3-2 忌む力
陽が沈みかけている。
バーミリオンは、剣を握りしめた。
雲一つなかった夕焼け空が、曇天になり変わる。
第十五小隊は、山猫町の防衛に集中し、最前線をバーミリオンに一任した。
”怪物”を投入してくる敵側も、最前線は”怪物”に押し付け自分たちは比較的楽な町を狙ってくるだろう。
”怪物”に集中できるから、その方がバーミリオンにとっては都合が良かった。
『バーミリオン』
と、ノイズを伴って耳障りな声が聞こえた。
バーミリオンの頭に、主人の声が流れ込んでくる。
「なんだ」
『よし、こちらの声は聞こえるようだな。ちゃんと通信できるかテストしただけだ』
「ならもう話しかけてくるな。気が散る』
「それは失礼。ドーガン……”怪物”は堅いぞ。しかも、自分の欠点を理解したうえで向かってくる。用心しておけ』
「ご忠告どうも」
『ご武運を』
ぶつり、と。
ネイビー・ピーコック博士の声が、それきり聞こえなくなった。
*
ぼこぼこの地面が、かすかに揺れる。
揺れは次第に大きくなってゆき、十回目にはついに、バーミリオンがバランスを崩すほどの地鳴りの強さになっていた。
地面を揺らしていた犯人を、バーミリオンはじっと目に焼き付けた。
赤錆色の胴体をした四足生物で、全体的に角ばっている。
丸みのない体躯のそこかしこが鋭く小さな棘で覆われ、なるほど、これで外敵から身を守っているのかと分析した。
改めて相対すると、その巨大さに口笛でもって感服を告げたくなる。
足だけでバーミリオンの頭一つくらい、余裕で踏み潰せるだろう。
ネイビーから事前に聞かされた情報と一致する。
甲殻型の”怪物”だ。
黄金の目は爬虫類を思わせ、視線がバーミリオンへと止まる。
バーミリオンを視認した途端、”怪物”が大きな唸り声をあげた。
バーミリオンは、左手の青い呪いがじくじくと痛むのを感じた。
戦えと、命じているようだ。
剣を鞘から抜いた。
相手の出方を待つ必要はない。
バーミリオンが、地を蹴り”怪物”に近づいた。
甲殻型”怪物”、ドーガンとネイビーに呼ばれていたものの前脚に向けて、剣を横へ振るった。
ガン! と、しびれる衝撃が腕から肩にかけて伝ってくる。
情報通りの固さだ、とバーミリオンは一歩下がる。
そして再び前へ駆けだし、ドーガンの懐にもぐりこんだ。
前から後ろへ通り抜けるように、地面スレスレを駆けると共に、刃を胴体腹部へ払ってやった。
手ごたえはあった。
(狙うならここか?)
バーミリオンがドーガンから距離を取る。
後ろ脚は脚絆のような甲殻が取り付けられていた。
ゆらり、と。
ドーガンの良前脚が上がる。
何かの予兆を感じたバーミリオンは、すぐさま更なる後方へと飛びのく。
ズン! と地面がくぐもった悲鳴を上げた。
ドーガンの前脚が地面を強く踏みつけ、同時に強風をも巻き起こす。
ドーガンを中心に、荒れ狂った風が広がってゆく。
「っつ!」
片手で顔を庇いながら、バーミリオンは足の裏に力を込めた。
分厚く鋭い風が全身を後ろへ追いやろうとする。
そして風は、まだやみそうにもない。
「目障りな!」
風の強い抵抗に気おされそうになりながら、バーミリオンはそれでもと無造作に剣を振り下ろした。
剣が風を真っ二つに切り裂き、目の前の障害を絶った。
視界が開けた途端、バーミリオンには、もう一つの脅威が迫っていた。
目と鼻の先に、透明色の眩い小さな礫が、ざっと百粒。
「——!」
息を呑みこみ、無理やり体を捩る。
地面と体がくっついた状態で、バーミリオンは頭上に響く音を耳にした。
空を切り裂いたのは、自分だけではなかった。
氷の礫が地面に被弾して溶ける。
すぐに身を起こして体勢を立て直す。
ドーガンはこちらを見ようともせず、見るために体を動かそうともしない。
目から離しても危険はない、と判断されているのだろうか。
(癇に障るやつだ)
と、舌打ち一つ吐き捨てる。
ちらり、とバーミリオンは地面を見下ろした。
乾いた土に、溶けた氷が飛び散っている。
あれらに当たれば、大けがどころの問題ではなくなるだろう。
背中を向けているドーガンの周りに、白い空気と夕日に照らされきらきらと輝く礫が漂っている。
あのきらきらしたものこそ、バーミリオンを撃とうとした武器だ。
矢を射るように引き金を引くように、ドーガンが後ろ脚で地面を掘ると同時に、礫がバーミリオンへと襲い掛かってくる。
氷の刃は速度と物量こそ目を見張るが、数度観察すれば回避のタイミングを掴むは易かった。
「なるほど」
一人で勝手に納得する。
ドーガンは甲殻型の”怪物”であり、その体躯は並の刃や弾丸で傷つけることができない。
代わりに動きは非常に鈍く、地鳴り一つ起こすだけでもスローモーションにかかったかと思わんばかりに遅い。
突くとしたらそこだが、ドーガンも自分の欠点を理解している。
鈍重さ、スピードの低さは、別の力でもってカバーする。
そのための、氷だ。
(”怪物”は、自然現象をも手中で操るとは聞いているが)
バーミリオンの口端が、自然と吊り上がる。
*
『バーミリオン』
ちっ、とバーミリオンが舌打ちした。
これからあの”怪物”をどう殺してやるか、真剣に考えていたのに。
『聞こえているか? 聞こえていなくても勝手にまくし立てるぞ。緊急事態だ。そちらに敵軍の一部が移動を始めた』
「ああ? 血迷っているのか、相手は?」
『すでに”怪物”がきみを殺したと思って、”怪物”を回収にいくつもりなのだろう。のんびりしている暇はないぞ。”怪物”が敵軍の手に戻ったら、町を蹂躙するつもりだ。住民やこちらがわの小隊にも被害が出る』
「……はぁ、ん」
ドーガンがようやく、バーミリオンに体を向けた。
まくし立てられたネイビーの声を、バーミリオンはちゃんと聞く。
『外殻の固い相手に致命傷を与えるために、きみ自身の力だけでどうすべきか、きみは答えを出せるだろう? 賢い、私のバーミリオン』
「……」
バーミリオンは答えない。
この問題はすでに解けている。
だが、やすやすと実行しようという気持ちがわいてこない。
できることなら、使いたくない。
拒絶の気持ちが、左手を震わせた。
『わかっているだろう、可愛い子。人目のない今だからこそ、その問いの答えを使うべきなのではないか?』
「うるさい奴だな!」
『それとも、今さら怖気づいたか? 自分が人にどう思われようと、何も気にせず標的を斬り伏せ焼き捨ててゆくきみが』
「黙っていろ、くそ主人!」
『……ほら、ドーガンも軍も、きみの迷いに付き合って待ってはくれないぞ』
こめかみを手のひらで抑えながら、いら立ちを消化する。
爬虫類のような目が、じっとバーミリオンを睨み据えていた。
前脚を踏み鳴らす。
ドーガンの動作によって、再び地面が咆哮した。
『そちらに小隊が向かったぞ。ほら、早く使え』
「ぐ……」
すう、と。
ネイビーの息を吸う音が、聞こえた。
『バーミリオン。命令だ』
「やめ」
バーミリオンの左手首が、しびれるような激痛を覚えた。
『”自然現象”を使え』
突如、バーミリオンの剣に、煌々と雷がまとわりついた。
*
蛍光色に染まった雷は直線的な軌道を描き、刃を守るように絡みついている。
雷の眩しさに目がやられそうになったが、バーミリオンは無視した。
左手に刻まれた空色の呪いが、焼けるように強く肌を焦がしている。
この呪いが、バーミリオンを突き動かしていた。
にやり、と。
バーミリオンは笑みを取り戻す。
氷の刃が再び形成され、自分へまっすぐ飛び込んでくる。
バーミリオンは剣をひと薙ぎして、それらを退けた。
刃に溶けた氷が滴り、雷の熱で蒸発する。
『次を撃たせるな』
「黙っていろ」
バーミリオンはそう言い捨て、揺れる地を駆ける。
ドーガンとは、数メートルの距離がある。
その距離を詰める間、何度も氷の刃は降ってきたが、バーミリオンの刃がそれらを祓った。
打ち漏らしたいくつかが、体のどこかに被弾しても、バーミリオンの速度が失われることはない。
ドーガンの前脚が、宙へと上がる。
バーミリオンはその足を踏み台に跳躍した。
これで、地面がいくら揺れようと関係なくなる。
「首を、寄越せ」
バーミリオンは剣を振り上げ、勢いよく振り下ろす。
ぶうん、と空を裂き、雷がドーガンの首へと落下してゆく。
目を潰さん勢いの閃光が、瞬く間に周囲へ広がる。
そして、耳を使いものにさせなくなるほどの轟音が生まれた。
その雷は、曇天まで届くほどの力を誇り、無理やり天気を晴れさせた。
雷は”怪物”に致命傷を与え。
確かに刃を届かせ。
ドーガンの、首を絶った。
胴体から切り離された首に近づいたバーミリオンは、両目を閉じさせた。
すっと首を持ち上げ、町の方を振り向く。
ちょうど、忌まわしき主がこちらに小走りで駆け寄ってきたところだった。
「よくやった、バーミリオン」
「……」
首をネイビーに放り投げた途端、バーミリオンはがくりと膝をつく。
体が鉛のように重たい。
”自然現象”を使うと、いつもこうだ。
人の身にあまる力だから、ごっそりと体力を持っていかれる。
「立てるか」
と、ネイビーが手を差し伸べた。
バーミリオンは、ばちん、とその手をたたき落とし、自力で立ち上がった。
「これは……!」
ネイビーでもバーミリオンでもない声が、遠くで聞こえた。
首を絶たれた”怪物”を目の当たりにした第十五小隊の面々が、こちらへ集まってきた。
「小隊の皆々様。敵軍の始末はよろしいので?」
「すでに撤退している。それより……」
バーミリオンに、隊員たちの視線が降り注いだ。
その目は、決して穏やかなものではない。
「みたぞ……この目で……おまえ、”自然”を使ったのか!?」
「どうして、ただの人間が、”自然”を操るんだ!」
バーミリオンは心底うんざりした顔で、剣を鞘に納めた。
これが、”自然現象”を使いたくなかった理由だ。
文字通り、自然の力を用いて戦うことは、忌み嫌われることである。
自然を操るのは、世界を創った神か、それに反逆した者たちだけだからだ。
この時代、”自然現象”を操るのは”怪物”と一部の人間だけだ。
彼らは紛れもなく、反逆者側として認識される。
「化け物め!」
「何が目的で我々に近づいたんだ!」
「く、来るな! 撃つぞ!」
隊員たちが口々に、バーミリオンへ言葉を投げていく。
すべてが面倒になったバーミリオンは、剣の鍔をかちりと引き上げた。
が、ネイビーが制した。
ネイビーの骨ばった細い手が、バーミリオンの左手首に触れた。
じくじくした痛みが、バーミリオンの左手から広がる。
「総員、静粛に」
後方から、ラカイユの声が聞こえた。
隊員の間を割り込み、隊員とバーミリオンの間に立つ。
「きみたちの気持ちは理解する。しかし、この町を守るために最も貢献したのは、ここにいるドクター・ピーコックとバーミリオンだ。彼らがいなければ、我々はこの山猫町を守り切ることができなかった。違うか」
ネイビーが、かすれた口笛を吹いた。
「目の前の事実だけにとらわれるな。彼らがどのような手段を用いたとしても、町を守り切った結果は変わらないだろう」
ラカイユはくるりとネイビーの方を向く。
「あなた方の貢献には感謝します。ですが……」
「ええ、自分の立場は理解しております。目的のものは手に入りましたし、すぐに立ち去ります」
くるりと、ネイビーは踵を返す。
「歩けるか」
「……もちろん」
そう答えるバーミリオンの足はふらふらとおぼつかない。
どっ、と、ネイビーがバーミリオンの右腕を自分の肩に回していた。
「ご苦労、良い働きだった」
「そりゃ、光栄だな……」
「首級を葬ったらすぐに宿へ行こう。きみは力を使いすぎた」
「はん……ご心配痛み入るな……」
「よくやった。良い子だ、バーミリオン」
夕焼けが沈む。
バーミリオンは息も絶え絶えになりながら、体重の半分をネイビーに預けるしかできない。
その華奢なネイビーは、ドーガンの首を大切そうに抱えていたように、バーミリオンの目には映った。
了
殺したい標的を守らなければ自分が死ぬ呪いにかかりました3 八島えく @eclair_8shima
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