やめてくださいミミックさん

酸味

美少女との邂逅、そして正体

ミミック@ヨコハマ

 ヨコハマのダンジョン。


 ここは未完成という特徴を持つ世界に数多あるダンジョンの中でも特に稀有なもの。シンジュクにも似たような未完成を特徴とするダンジョンがあるがゆえに、我々は勘違いしてしまう。しかし、ここは全国でも極々わずかな不可思議なダンジョン。

 ダンジョンの持つ特性というのは不変。だからこそ、シンジュクとここヨコハマはこの世が滅びるその瞬間までも、完成することはない。延々延々、拡張、改変を続ける。俺のお父さんの、更にお父さんの世代に生まれたというダンジョンは、この島国でもかなり古くできたダンジョンであるらしい。当時は極極小規模であったダンジョンも、今や一、二を争う大規模で、そして未来的にもそれは変わらないだろう。


 このダンジョンは、何度も言わせてもらうが特異なものである。

 ゆえに、この中にいる魔物たちも一般に言われるものとは大きく違っている。例えば一番顕著なものだと、このダンジョンで一番の雑魚と言われているのは、ゴブリンやゾンビ、ラットでなく”ミミック”なのである。

 ミミックという魔物は宝箱に擬態し、宝漁りを生業とする人々や宝箱に目がくらんだ者たちを騙し、捕食するという生態をもつ。もちろんそれは、ゴブリンやゾンビ、ラットとは比べ物にならないほどの脅威を持つ。また、個体によればどんなに熟練した人間であろとも、見抜けない程に擬態に長けたものもいる。

 魔物でありながら最凶のトラップと言われる生き物なのだ。

 トウキョウやセンダイ、サッポロ、ナゴヤ、オオサカ、フクオカといった名だたる各地方の大規模ダンジョンの中でさえ、常に警戒しなければならないという非常に厄介極まりない魔物となっている。

 そんな魔物が、なぜヨコハマではゴブリンという最下級の魔物以下の雑魚と呼ばれるに至ったのか……いや、おそらくこれはシンジュクでも同じだろう。

 そしてヨコハマとシンジュクのミミックが、特別弱いと言うわけでは無い。

 では、何故か。


 未完成のダンジョンでは、ヨコハマとシンジュクでは宝箱が発生しない。


 それはミミックたちには致命的なほどの特徴だった。

 魔力と、空間と、人間や他の魔物がいるのならば魔物というのはダンジョンの中で勝手に発生する。その発生原理は未だ分からないが、ともかく魔物が生まれる。

 その中で宝箱が未来永劫存在しないダンジョンでミミックが生まれることもある。

 このダンジョンにいるミミックたちは、もはや憐れだ。


 なにせ宝箱らしきものが、宝箱である可能性はゼロ。もちろん蛮勇にかられ、あるいは今までの帰納的な結論を一切認めないという哲学的懐疑論を胸に抱いたものや、単なる馬鹿がヨコハマでも時々ミミックに食べられている。しかし本当に低度であろうとも知能があれば、宝箱=ミミックという等式を立てることが出来る。

 つまるところ、ミミックたちは健気に「これで宝箱に擬態している! これで人間たちが引っかかってくれる!」と思ってダンジョンの各地に居座っていても、人はそれをミミックであると否応なしに気付いてしまう。

 しかし、唯一憐れなミミックたちにとって幸運なのは現状彼らは人間にそれほど敵視されていないこと。あまりに人間に被害を及ぼさないどころか低知能なゴブリンたちを食べており、野放しにしておいても人間の益になり、よって人間も狩る必要を見いだしていない。

 もはや共存共栄を果たしてしまっている、魔物なのに。というか、魔物が魔物を食らうという事例はほとんどみられていないらしいが、ヨコハマのミミックは人間を食べることが出来なさ過ぎて、特異な進化を遂げたらしい。

 語っているだけで、ミミックへの哀れが募ってしまう。

 けれど、独自進化、というのは単にこれだけではない。


 一度見てほしいのだ、この目の前にいるミミックを。宝箱なるを一度も見たことがないがゆえに、擬態すべきものを一度も知覚したことがないがゆえに、宝箱という概念を大きく取り違えてしまった憐れなミミックを。

 目の前に立つのは、立派でお金がかかっているだろうと思われる桐箪笥。わざわざ細部に僅かな補修の跡や、あるいは松脂のわずかな分布のずれにより生まれたグラデーションやらの長年の味までを再現した桐箪笥。

 もしかしたら本当に誰かがここまで桐箪笥を持ち込み放置した可能性は否めない。しかしおそらくこれはミミックだ。恐ろしいまでの職人技、技巧の粋を集められたとしか思いようのないその立派な桐箪笥を、このミミックは宝箱と認識しているらしい。……というか、一体どこで桐箪笥を見たのか。

 芸術の域。造詣の深くない己でさえ、感嘆してしまうほどの超絶技巧。

 しかし、このミミックだけが特異と言うわけでは無い。そこら辺を歩いていれば、時折ダンジョンの中にあるわけのないものがぽつぽつと置かれてある場合がある。それらは皆がミミックである。一番ひどいものだと、ちくわが落ちていたこともある。ちくわは、収納するためのものじゃあないだろうと流石に思った。

 もはやヨコハマのミミックは、これで生きていけるだろうと呼べるほどの特技があった。……いや、そうではない、その言葉は正しくない。


 なにせ、本当にミミックたちはこれで食っている節がある。


 ダンジョンを歩く人の大半は、技巧のあるミミックたちに、チップ代わりとして魔物たちが主食とする魔石を置いて行く。チップ代わりでなくとも、魔物の死体をそのまま置いていくことがある。そんなことが続いていたからだろう、何時しかミミックたちは宝箱を擬態すること以上に、奇抜で芸術性のある擬態をするようになった。

 魔物とは、一体なんであるのか。ミミックたちを見ていると訳が分からなくなる。


 しかしながら、ダンジョンを歩く人々にはそれぞれ愛でているミミックがいることも多い。つまり、俺達はミミックたちに代価を支払いその芸術性を楽しんでいる。パトロン、というべきだろうか。

 かくいう俺も、目の前のこの桐箪笥に擬態しているミミックを推している。この芸術性は、おそらく他のミミックたちとは冠絶したものを持っている。


 結果として、ミミックは人が暴力的な事をしない限りは襲わない、温和な魔物となった。それどころか対価を払えばこちらを喜ばせてくれる程度には、人間との共存に適応した魔物となった。

 ゆえに、ヨコハマのミミックは雑魚と呼ばれる。なにせ倒す必要も、警戒する必要もない魔物なのだから。


 そうして俺は今日も小さな魔石を桐箪笥の前にいくつかおいて、ダンジョン入り口へと戻って行く。これが日常で、命をやり取りしながら日銭を稼ぐ俺にとって唯一の癒しであり、そしてそれが老いるまで続くと思っていた。


 しかしそれは、思っていた以上に早く思い違いなのだと知った。

 具体的には、二日後ぐらいに。

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