EPIZODA3−3 ノヴァーチェク





  

 サロンでの一悶着の後、執事の取りなしでどうにかラドミールの紹介は終わった。

 緊張にラドミールの口内も乾いてしまっていた。

 供されてもオルドリシュの剣幕に驚愕が勝り、それどころではなかったのだ。仕方がないことだったろう。

 控えていたメイドスルシュカが慌てて代わりを訪ねてくるのにラドミールは断りを入れる。冷たいものを飲みたいと思ったのだ。

 それが契機となり、遅まきながらオルドリシュが我に返った。

 聞こえよがしの咳払いののち、

「紹介は終わったようね。ならもういいわ。ラドミール、お部屋に案内しましょう」

 立ち上がった時だった。

 ノッククレパーニーズヴクがした。

 メイドスルシュカがドアを開け、入ってきた男が執事コモルニークに何事かを耳打ちする。ひとつうなづき、執事がオルドリシュに告げた。

「なぜっ」

 落胆から怒りへとあまりに速やかに変貌を遂げたオルドリシュの表情に、その場に居合わせたものたちが震えた。それほどの怒りの表情だった。 

 しかし、それは伝えられた内容に対するものとしてはあまりにかけ離れたものであったのだ。

 彼らにも、執事の告げた言葉は聞こえていた。

 曰く、

 公爵閣下が持ち直されました−−−。

 安堵を孕んだ執事コモルニークの声に、

「どうしてっ」

 叫ぶオルドリシュの声は対比をなす。

 顔色は部屋の壁紙のように染まっていた。

 柳眉を逆立て、オルドリシュはくちびるを噛み破らんばかりに食いしめた。

 形よく整えられた爪が掌を切り裂かんばかりに両手は握り締められ、小刻みに震えている。

 ぎちりぎちりとくちびるに歯がたつ。

 ぎちりぎちりと掌に爪が食い込んでゆく。しかし、長く整えられた爪は、肉を破るよりも先に、耳障りな音を立てて折れた。


 この女が、自分の妻なのだ。

 イジーク伯爵カレル・リボール・メドゥナは立ち尽くしたままのオルドリシュを見上げた。

「違うな」

 呟いた。

 こういう女にしてしまったのは己の罪なのだ。

 心変わりを、恋を、罪と思いはしない。

 しかし、それにより傷つけた女を目の前にして、罪悪感に囚われるのだ。

 こんなにもきつい女にしてしまったのは、己なのだと。

 確かに、婚約者としてあった時からたおやかとは言い難い女性だった。それでも、それは過去に王家であった家の女性としては当然であったのかもしれない。

 元々、カレルは外科医を志していた。

 プリュミスル公爵家分家であるメドゥナ家の次男である彼はオルドリシュの婿となり新たな家を設けるはずであったのだ。しかし、学生時代に触れることのあった外科医療に魅了されていた。領主と外科医を両立することは並大抵のことではできない。それでも、若かりし日のカレルは己であればできると考えていたのだ。彼は外科医療の勉強を諦めることはなく、そのうち、田舎の医療の貧しさに気づいた。たとえプリュミスル領であれども例外でなく、田舎にゆけばゆくほど医師の手は不足しているのだと。ならば己は田舎で彼らのために医師となろうと、若さゆえの理想を抱くようになったのだ。

 しかし、それならばオルドリシュはどうなるか。

 彼女に田舎暮らし、それもおそらくは貧しい生活などは出来はしないだろう。

 そう思いながら城下の下町の診療所の手伝いと公爵家に婚約者のご機嫌伺いに訪れて社交に参加する日々のなかで、彼は下町の娘と恋に落ちた。

 彼女は診療所の医師の娘だった。

 理無わりない仲になるのにそれほどの時は必要ではなかった。

 チェスラフとヴァネサとは、ふたりの間のこどもである。

 それがなぜイジーク伯を名乗りふたりのこども共々公爵家別館に暮らしているのか。


 これこそが罰なのだ。


 誰あろう、前プリュミスル公爵により己に課された、不貞への罰。

 婚約を不履行にした己に対する罰なのだ。

 そこまで己に自信などありはしなかったのだが、婚約不履行のせいでオルドリシュがこうなってしまう切っ掛けを作ったことへの、罰。

 こどもたちに罪はないが、おそらく、前公爵は彼らのことも憎んでいたのに違いない。

 彼の罪の証として。



「ああ、そうだわ。お見舞いに行かなければ」

 ふと思いついたというふうに、手を叩いてそう言ったオルドリシュに、

「それはご遠慮くださいとのことでございます」

 執事コモルニークが静かに諫める。

「なぜ」

 短く投げつける問いに、

「持ち直されたばかりでございますゆえ、いましばらくはご遠慮いただきたくとのことでございます」

「わかったわよ」

 ラドミール!

 鋭く名を呼んだ。

「はい」

 ソファポホヴカから飛び上がらんばかりに驚いて、ラドミールはオルドリシュを見上げた。

「あなたのお部屋に案内します。ついていらっしゃい」

 有無を言わせぬ態度に、ラドミールは彼女に従ったのである。



 ラドミールが公爵と顔を合わせるまでにまだ一ト月が必要だった。





***** 後書き *****





 久我真樹さん著『執事の流儀』を読み出したので、ちょっと頭の中がわやですよ。とりあえず、1800年代半ばくらいは、微妙な時代なんでしょうか? 貴族斜陽の時代の初めくらいかな? パリ万博くらいがもう洒落にならないくらい斜陽なのだろうか? ジョンブル、いや、富豪が貴族にとって代る時代。アメリカの富豪が没落貴族の誰それと結婚して〜とかって騒がしくなるあたり? 執事もちょっとヴァレットと混同されるようなおうちもあり始める時代かな? まぁ、そこまで厳密に書けませんが。ご主人様に服を着せたりするのはヴァレットの仕事なんですね。執事よりヴァレットの方が「黒執事」とか「伯爵カインシリーズ」とかでイメージする執事っぽい。ヴァレットは、ご主人様だけにお仕えするような立ち位置。まぁお客様にも〜ですが、基本、独立してご主人様直々の命に従うっぽいですね。でも、給金は執事より低い。悲しいね。とか思ったりvv でもやりがいはあったみたい。生涯ヴァレットでいた人もいたようですね。

 読み間違いもあるかもしれませんが。

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Drž mě pevně 〜ギュってして〜 七生 雨巳 @uosato

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