家出娘?と妹@ヨコハマ周辺

 家どこにあるんだい?

 ……んぇ?


 そんな問答が続いて三十分ほど。いくら俺が謎の美少女Xに対して質問を投げかけてみても、返答は少し間の抜けた声と小首をかしげと、少し目を開けること。

 いまだ引っ付いたままの彼女にドギマギも止まることを知らないが、話し合おうと無理やり引っぺがす。対話というものの第一歩で、我々は時折忘れがちになるが、目と目を合わせることがまずもって大事な初歩である。

 背後から俺の身体に手を回し抱き着いている手を無理やり外そうと、細く華奢で白い腕に手を重ねすこしの力を入れる。するとどうだろう、少女の細い腕は軽い力では振り払えない。見た目からは想像できないが、かなりの力があるようだった。


 一分ほど、もぞもぞと動き腕に力を込め抵抗する少女Xと格闘しその手を振りほどく。振りほどいてから、抱き着かれないようにすぐさま振り向き彼女の肩に手を置いて、決して抱き着かれない様に距離を置く。酷く不満げにこちらを上目遣いで睨んできているけれどまずは目を合わせなければならない。

 言葉では理解できなくとも相手の瞳と姿と仕草を見てみれば、彼女がなにを覚えているのか分かるかもしれないのだから。


「もう一度聞くけど、キミのお家はどこなんだい?」

 手を伸ばしてこちらへといまだに抱き着こうとする。両手をぴんと伸ばして中国由来の妖怪であるキョンシーのようにしながら、くっつこうとすることを止めない。


「――むぅ。……ここ」

 腕をぶんぶん振り回す。小柄な彼女は結局抱き着くことが出来ずそれでようやく諦め口を開く。ただ体重の全てをこちらの腕に掛け、恨めしそうに目線を向けていた。

 どうにも彼女は自分の家を口にしたくはないらしい。

 家出してきたクチかもしれない。


「家出なら、治安維持隊を頼った方がいいと思うよ」

 この世は残酷なことが多い。自らが生まれ落ちた家というのが過酷という言葉では形容しきれないほどの惨い状況であることは、ヨコハマではままあることだ。だから家出という行為が行われている。それも結構な頻度で、ヨコハマの電光の下で引き取ってくれる人を探している。

 彼らは、治安維持隊がそういった人たちの保護も行っているということを知らないから、それ以上に凄惨な目に会ったりもしている。なかなか世知辛いものである。


「……いや」

 しかし彼女が知っている治安維持隊の人物というのは先ほど、妙な圧迫感を以って迫ってきたあの女性くらいなのだろう。だから若干怯えながら拒否している。少なくとも治安維持隊というのは、先程の女性のごとく悪鬼羅刹だか修羅の類の人々が集まった組織では決してない。というかあの女性も普段は心優しいのだ。今日、先程の態度があまりに異常すぎていただけで。


「そうはいってもねぇ、帰る場所はないんでしょ?」

「むぅ、ここ」

 頬を膨らませ地団太し始める彼女。はかなげな容姿とは乖離した子供っぽい行動に驚く。しかしやはり帰る場所はないらしい。


「……はぁ。じゃあついていてよ、一日くらいなら大丈夫だろうし」

「ん!」

 埒が明かない。けど放置しておくことは良くない。この見た目だからよほど。 

 子供っぽい彼女に、ため息を吐きながらついてくることを許してあげる。するとさんざんこちらを睨んできていた彼女は、すぐさま視線を外して大きく返事をした。

 これを、狙っていたのだろうか。

 若干の悪女ぶりにちょっと恐怖心が出てきた。


 □


 一難去ってまた一難、という言葉がある。

 意味は言及しなくとも分かると思うが、しかしこの言葉はなかなか古いものであるらしい。そういう古い言葉には、人間的な経験という叡智が多分に含まれている。

 だから、こういうのは大概当たる。


「一人女を連れてしっぽりしようとは、イイご身分な事ですね、クソ兄貴」

 家に謎の少女を招待してすぐ、存在を脳裏から完全に忘れ去っていた妹が帰宅した。冒険者でなく、上層から吐き出される廃棄物を漁っている妹の仕事は、キケンではないが重労働。だからこそストレスがたまっていたのだろう。

 妹が帰ってまず目に入れたのが冒険者をしている兄とその脇にいる少女。危険だがそれほど重労働でない冒険者をしている人間が、昼間から女を連れ込んでいる。

 なるほど、現実との大きな齟齬があるとはいえそれはイラつく。

 仁王立ちで睨みを利かせる妹の気持ちに若干の理解を抱く、


「おまえ、人聞きの悪いことをいうんじゃねっ、うぐっ」

 しかし「しっぽり」だなんて恣意的なことを述べる妹の言葉には否定しておかねばならない。とくにこのような可愛らしい少女の前とあらば。

 男の名誉のために声を上げた瞬間、妹のおみ足が己の腹に直撃する。

 あぁ、そうだった、妹とはこういう奴だった。


「家に知らない女を連れてきておいて、良くそんなことが言えるもんだ」

 忘れていた、俺の知っているという女という生命体はその須らくがなんらかの悪辣な性格を持っていること。今まで唯一、良いと思っていたあのハツラツな受付の女性さえ、あの狂気を孕んだ一面を持っていた。

 しかしそれでも、か弱く可愛らしい謎の美少女と出会ってしまって、それを忘れていたのだ。女の、こと妹の性悪さについて。


「誤解だ、まて、足を上げるんじゃな――」

 非現実な現実が続いていた。一瞬幻視してしまったスプラッタな非現実、突如として秘密基地の如き場所に現れた冠絶する美貌を持ったはかなげな美少女。そんな彼女は俺に何故かとてもなついている。本当に物語的な現実が続いていた。

 妹のひどい欠点について俺は完全に忘れていたのである。

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