【】ごはん@ヨコハマ
あれからしばらく、もう五、六回は魔力を計測され、しかしそのすべてがことごとく異常な値を算出していたらしく一時間近くは待たされてしまった。挙句に計測不能ではあるものの、受付の女性が以前の数値を覚えており暫定的な魔力量を計算することでようやく解放されることとなった。
その間、俺は殆ど絶えることなく顔を背けて逃げようとしているミクのことを見つめ続けていたが、しかし彼女が何か口を割ることはなかった。逃げることに関しては他者の追随を許さぬほどの技量があるのか、いつの間にか手を振りほどき、俺よりも数十歩先を早足で進んでいた。
向かう先は……おそらく彼女がいつもたむろしていた例の場所だろう。
明らかに、自分が関与していると言っているようなものだけれど、しかし口を割らないから仕方がない。ため息を吐きたいが、異常なほどの足の速さにため息などついている暇もない。
廃棄場の時にも感じていたが、ミクはやはり異常なほどにトロい癖に身体能力はかなりあるらしい。ミミックなのだから人間よりはあるのだろうけれど、普段のトロさで違和感が酷い。
「ミクさん、少し足早いですよ?」
最終的には髪の毛をなびかせながらすごい勢いで元の棲み処へと入り込み、かつての通り桐箪笥の姿となって鎮座しているミクの姿を事後的に目に入れる。
完全に対話を拒否する引き籠りの姿勢である。
「……まずは、話し合おうか」
こうして考えてみると先程まで喋っていて、先程まで子供っぽくてどんくさい動きをしていたミクという可愛らしい姿が幻視であったのかと思ってしまう。
今見えるこの場所の光景は、あの可愛らしいミクの姿の片鱗は何処にもなく、いつも通りミミックが一人ポツンと存在しているだけの空間。言葉も通じず動くこともせず、ただ突っ立っているだけの桐箪笥に夢を見ていたかのような感覚に陥る。
けれど、腰に掛けられた銃の存在がその少し絶望的な予測を否定してくれる。
あまりにも非現実であるけれど、決して妄想ではない。
「俺はミクを責めるつもりはないんだ。ただなにがあったのか聞きたいんだ」
桐箪笥に話しかけるというのは聊か可笑しな気持ちになって来るが、しかし仕方がない。しかし思うに相手は稀代のチキンである。このまま黙っていてもらちが明かない。というか相手はミミックである、待つことに関してはプロフェッショナルだ。
だから決して怖がらせてはならない。しかし待つということもしてはならない。ネゴシーションなどしたことがないが、してみるほかにないだろう。
「まだ短い時間しか一緒にはいないけど、俺はおまえから色々なものをもらった」
これを言うと、なんだろうか一瞬にして俺が金を生み出しているミクを必死に仲間に引き入れようとしている様にしか聞こえなくなる。しかしそれは大分遺憾の意を覚える穿った考え方である。俺はただ、可愛らしく、か弱く、魔物ではあり性別も不明だけれど、理想の女性像を詰め込んだようなミクと共に居たいだけなのだ。そのような下世話な勘繰りは止めてもらいたいものだ。
「だから俺はそれだけでも返したい。だから話を聞かせてくれないか」
途端、いつぞやのように桃色の綿あめのような煙ともいえず、しかし実態はまるでそこには感じられない煙が巻き上がる。ふわふわふわと、部屋中にソレが充満し、俺の身体もそれに包まれる。家にいた時は妹の登場やらで焦っていて気付かなかったが、この煙に若干甘い匂いが混ざっていることに気が付いた。
「……うぅ、ぉ、おこらないでよ」
煙が晴れて少し、ようやくミクが顔を出す。かつてラットを口に含みながら眠っていたカウンターの向こう側、少し高いカウンターから頭だけを少し、おっかなびっくりした様子でこちらに見せてくれた。
「怒らないよ。だからこっちに来てくれないか?」
「……むり」
ひょっこりと小さくこちらを見ていた顔は、その言葉を残してカウンターの下に隠れてしまう。隠れていても小さな指が見えているのだけれど。
「じゃあそのままでも良いけど、入り口でのことで何か知っていたら教えてほしい」
「……んぅ」
口にし難く、けれど口にしなければすることがないのか、手持ち無沙汰で指を軽く動かしている。トントントンと流れるように動いて行く指がカウンターの無機質な表面にぶつかり、小さく小気味よいリズムを刻みながら音を立てている。
「……ごはんもらってるんだけど」
もぞもぞ。流れるような指の動きが止まり、心地の良いハイテンポな音も止まり、今度左右の手の指通しで絡み合いを始めてしまう。なにかすごい器用にうねうね動いているお陰で、集中できない。
「ごはん、ねずみとか、あのやまとか、あきととか、あかねがもってるんだけど」
鈴が鳴るような甲高く可愛らしい声色に名前を呼ばれて心が締め付けられる。しかし話を聞こうそうしよう。この流れは良くない。いつもは精々が五、六音程度の言葉しか発さないミクの、珍しい長文の拙さにこちらも緊張しながらも聞き入る。
一瞬入った妹の名前に、心の底から慄いてしまったが。
「ごはん、にんげんは、まりょくっていってる……とおもう」
衝撃の事実にふざけた考えが一瞬にして霧散する。
ごはん、とはなんであるのか。というミクがついてきてからの疑問が一瞬にして解決する。そうして同時に、なぜ入り口で引っかかったのかを理解してしまう。
「ミクが魔力を食べたから、あそこで引っかかったと?」
「……ぅん」
魔物というのは人間や他の魔物の肉を餌としている訳でなく、魔力を食べて生きているのか。手さえも引っ込めて、ごもごもと小さく肯定するミクの言葉に驚愕が身体を走り抜ける。
いや、そもそも、考えてみれば魔力というのは人間にとって有害なものだ。
「これは……公開した方がいい情報かもしれない」
「……う、うるの。みすてるの?」
俺達下層の住民たちの寿命は年々短くなっているのだという話は、酷く有名で殆ど常識として広まっている俗説のようなものだ。そして治安維持隊が公開するには、年々子供の体内にある魔力の量が増加し続けているらしい。
だからこそ、ヨコハマでは基本的に魔力というのは、身体に毒であると考えられている。ヨコハマの治安維持隊は、故に魔力の計測をしている。
そんなことを考えていると、瞳を潤わせたミクが顔だけ出して凝視してきた。
「……たべないで」
いや、しかし……しかしこの顔を前にして情報を後悔するのはいくらなんでも悩まれる。罪悪感が指数関数的に積み重なってしまう。
「わかった、分かったから、そんな目で見ないでくれ」
結局、その顔を前にして俺の心は屈服した。
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