偽教授接球杯Story-4

偽教授さんの書いた3話目はこちらです。こちらをお読みになったうえで、この先をお読みください。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054893829031/episodes/16816927859902159265


 奇妙な味の料理に薄気味悪さを感じながら次の部屋に入ると、そこは家具らしき家具の見当たらない小さな空き部屋のようだった。

 正面には曇ってその先の見えないガラス戸、ガラス戸の左側の壁には今入って来たのと同じ形の木製の扉。

 ガラス戸の前に置かれたバスケットが二つ、そして部屋の真ん中には先程机に乗っていたイーゼルを大きくしたものが、ポツンと置いてある。

 イーゼルに乗せられた白い板には、やはり黒いインクの美しい筆跡で文字が描かれていた。


『外はさぞお寒かったことでしょう。

 この先の浴場でお暖まりください。

 代わりの御召し物も御用意いたしました。

 濡れた服はどうぞ籠の中へそのままに。』


 私は慌てて、バスケットの中を見る。

 白いタオルに、寝間着のようなゆったりした白い木綿のシャツとズボン、それに下着と簡素な布製の履物が入っていた。

 服を広げてみれば、私の身体にあつらえたようにぴったりの大きさだ。

 もう一つのバスケットの中も確認してみれば、タオルは同じ大きさだが、妹の身体にちょうどいい大きさの白いワンピースと下着、布製の履物が入っていた。

「なんだ、これ……」

 私はそれを見て警戒心を強める。

 あまりにも準備が良すぎた。

 こんなに測ったような大きさの衣服や履物をこの短期間で用意するなど、人間には不可能だ。

 俺は恐る恐る正面のガラス戸を開けた。

 ふわりと湯気がこちらの部屋に入って来る。

 それと同時に、ふわりと出汁フォンのような香りが鼻を擽った。

「確かに、バスタブではあるが……」

 タイル張りの床の先にある大人が十人一緒に入ってもまだ余裕のありそうなバスタブ。

 その中で湯気を立てるお湯は、それこそ何時間もかけて煮出し、丁寧に灰汁をとったスープのような澄んだ黄金色をしている。

「グレーテ、様子を見てくるから少し待っていておくれ」

 不安そうに頷くグレーテの頭をを一撫でして、俺は浴場に足を踏み入れた。

 バスタブの湯に人差し指を浸してみれば、入浴するのに丁度良さそうな温度ではある。

 浸した指を舐めてみれば、スープにちょうどいい出汁フォンの味がした。

「これをさっき出してほしかったものだが……」

 とはいえ、浴槽の湯を飲むのも気が引けるし、スープのような風呂に入れというのもおかしな話だ。

 そこまで考えて、ふと、その昔、乳母に聞いた御伽話が脳裏をよぎる。

『森の奥には、魔物の住む城があるのですよ。道に迷った旅人を城に引き入れ、もてなして、油断した所を食べてしまうのです。城主の言われるがままに食事して、入浴して、就寝すると、美味しく料理されて、寝ている間にペロリと食べられてしまうのです。よろしいですか、まず決して見知らぬ森の城には入らぬこと、もし入ってしまっても指示には従わぬこと、もし指示に従ってしまった時は――』

 記憶を手繰り寄せるが、その先が思い出せない。

 私達はもう城に入ってしまったし、一つ目の指示にも従ってしまった。

 先程の料理が、私達の内臓に下味をつけるためのものだとしたら?

 この湯舟は我々を適温にして外側にも味を染みこませるためのものだとしたら?

 この先の部屋で待ち構えているものが寝室だとしたら、私達は明日の朝には魔物の腹の中に居るではないか?

「――ああ、それなら、ちょうど良かった」

 乾いた笑いが込み上げる。

 目的が分かれば、怖いことなど何もない。

「姿の見えぬ城主様、温かいおもてなし、誠に感謝申し上げます!」

 私はグレーテのいる一つ前の部屋に戻りながら声を張り上げた。

「しかし、もし、我々兄妹を召し上がろうとお思いなら、それは得策ではありません!」

 浴場を出て床に片膝をつき、ガラス戸の前に居たグレーテを抱き寄せながら続ける。

「なぜなら我々は、幼い頃より毒を仕込まれている身体だからです!」

 高らかに宣言すれば、部屋の真中に置かれたイーゼルの文字がすうっと消えた。


『何か御事情がおありですか。

 差し支えなければお聞かせください。』


 一度消えて代わりに浮かび上がった文字は、私の言葉への返答だった。

 不可解な現象だが、ここが魔物の城であるならば、人知の理を越えていてもなんら不思議はない。

 それに、魔物とは思えない程、丁寧な文面である。

 それは、これまで接してきた大人達の誰よりも真摯な言葉だった。

「私と妹は、王室の血を引く不義の子です」

 ヘンドリックス男爵家は、王室所縁の訳有りの子どもを引き取る特殊な家系だ。

 低い爵位なのは、王室との関わりを極限まで周囲に悟らせないための措置の一つでもある。

「長兄と次兄はヘンドリックス男爵夫妻の子どもですが、私とグレーテは先代の国王の落とし種です。王室の嫡子にもしもの時があったときの保険として、私達は生かされてきました。そのため、幼い頃から万が一の暗殺などに備え、少量の毒を毎日飲まされ、毒に対する耐性をつけさせられてきたのです」

 私は姿の見えぬ城主へ説明した。

「妹は三年、私は十四年程、毒を飲み続けています。この毒が抜けない限り、城主様が安全に召し上がることが出来るとは思えません」

 魔物に人間の毒が効くか否かは不明だが、餌にするには不安な要素だろう。

「また先程、崖崩れで家族とはぐれたと申し上げましたが、あれは本当のことではありません――私達は、この森に逃げてきたのです」

 私はグレーテを抱きしめる手に力を籠める。

「先日、現国王陛下に三人目の男の子がお産まれになりました。一人目の王子様は八歳、二人目の王子様は五歳になられ、お二人とも健やかにお育ちです。そこに来ての三人目の男の子の誕生でした。私達の母親であった貴族の家系は先の政変で全て処刑され、現王室には目立った政敵もありません。残された私達二人は、もはや不安の種なったと判断され、殺されかけました」

 ヘンドリックス男爵夫妻が私達を馬車に乗せてこの森まで連れてきて殺す予定だということを知り、私とグレーテは隙を見て馬車から逃げ出した。

 男である私はもちろん、口のきけないグレーテを生かしておく理由もない。

 そうしてこの嵐が幸いしてどうにか追手をやり過ごすことができ、この城までたどり着いたのだ。

「行くあてもなく、ほとんど死んだも同然のこの命……今更、惜しむほどのものではありません。しかしながら、最後にこうして温かなおもてなしをしてくださった城主様を毒で蝕む可能性があるのは、あまりにも忍びないことでございます」

 私はそう言って、腰に差した銀の短剣を抜き、左手の小指の先を少し切った。

 私の血が触れた刃が、血液の色のせいだけでなく黒く変色する。

 服の裾で血を拭っても、銀は黒ずんだままだ。

 剣に向かない柔らかな銀製の短剣は、戦うためのものではなく、毒の有無を確かめるためのものである。

「御覧ください。私の血は、銀が変色するほど毒が溜まっているのです。どうか、我々の身に蓄えられた毒が抜けるまで、召し上がるのはお待ちになっていただけませんか」

 私は短剣を掲げ、見えぬ城主に訴えた。


『御事情、承りました。

 それでも身体が冷えたままなのはよろしくありません。

 どうぞ、入浴して身体を温め、隣の部屋でゆっくりお休みください。』


 食べるとも食べないとも答えず、黒い文字が書き変わる。

 それと同時に、グレーテが小さくくしゃみをした。

「……分かりました」

 妹の身体はすっかり冷え切っている。

 やむを得ないが、入浴して温めてやったほうがよさそうだ。

 グレーテが服を脱ぐのを手伝ってやり、自分も服を脱いで、再び浴場に入った。

「スープじゃなくなってる」

 タイルで足を滑らせないようグレーテの手を引いてバスタブの中を見れば、先程は黄金色をしていたお湯が、透明な色になっている。

 ひとまず、今日食べられることは免れたということで良さそうだ。

 二人してゆっくりと温まり、用意されていた清潔な寝間着に着替えて、隣の部屋の扉を開けた。

 そこは寝室らしくフカフカのベッドが二つ並んでいて、その前にイーゼルに白い板が立てかけてある。


『ごゆっくりお休みください。』


 見えぬ城主の許しを得て、私とグレーテは心身の疲労から泥のように眠った。


《つづく》

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