ハンスとグレーテ、もしくは準備の良い森の城
佐倉島こみかん
偽教授接球杯Story-2
※こちらは2話目です。『偽教授接球杯Story-1』は下記をお読みください。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054893829031/episodes/16816700429531560495
私は、その光景を見て、思わず幼い妹を抱えた手に力を籠め、恐る恐る中に入った。
「……!」
生まれつき口のきけない妹――グレーテは、目の前に並ぶご馳走に目を丸くしている。
無理もない。同じ歳の友人達の中でも背が高い方の私が5人は縦に並んで寝そべることが出来そうな長いテーブルに、寒さ厳しい北部の高山育ちの私達にはあまり馴染みのない、トマトやオリーブ、海産物がふんだんに使われた料理が所狭しと並んでいるのだから。
「不躾な真似をして申し訳ありません! 私は、ハンス・ヘンドリックスと申します。こちらは妹のグレーテ・ヘンドリックスです。エッセル領ヘンドリックス男爵家の三男と末妹です。この嵐の中、崖崩れに遭い、家族とはぐれてしまったため、勝手に入ってしまいました……本当に申し訳ございません! あの、本当に、どなたか、いらっしゃいませんか?」
湯気の立つ料理があるということは、誰かが作ったばかりということだ。
それを見て、やはり誰か近くにいるのではないかとキョロキョロしてしまう。
「……っ、……!」
そのとき、グレーテが僕の肩を叩いて、机の上に不自然に置かれた小さなイーゼルに立ててある白い板を指した。
そこには黒いインクで、美しい文字が書かれている。
『どなたでもご自由にお召し上がりください。
ご遠慮は要りません。
着席の前にコートは脱いで、身体の水気をよくお拭きください。
お風邪を召されませんように。』
机の上の料理に気を取られて気づいていなかったけど、机のすぐ横の床に、バスケットに入った清潔なタオルまで置いてある。
料理については一旦置いておくとして、ずぶ濡れの私達にとって乾いたタオルはありがたかった。
「ええと、すみません、それではタオルをお借りします!」
私は一言断ってから、グレーテを床に立たせると、コートを脱がせてタオルで濡れた髪や身体を拭いてやった。
コートハンガーが見つからないので、濡れたコートは長い机の両脇に沢山置かれた椅子の背もたれに掛けさせてもらう。
「兄さんも自分の身体を拭くから、少しだけ待っているんだよ」
私が言い聞かせて椅子の一つに座らせれば、グレーテは小さく頷いた。
口がきけないとはいえ、グレーテは利発な子だった。
まだ5歳だけど文字の読み書きは出来るし、他人の言うこともきちんと聞ける。
私がコートを脱いで身体を拭いている間も、勝手に料理に手を出すことなく、大人しく座って待っていた。
私も一通り拭き終えてグレーテの隣に腰かける。
ずっと森の中を歩いてきたので、椅子に座れるだけでもありがたかった。
しかし、『遠慮は要りません』とあるが、本当に勝手に食べてしまってもいいものだろうか。
悩んでいると、隣のグレーテのお腹が小さく鳴った。
小さくても淑女としての躾を受けていた妹は、お腹を両手で押さえて恥ずかしそうにしている。
「そうだね、お腹が空いたよね。お言葉に甘えようか。お金は持ってないけど、銀の短剣と懐中時計がある。お代は、それを受け取ってもらおう。一応、食べても大丈夫そうか、先に兄さんが様子を見てみるからね」
このよく分からない状況でも、背に腹は代えられない。
私は野菜と二枚貝の入った赤いスープに匙を入れた。
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