅香が軽く笑う。いつもはダークトーンのスーツを着ている彼女も、今日ばかりはピンクベージュの明るいものを着ていた。

「普段からそういう色、着ればいいのに。似合ってる」

「ありがとう。でもあれだけ会社でからかわれたからね。デートかって」

「はは。それだけ似合っているということだよ」

 ふふ、と小さく笑いながら浅香は窓の外の風景を見る。窓の外を流れる景色は暗闇に染まり始めたビジネス街から繁華街のネオン通りへと姿を変えていく。無口なタクシーの運転手は、何も言わずにハンドルをそっと左に切った。

 なんとはなしに腕時計を確認する。18時開場の18時半スタート。今は17時55分。道も案外空いているし、この調子でいけば十分に間に合う。

「結局、八坂君来られないんだ」

「ああ。結構しつこく誘ったんだけどな」

 背もたれに身体を預けながら今日の同窓会について考える。何度かあの後も八坂を誘ったが、仕事が忙しいと断られるばかりだった。ふ、とため息を吐きだしながら、自分の胸元に入っている煙草を確認する。

 仕事中は吸わないことにしている。一般客に対する営業が主な業務であり、煙草の臭いを嫌がる人間もいる以上、吸わない方が得策だ。浅香も喫煙者ではあるが、彼女も同じように仕事中は吸わない。

「浅香、とりあえず会場着いたら一服しよう」

「賛成。私も同じこと考えていた」

 合わせた瞬間に、少し困ったように笑う。俺もそれに笑って返した。



 ホテルに着いてすぐ、不味い煙を吐き出してからのんびりと会場へ向かう。目的地は3階の小さな宴会場。軽くネクタイを締め直しながら浅香と並んで足を進めた。

 会場前に置かれている小さな机に、見覚えのある男が座っていた。横に並ぶ浅香と目を合わせれば、気付いたらしい彼女も視線を持ち上げて小さく頷いた。

 近づけば、その顔が持ち上がり視線がこちらにぶつかる。その瞬間、ふわりと表情が緩む。

「来たか。澤木、浅香」

「久しぶりだな、沢渡」

「久しぶり、沢渡君」

 はは、と小さく声をあげて受付の男は笑った。短く刈り上げられた髪に、グレーのスリーピーススーツ。昔と変わらない快活な表情は、高校時代の面影を十分に残している。当時に比べれば齢は十分に重ねていたものの、その身にまとう人好きする空気は何も変わっていない。

 招待状を沢渡に手渡しながら、会費を支払えば、毎度あり、と笑いながら沢渡が名札の付いた赤い花を手渡してきた。

「卒業したクラスでその花、色分けしているから付けとけよ」

「凝ってるんだな」

「出来る男と言ってくれ」

 ふふ、と浅香が笑いながら受け取ったオレンジ色の花を胸に飾る。俺も目の前の沢渡も同じ色だ。

「じゃあまた後でな」

「ああ」

 軽く手を挙げて会場の中に入る。その俺に続くように、浅香も軽く会釈をしてついてきた。

 小さな宴会場の中には50人ほどの人間が集まっていた。どこか面影のある男女がそれぞれ会場のいたるところに置いてある、小さな机に集まって会話を弾ませている。

 キョロキョロと視線を彷徨わせているうちに「雫!」と奥のテーブルから声をかけられる。振り向いて確認すれば、浅香が目を輝かせて手を挙げる。そして速足で俺の横を抜けてそのテーブルへと近づいた。数歩遅れて、俺もその後に続く。

「久しぶり、雫。元気だった?」

「本当に久しぶりだね、絵梨、由紀子」

 俺や浅香と同じようにオレンジ色の花を胸元に飾った女性二人が浅香を囲うように立つ。その顔にはどこか見覚えがあったが、すぐに名前は浮かんでこない。

 一歩遅れて近づいてきた俺の存在に気が付いたように、その二人も顔を上げて俺を見た。

「あ、もしかして澤木?」

 顎先で真っ黒の髪をまっすぐ切り落としたボブスタイルの女性が微かに目を細めてこちらに視線を向けた。探るような視線に小さく頷く。

「ああ、そうだけど」

「うわあ、変わらないね。すぐにわかった。ねえ、私のことわかる?」

 訝しそうな表情を一転させ、瞳を丸く広げた女性に身体を寄せられ微かに身体を引いた。その顔立ちには記憶がある、が、名前がすぐには浮かんでこない。微かに口元に笑みを浮かべながら頬を人差し指で引っかくと、女性はすぐに表情を不満そうなものに変える。

 呆れたようにため息を吐きだす女性に、浅香は喉奥でクスクスと楽しそうな笑いを浮かべてこちらを見た。

「本当に、澤木は人の名前を憶えてないよね。昔からだけど」

 表情そのまま呆れた声で、女性は腕を組んでこちらをじろりと見る。座った視線に居心地が悪くなって視線を逸らす。横に立つ明るい髪の少女は困ったようにこちらを見るだけだ。

「……ごめん」

「ま、高校のときからでしょ」

 軽く謝れば、楽しそうに浅香が視線をこちらに向けた。気まずさそのまま乾いた笑いを浮かべれば、座った視線を向けてきた女性が諦めたように「いいよ」と声をかけた。

「もともと澤木ってそういう感じだったよね。同じクラスだったのに、卒業の時でも名前を覚えてもらっていたのか自信ないもの」

「私も。だから人気あったのにモテなかったよね、澤木くん」

 浅香を囲うように二人の女性がそんな話を零してきたが、やっぱり名前は思い出せない。はは、ともう一度笑いを零した。

 と、隣からつい、とグラスを持った手が差し伸べられた。その手の持ち主を見れば、先ほど見た沢渡だった。

「なに、澤木がモテないって話? それ俺も聞きたいな」

 にやにやと楽しそうな笑顔を浮かべながら俺にグラスを渡してきた沢渡を見ながら「うるせぇよ」と返す。目の前の女性三人は楽しそうに声を上げて笑う。

「沢渡も不思議とモテなかったよね。サッカー部のエースだったのに」

 思い出したように浅香が声を上げる。ビールの注がれたグラスをそのまま沢渡から受け取り、くい、とグラスを傾ける。沢渡が懐かしむように笑いながら、俺と同じようにグラスを傾けた。

 気が付けば浅香の手元にもビールの入ったグラスがあった。残りの女性二人の手元にもグラスはあったが、中身はオレンジ色の何かだった。オレンジ系の酒か、それともオレンジジュースなのか。

「ほら、俺彼女いたし」

「ああ、あのサッカー部の後輩の」

 懐かしい話に花が咲く。ビールの炭酸と苦味を楽しみながら、ゆっくりと意識を高校時代へ傾ける。十年以上前のことだ、自分のことももちろんだが、浅香がバレー部だった記憶や沢渡がサッカー部だったことなど遠い記憶の沼の中へ落ちていた。

 ゆっくりとそれらの思い出を拾いあげながら、花咲く思い出話に耳を傾ける。話題は高校時代の恋愛話を超え、今の仕事の話へと移行していく。

「澤木は今何してるの?」

 顎先で揃えられたボブカットの女性、ようやく名前を思い出したバレー部の宮本からの声かけに視線を向ける。どうやら彼女は今美容師として生計を立てているらしい。

「俺? 浅香と同じ」

「え、同じって、業種ってこと?」

 もう一度グラスを傾けて中身を空にする。沢渡がすぐに俺のグラスにビールを注ぐ。ありがたく受け取りながら、宮本の質問に答えを返す。

「いや、会社も同じ。偶然だけどな」

「え、本当に?」

 同じバレー部の女性、金田も瞳を丸くしてこちらを見る。横に立つ浅香は全く困ったように、小さく頷いた。沢渡は口元をにやつかせたまま俺の顔を覗く。

 何を考えているか簡単に想像がつくのが嫌になる。浅香に視線を向ければ、彼女は視線を天井方向にふらつかせていた。

「やっぱり、浅香と澤木、付き合っているんじゃないの?」

「違うよ。まったく、この年にもなってからかうなよ」

 沢渡が俺の肩に肘を置いてするりと目を細めてそう尋ねる。困った返しをすれば、沢渡はその笑みを更に深くする。宮本や金田も、楽しそうに俺と浅香を見ながら笑っていた。

 まったく困ったものだ。小さくため息を吐きだして笑う。

「まぁいいや。それより今日、やっぱり八坂は来れないか?」

 沢渡がグラスを机に置き、テーブルにあるオードブルに箸を伸ばす。小さく頷いて「ああ」と返せば、思い出したかのように宮本が顔を上げた。

 それからその表情に苦い色を乗せた。浅香がその表情に首を捻る。

「澤木、八坂くんとまだ仲良いの?」

 怯えるようなその声に、半分ほど残ったグラスを小さなテーブルの上に置く。宮本は、不安そうにそのグラスを両手で握った。浅香も、宮本を心配するようにグラスをテーブルに置いた。

「まぁ、よく会うよ。今日は外せない予定が入ってるって話だけど」

「そんな」

 俺の言葉に対し、酷く怯えたように震えた声で宮本が声を落とす。その声は俺にぶつけられたものというよりは、自分に向けられていたようなものに感じた。そのまま迷うように瞳を震わせる。

 それから彼女は決意するように顔を持ち上げると、顎先でまっすぐに整えられたその毛先がふるりと揺れる。

「――八坂、五年前に死んだって聞いたけど」



 ***



 行きと同じく浅香と横に並んでタクシーの後部座席で並ぶ。二次会のお誘いもあったが、どうしても行くつもりになれず、仕事を理由に抜けてきた。浅香も同様だったようだ。

 微かに浮足だった空気が浮かんでいた行きの車内とは違い、帰り道は妙に重たい空気が肌をチクチクと刺激する。

「ねえ、澤木」

 言葉を選ぶように、掠れた声で浅香が口を開く。乾いた舌の根を潤すように小さく舌が、その赤い唇の上を滑った。

 が、視線も同じように俺の上を滑るだけで絡みあうことはなかった。そのまま上滑りした視線は足下に落ちていく。

「わかってる。八坂のことだろう」

 ぼそりと声を落とせば、浅香は微かに頷いた。瞬きと同時に、八坂のことを思いだそうとしたが、黒い影が浮かぶだけだった。

 あの倒れた夜以来、八坂とは会っていない。そしてそれ以来、八坂の姿を上手く浮かべることが出来ない。思い出そうとすれば、頭の中心あたりが小さく痛む。今も微かに走った小さな痛みに眉間を寄せた。

「死んだってどういうこと? 澤木、会ってるって」

「ああ。一週間前にも会っているし、昨日もラインで連絡を取っている」

「私も少し前に見かけたし。……ねえ、連絡取ってみたら?」

 浅香の言葉にスマートフォンを取り出して画面に指を滑らせる。ラインを起動して、連絡のない八坂とのトーク画面を引っ張り出した。

 昨日の朝以来、八坂からの連絡はない。昨日の朝の会話は他愛もないものだった。呼び出せば、俺がぼそりと溢した仕事の愚痴がいくつか並んでいる。

 キーボードを引っ張り、指先を転がした。

『話がある』

 それだけ書いておくれば、すぐに既読マークが落ちた。しばらく画面は変わらなかったが、しばらくしてすぐにスマホが震える。

『だろうね。翔平の家に行くよ』

 口元にたまった唾を呑みこむ。どこに、とは書いていないが目的地は一つしかない。返事も書かずに、俺はポケットの中にスマートフォンを押し込んだ。浅香は何も言わずに俺を見ていた。その視線に答えを返すように、視線を持ち上げて頷く。

「浅香、お前も一緒に来てくれるか」

 彼女は一瞬驚いたように視線を見開いた後、それからゆっくりと目を瞑って、頷いた。

 タクシーの運転手は、何も言わずに俺の家に向けてハンドルを切った。

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清廉なる殺人計画 妹蟲(いもむし) @imomushi

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