アルバトロスの確率


時刻は午後19時。




場所は自販機のある休憩スペース。




手には熱いミルクティー。






「私が教えてあげますって…花音ってさ、、言うことがいちいち大胆だよね…」





腰掛けたベンチの隣には、半ば呆れた顔した憲子。





「…だって、、他にどう言えばいいかわからなかったんだもん…」





思い出すだけでも恥ずかしい私は、開けてない缶をもてあそぶ。





退勤の時刻の後、ふたりで着替えてから、ここで一部始終を憲子に話しているのだが。





「ったく。遅刻してくるから何かと思えば。呆れて物も言えないよ、本当にさ。」






「はい、すみません…」






月曜の夜中から火曜の朝にまで掛かった出来事は、見事に私の仕事に支障を来たし、社会人として失格だと懇々と説教を喰らっているという方が正しい気もする。






「それで?それは付き合うっていうことになったわけ?」






追い討ちを掛けるかのような、憲子の追及に私はお手上げ状態だ。





「え、、えーっと…?」





私は目を泳がせる。




「かーのーんーーー????」





「あっと、そうだった!もうこんな時間!私この後約束があるから、また明日ねっ!」





わざとらしく腕時計を確認した私は、さっさと立ち上がり、バッグを肩に掛ける。





「これ!あげる!」





手に持っていたミルクティーの缶を憲子に押し付け、じゃ、と出口に向かった。






「待ちなさいよー!!」





追っかけてくる憲子の声に、内心ひぃっと叫びつつ、エレベーターまでダッシュする。





憲子の質問には、答えられない。



だから、きっと怒られる。




仕方ないから逃げるしかないのだ。




でも約束があるっていうのも嘘じゃない。




寝不足な頭は回転も悪いけど、おめかしし忘れなかっただけ、褒めてあげたい。





いつもは恐いエレベーターの落下も気にならないほど、私はうきうきしていた。





今朝会ったばかりの中堀さん。




今晩も、また会えるなんて、夢みたい。




それも、ちゃんとした、お芝居じゃなく。






中堀さんと、花音の、約束。






鼻唄まじり、有頂天な私は、すでに酔っているんじゃないかとも思う。



付き合ってるわけじゃない。



要はお試し期間みたいなもので。




チャンスをもらえたっていうだけで、上手く行くかどうかは私次第。





ジャッジは中堀さん。




だけど、中堀空生っていう人と向き合えるってだけで、無性に嬉しい。





今夜は中堀さんと食事をする約束をしている。




まだ色々と片付けなければいけないことがあるのと、引越しはもう済んでしまっている為に、暫く中堀さんは行ったり来たりを繰り返すらしい。





引越し先は、隣の県で、高速に乗れば一時間もかからずに着くようで。




いつか、その家にもお邪魔できる立場になりたいと願う。






ちょっと覗くだけでもいいから、見たい。






いや、本当は今すぐ行きたい。






むくむくと膨れ上がる自分の願望に、抑えは効かない。






相変わらず冷たい北風を少しでも避けようと俯き加減に、駅まで歩く。




何度でも緊張する私は、本当にあの人が好きで仕方ないらしい。




駅について、待ち合わせ場所の柱に背中を預けると、大勢の行き交う人々が目に入る。




「あ、ここって…」




いつかの朝に、駅近のパーキングに呼び出されたことを思い出す。



あの時は、緊張の余り、ここから動き出すことができなかった。




中堀さんが迎えに来たとわかったときの恐怖といったらない。




そんなに前の話ではないのだけれど、ちょっと懐かしい位の気持ちになるから不思議だ。





っていうか…、中堀さん、本当に来るかな。




段々心配になってきた。




約束の時間まではまだ早い位だけど、こうやって待たされて待ち人が来なかったってことも、よくある。





こ、来なかったら、どうしよう…







まさか、あれで、居なくなっちゃったり…しないよね…






思わず自分の心臓辺りに手を当てる。





その時。





「おい」





掛けられた声に、一瞬思考が止まる。






「何、あんた、ここ嫌な思い出でもあるわけ?いつも死にそうな顔してんのな。」





私は信じられないものでも見るかのように、恐る恐る中堀さんを見上げる。





「き、来た…」







金髪の、中堀さん。



本当に、来た。





「はあ?」





私の思考回路を知らない中堀さんは、思い切り眉を寄せて首を傾げた。



「何、それ。」




歩いている人たちが、チラチラと中堀さんのことを振り返る。



そうりゃそうだ。



ただでさえ、長身で。



かっこよすぎる顔立ちに。




隠れることのない、金髪。




どこぞのモデルか芸能人かって感じだろう。






しかもちょっと今日の服装が、いつも見ない感じの。




ゆるゆるスタイルも大好きな私だけど。





グレイのシャツに黒のシャギーニット、チャコールグレイのデザインパンツにスエードチャッカーブーツっていう。





目立つ。



似合いすぎてて、目立ちすぎる。






「さみぃから、早く行こう。そこに車停めてあるから。」





別段、何も気にしていない中堀さんは、自然に私の手を取って、歩き出す。





手、手、手、繋いでるっ。




生、の手。




いや、普通なんだけど。





すごい、緊張する。



「あ、あのあのあの…」





私の戸惑いも虚しく、中堀さんはこちらを見ない。




仕方なく、手から伝わる温度だけを心の支えにして、付いて行くと、道路にハザードを出して停めてある車に近づく中堀さん。






「あれ…」






車、違う。





色はやっぱり黒だけど。





なんで変えたの。




変える必要あったの?




しかも、目立つ。




これなら、多分、なんとなくだけど、駐車禁止取られ無さそう。





「どーぞ」




中堀さんはスマートな動作で、私に助手席を勧めてくれるけど。




前の車でさえぴかぴかしてたのに、更にこんなキラキラした車に乗れるかっ!




たじろぐ私に、中堀さんはくすりと笑う。






「一人で乗れないの?」





「え、いや、そういうわけじゃ…」





「じゃ、俺が乗せてあげる」





「え!?」







あろうことか、中堀さんは立ち尽くす私をひょいと抱えた。




は、恥ずかしすぎる!!!!




「いやっあのっ、放しっ…」




「ほら、バタバタしないの。落とすよ?」




「……!」





重いはずの私を軽々と助手席に乗せると、中堀さんは満足そうに笑ってドアを閉めた。













「ねぇ、怒ってんの?」






聴く人が聴けば、恐らくとてもきれいなエンジン音。



橋を走っている車の窓からの景色は、飛ぶようにキラキラと移り変わって、きれいだ。






けれど、駅行く人たちの見せ物になった私は、さっきからかなりご立腹なのだ。






「別に。怒ってません。」





一応取り繕って答えてみるものの、バレバレだ。





「だってさ、早く乗らないと、寒かったし。」





中堀さんのコートは車の中にあったから、それは理解できる。




だけど、中々乗らなかったからって、公衆の面前で抱っこして乗せる!?





ただでさえ、あんた!無駄に目立ってるのに!!





驚いて立ち止まり、私達を凝視していたおじさんの顔が、ちらついて頭から離れない。





文句を言いたいけど、きっと言っても伝わらない。






「ほーんと、あんたはいつも不機嫌だよなぁ」





運転しながら言われた言葉に反応して、






「!っいったぁ」



舌を噛んでしまった馬鹿な私。




痛さの余りに口に手を当てて悶えていると、中堀さんがけらけらと笑う。





「阿呆だね」





涙目になりつつ、私は中堀さんをきっと睨みつけ―





「阿呆って言わないれくらはいっ!!」





強く抗議した。





「前いいまひたよねっ、あたし、アホウロリっていわれへんれすぅー気にしてんれすからっ」





一応、怒ってるんだけど。




若干、真剣さに欠ける。






そんな私をちらっと見て、中堀さんはまだ含み笑いをしながら。





「アホウドリってさ、英語でなんていうか、知ってる?」





どうでも良さそうなことを、訊いてくる。






「?……」





えっと、なんだっけ。




そういや、アホウドリってなんていうんだろ。





黙る私に、中堀さんは正解を直ぐにくれる。





「アルバトロスって言うんだよ。」





「あるあとろす…?」





ベロが痛いながらも、繰り返してみた。




ちょっと、かっこいい…気がする。。。




「ちなみに…ゴルフでもアルバトロスって言葉があるの、知ってた?」





し、知らなかった。




私は首をぶんぶんと横に振る。



それを横目で確認して、中堀さんはにやりと笑った。





「ホールインワンっていうのは知ってる?」





それは知ってる。



一回でボールが入ることね。



うんうんと頷くけど、中堀さんはもうまっすぐ前を見ている。





「アルバトロスはそれよりも出る確率が低いんだ。」





「え…」





どういうことだろう?





「アルバトロスは大方、かなり飛距離を伸ばさないと達成には難しいんだ。出る確率は100万回に1回って所かな。」





数字の話は難しい。




でも、早々見れるものではないということはなんとなく理解できる。






「アホウドリは、並外れた飛翔力を持っていて、羽ばたく事無く、何時間でも飛び続けることができるからそう名づけられたみたいだけど。」





だから?




益々首を傾げる私。





「…あんたはいっつも、俺の前で不機嫌で、馬鹿みたいに真っ直ぐだったんだよな。いつも思ってた。阿呆な奴だって。」






「何が言いたいんですかっ!!」






もう、怒った。



さっきから怒ってたけど完全に怒った。




完璧に頬を膨らませて、私は再度運転手を睨みつける。





「でも…飛ぶんだよ」




完敗です、とでもいうように、中堀さんが肩を竦めて見せる。




「いつも目一杯、力の限り、飛ぶのな。」




私は段々会話の流れが思ったものではなさそうだと、気付く。





「いつだったかあんたが、会社でアホウドリって呼ばれてるって泣いた時、一瞬焦った。俺もそう思ってたから。」





思い出すようにクスクスと笑う中堀さん。






「俺にとっては、あんたはいつも不機嫌なアホウドリ。中々手ごわくて、笑ってもくれない。…けどお陰で、飽きなかったよ」






ん、これって、けなされてるの?褒められてるの?




よくわからなくなってきた。





「でも、予想外の確率で、大分今回は飛ばしてくれたね。だから、まぁ、アルバトロスに昇格してあげる。」






えー、と。



つまり。




阿呆鳥から、アルバトロスってことは…結局一緒なんだけど…、奇跡的な鳥ってこと、、かな?




え、ちょっと、それ、今までにない感じ?




不機嫌な、アルバトロス。




ちょっと格好いいじゃない。





段々と私の口元が緩む。





陰口叩かれて、そうやって呼ばれてるのが、すっごくキライだったけど。





中堀さんが、私をそうやって言ってくれるなら、なんかそれはすごく良いかも。




なんて。




隣で悶絶している中堀さんを見ると、私って本当に乗せられやすい馬鹿なんだなぁって思うけど。







「で。中堀さん…あの、さっきから訊こうと思っていたんですけど…」





どん底のさらに奥深くまで行っていた私を、ここまで引っ張り上げてくれるなんて、恋ってなんて力を持っているんだろう。





「どこへ、向かってるんですか?この、車」





ちょっとまだふわふわした気分で訊ねると、中堀さんは何食わぬ顔をしながら。





「家」





短く、あっさり答えた。





「え!?」





高速に乗ってる時点で気付かなかった私も私だけど!






「私っ、明日も仕事―」





「送ればいいんでしょ?朝早く起きなよ。」





飄々と言ってのける中堀さんの腕をガシっと掴む。





「な、なんにも持ってきてないし!ちょっと、困りますって!」





「いや、危ないから、ほんと、止めて」





「なっ~~~~~~!!!!!!」







一瞬言葉を失うが、沈静化した筈の怒りがまた騒ぎ出す。







「中堀さんのっ、、ばかーーーーーーー!!!!!!!!!」













世界中の誰か一人でも。





自分のことをすごく好きでいてくれる人がいたなら。





私がどんな人間でも、全部ひっくるめて愛してくれる人がいたなら。






そんな人に出逢えたなら。






それが、私の理想であり、目標だったけど。





今の自分の状況はとてもそうとは言えない。





だけど、世界中の誰が私を好きで居てくれなくても。





反対に誰かが好きになってくれたとしても。





私は貴方と出逢ってしまったから。





その時から、人生計画の歯車は狂ったらしい。






もう、貴方以外は考えられない。





いつか、必ず。





完全に、振り向かせて見せるんだから。






なんていったって、私は。





奇跡に近い、アルバトロス。





絶対に、飛びきってみせる。





青い、空を。





―fin




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不機嫌なアルバトロス @lahai_roi

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