()変わり身@ヨコハマ周辺

「どうして君はこんな場所にいたんだ」

 抱きついたまま、一向に離れる様子のない彼女に声を掛けてみた。けれど一向に返答する気配がない。腕の中でもぞもぞと動いて、眠そうな声を出しながら少しの反応をするだけ。あまりにも可愛らし過ぎて、その疑念も吹き飛んでしまう。


「とりあえずここにはいない方がいいよ」

「んぅ?」

 だけれどとりあえず、明らかに眠っていただろう少女を早くここから連れ出してあげなければいけないという使命を吹き飛ばすことはなかった。いくら可愛らしくとも、いや可愛らしかったからこそ、この尊き生き物を生かさなければならない。そう、俺の無意識が呼びかけてきたのだろう。

 いまだに寝ぼけているのか、瞼は半分くらい垂れ下がっていて動きもあまりない彼女を少し揺らしながら声を掛ける。

 放置していたら、また眠ってしまいそうでもあったから。


「眠いかもしれないけど、早く出口へ戻ろう」

「んぁあ?」

 言葉にもならない鳴き声のようななにかを上げる彼女をの手を握る。そうして寝ぼけている彼女の手を引き出口へと戻る。

 すまない、親愛なるミミックよ。今日キミがここにいるのかは詳しく見ていないから分からないが早めに帰らせてもらう。エサは置いておいてあげたから。


「……うぅ、はやい」

 少しでも早く連れ出してあげなければならない。その思いからトロトロあるく少女を少しだけ強く引っ張ってしまう。少し不機嫌な声を上げる少女を無視して。

 それから間もなく、ダンジョンの入口へとたどり着いた。


 □


 ヨコハマのダンジョンの入り口あたりで、ダンジョンにこれから入る人やダンジョンから出ようとしている人達の体内魔力量を測るためにたむろしている治安維持隊の人達。そのうち、今日もダンジョンに入る時に計測してくれた、ハツラツそうな女性に再び声を掛けられた。

 しかし彼女は、俺の背中に隠れるようにして立っている美少女を目に入れた途端、見たこともないような雰囲気を纏い始めた。


「で、この方はどちらか、お聞きしてもよろしいですか?」

「い、一旦落ち着きましょうよ、ね?」

 ニッコリと、ハツラツな笑みを浮かべる受付の女性。

 しかしその瞳の中には表情相応の感情はなく、むしろこちらに対しての問質をせんとする意思ばかりが感じられる。


「いえ、落ち着いていますよ。ですから話してください」

 その上、肩に手を置かれ、額と額がぶつかりそうなほどに顔近づけられる。

 そこになにか、悍ましい感情を宿した執念深さを感じ取る。

 数時間前、魔力許容量を計測してくれたその治安維持隊の女性。問い詰められていることは彼女の職務の範疇なのだろうが、しかしなんだろう、うすら寒さを覚えてならない。具体的にどこにそれを覚えているのかは分からないが、背筋が凍てつく。


「アキトさん、あなた今まで女性の方と組んだことはありませんよね」

 冥府から呼び起こされる屍たちの怨嗟の声、と言えば分かりやすいかもしれない。いつもは元気に言葉を交わしてくれていた受付の女性から発される、五臓六腑に液体窒素を流し込まれたかのごとき感覚を植え付ける声。


「誰ですか、そこの女は。一体、一体、一体、どこのどいつですか?」

 五、六年、ダンジョンで魔石を拾い集めていた俺も、その声に心から恐懼する。

 明らかにひ弱な背後の謎の美少女は、背中に平らな身体を押し付け、悪鬼羅刹の如き雰囲気を纏う女性から逃れようとする。

 冷や汗をだらだらと流す俺に対し、ぶるぶると小刻みに震えていた。


「……スゥ、重要の話をしているのですが、サカらないでもらえません?」

「――」

 その女性が腕を伸ばす。するとその瞬間、小刻みに震えていた背後の美少女が一段大きく身体を揺らす。そして、彼女はその女性に引きずり出される。

 あぁ、許せ名も知らぬ美少女X。己の脆弱で信念もなく、容易く恐怖に屈してしまうか弱い心を。いまにもその鬼や悪魔の類のような眼孔だけで射殺されようとしている小さく嫋やかで、無垢なキミを救い出そうと思っても、心の底から震えて身体が硬直してしまうのだ。許せ、許してくれ。


「それで、名前は?」

「……」

 周りには人が多くかなりの騒がしさがあるというのに、なぜだかその女性の声が酷く鮮明に耳に入って来る。それがどうにも恐ろしい。

 僅かな沈黙、それから勇敢な少女はその悪鬼羅刹に抵抗せんと「ふいっ」と顔を背ける。どれほど勇猛果敢な事だろうか、その事に心が奮い立たされる。

 より鋭敏になって行く女性の眼孔に、俺は声を上げていた。


「その子は一人でダンジョンの中にいたんだよ、武器も持たずそんな細腕で」

「……なるほど、ただ、保護したという訳ですか」

 途端、受付の女性はナイフのように鋭い視線を急激に緩め、いつの間にかに途絶えていた微笑みも取り戻し、少女から俺の方へと顔を向ける。その変わり身があまりに現実離れしているというか、人間的でないというか、通常の生物がする動きの類でなかったように思えて、より恐ろしく思えた。


「そ、そうですね」

 瞳を覗いて相手の心を読むことなど到底できやしないが、しかし今まで瞳の中にあったどす黒い雰囲気が、その一瞬に消え去ったのだ。

 気付かぬ間に、狐か狸の妖怪に化かされていたのか。そんなことが脳裏を走る。


「よろしいで――まぁ、いいでしょう」

 わずかな隙を見てその女性から逃れるように再び俺の背中に少女が隠れる。すると再び女性の視線に込められる殺意の如きなにかが再び増幅する。そして、今回は少女でなくこちらへと、それが突き刺さる。


(保護、から男女の関係であると考え保護手続きを止める、を描写)


「――いえ、そうですよね、男の子ですもの」

 表情の欠落、温かさの消滅、醜い感情の増加、人間味の喪失。

 聞き取ることの出来なかった呟きが彼女にそれらを生み出した。

 死の予感が、一気に襲い掛かって来る。


「こういうことは、あまりしないでください」

 その予感はしかし、なんら被害を受けることはなくその場は解散。

 けれどそれからずっと、心臓はバクバク激しく警報を鳴らしていた。

 見たこともない一面に、恐懼していた。


 □


「――あれ?」

 アキトとその少女が立ち去ってから、手に持った計測器に目を向けたその女性はぽつりと声を漏らす。小首を傾げ、軽くその機器を叩いた。

 そこには、アキトがダンジョンにやってきた時を下回る魔力値が示されていた。


「……これも壊れたのかな?」

 もう片手に持つアキトが連れてきた見ず知らずの、隔絶した美を持つ幼い少女の魔力を計測したはずの機器を目に入れ、再びその女性は首を傾げる。

 魔力値が、計測されていなかった。

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