美少女@ヨコハマ

 俺はアキトという名前を持つ。

 これはまだ俺のお祖父さんが生きていた頃、尊敬する人物の名前からとってきたという。ただ、それから間もなくお祖父さんは死んでしまい、その人も俺の父にアキトという名の人物のことはあまり話さなかったために、俺の名前の由来となった人物の相貌は、俺にはまるで見えてこない。

 もはや存在したのかも分からない。

 しかし名前なんてそれくらいが良いのかもしれない。分からないところが多く存在して、自らの名の由来を自らで探し出し、自らで自らを見つける。

 なんとロマンティックな事だろうか。


 いつになっても陽は差し込まず、コンクリートに満ち溢れた真っ暗な世界。ライトをつけなければどこを歩いているのかも分からず、簡単に遭難してしまうほどのこの世界では、そのような理想を抱くことさえ難しいような陰鬱が満ち溢れていた。ゆえに、この不可思議で由来さえ分からぬ名前を、俺はかなり好いていたのだ。

 軽い妄想はこの辛く苦しい世界を生きるためには必須アイテム。もちろん、妄想癖が過ぎてしまえば、それは狂気へと変わってしまう。しかし夢想する力がなければ現実の陰鬱に蝕まれ、狂気を抱いてしまう。要は程度の問題である。

 例えば、この狭苦しいコンクリートとコンクリートの狭間の道の先には、太陽が差し草木が満ちて、植物の萌芽する匂いを運んでくる草原があるかもしれない。そんな風に考えてみれば、退屈な人生も面白くなってくるものである。

 そうしてしばらく歩くと、闇の中に煌めくヨコハマのダンジョンが見えてくる。


 ダンジョンというのは簡潔に言えば理外の存在。電気など、おそらくわざわざダンジョンの為に引っ張ってくる人間などいないというのに電飾は煌めいている。かつてこの場所がダンジョンと化す前、人々を案内していたらしき地図モドキや、食事処の電光掲示板のようなものにも電気が通っている。その中で、今も魔物という存在がダンジョンでは無限に生まれ続けている。

 魔物というのは殺すと魔石を出す。そしてその魔石は、上層のお偉いさん方が必要としているらしく俺達下層の貧民は、命がけで魔石を手に入れそれをすこしの資源に交換する。

 これが俺らにとって唯一の健全な産業だった。


 ダンジョンは本来ならばそれに加え、宝箱という高価な財宝の詰まったものがダンジョンに発生する。ゆえに一般には、そこに潜る人間のことはトレジャーハンターと呼ばれている。しかし、宝箱など存在せず、ミミックのみが存在するこのヨコハマではトレジャーハンターとは自称しない。トレジャーなんてないのだから。

 俺達は冒険者、あるいは魔石回収業者。

 暑苦しく、むさくるしく、騒がしく、けれどその裏で毎日命の取り合いをする。

 片手に鉄パイプを持ち今日も楽しくダンジョンへと足を運ぶ。


「アキトさん、今日も決して油断してはいけませんからね」

 ほとんど唯一と言ってもいい産業であるダンジョンには、その秩序を管理する者たちがいる。全国的に統一された組織と言うわけでは無いのだが、ヨコハマでは錨を象徴とした徽章を身に着ける『ヨコハマ治安維持隊』がそうだ。

 彼ら彼女らは基本的にダンジョン内の管理業すべてを司っている。一般的な事務作業から、冒険者たちがダンジョンに溢れかえる魔力にどれくらい汚染されているのかの計測し、あるいはダンジョン内の暴力沙汰を収めるなど。それ以外にも多々。

 ダンジョン入り口で、魔力計測器を携え目の前で明るい笑みを浮かべている彼女も、その胸元に付けている徽章の通り治安維持隊の一人。

 軽く手を振ってこたえた後、ダンジョンの中に潜って行く。


 ダンジョンの中は、凄まじい精神力を以ってして全神経を魔物に集中させなければならない、ということはない。

 ヨコハマは全国屈指の難易度を誇るダンジョンであるらしいが、しかしそれはどんどんと増えて行く新たな部分だけ。むしろ歴史が長く踏破され長年改変されていない場所の難易度は低い。

 ただ生きるための日銭を稼ぐだけならば、ただ少数の家族を養うためなら、入り口近くのミミックたちで溢れかえっている場所の横で、時々発生するゴブリンたちを狩るだけでも十分だった。


 二時間くらいが経つ。ある程度の魔石は集まり、魔力に汚染され革さえまともに使えないゴブリンの死体やラットを手に持ち出口へと戻る。本来ゴミ程度の死体などその場に放置しておきたいが、しかし死体を放置しておけば下手をすれば疫病になる。

 だからこそ、死体は出口近くの焼却炉で燃やすか、燃料を掛けてその場で燃やすか、あるいはそこらのミミックにあげるかしなければならない。

 改造された銃器を手に奥底へと進んで行く野心家たちは基本的に集団で向かい、そのうちの一人は死体を積むための台車を引っ張っている。あるいはその場で焼却するためのガソリンやら油やらの燃料を持ち運んでいたりする。

 その様子を見ると、ミミックは深いところにはあまりいないらしい。……やはり人間を当てに日々の暮らしをしているのだろう、ヤツらは。


 何人かの顔見知り達とすれ違い、再びミミックたちが所々に見える場所へと帰って来る。ここに来るとゴブリンたちはミミックに引っかかり捕食されるため、もはや武器など装備してなくてもすむ。むしろ展覧会にでもいるような気分だ。


 時間がありそうなのでかつて食事処であっただろう空間へ足をむける。出口に向かうには少し違う方向にあるここは、推しのミミックが良くいる場所。

 昨日は技巧が凝らされた桐箪笥に擬態していた、あのミミックがいつもいる場所。

 手持ちのゴブリンも、処理と餌やりを兼ねている。もちろん、魔石も渡すけれど。

 ただ、時折ここではないところに陣取っていることがあるのか、会えないこともある。冠絶した技巧を持っているから、他の人に魔石をせびっているのだろう。

 あのミミックは人懐っこい。というよりも欲望に忠実過ぎるがゆえに、もはや人間を魔物の死体や魔石をくれる生物と勘違いしている。一応ミミックの存在意義は、宝箱に擬態して、欲深な人間を食い殺すことなのに、ヤツは宝箱に擬態もしなければ人間を殺すこともない。むしろ人間以上に欲深なミミックである。

 もうミミックと言うのが間違っているだろう。

 そんな魔物らしからぬミミックの棲み処。そこは揚げ物らしき看板のみが、ここがかつてなんであったかを示すさびれた場所。


 今日は果たしてあの、根本的にミミックと言うものを間違えているミミックがいるだろうか。あるいは、今日はどんなものを見せてくれるのだろうか。そんなワクワクとドキドキを胸に抱きながら、足を動かす。そうして自動ドアが開かれる。


 そしてそこに、見知らぬ美しい少女がカウンターの所に座っていた。


 なぜかぴくぴくと痙攣しているラットを口に突っ込んでいる、美少女が。

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