第19話 約束のちゅーする?


 某知恵袋で「ラブホテルに入室するには、必ず二人じゃなきゃいけないんですか?」と質問すると、早速回答が来た。


【昔は自殺を疑って断るホテルもあったようですが、最近はおひとり様プランを出すようなところもあるので、基本的には一人での利用は可能だと思います。】


 それをベストアンサーに選び、スマホをベッドに放ってため息を漏らした。

 部屋には大きなベッドとテレビ、ソファにテーブル、旅館にあるような小さな冷蔵庫。ベッドの上には照明などを調節するボタンがずらりと並び、そのすぐそばには避妊具が二つ置かれている。


 天城がホテル街のような怪しげな場所に誘ってきた時は、全力で逃げればいい。……そんな風に思っていたのに、僕は今、ラブホテルにいる。


「ねえ佐伯、ちょっと見に来てよ!」


 他でもない、天城と。


「浴槽の中、ピカピカ光るんだけど! やば、ちょー面白い!」

「いいからさっさとシャワー終わらせろよ! そんなの興味ないから!」

「……そこだけ聞くと、強引な男っぽくて何かいいね」


 ピシャリと浴槽の扉の閉まる音が聞こえ、僕はホッと胸を撫で下ろした。最後の台詞には反論したいところだが、気にしないでおこう。


 別にそういうことがしたくて、ラブホテルに来たわけではない。

 コーヒー臭い髪と服で帰宅するわけにはいかないため、一度シャワーを浴びようとやって来たのだ。


『実はこういうとこ、使ったことないんだよね。佐伯も一緒に来てよ。一人で入って変に思われたら嫌だし』


 ホテルの前まで来て、天城はそんなことを言い出した。

 外で待っている気でいた僕はかなり面食らったが、確かに恋人や夫婦で利用する場所に一人で入るというのは不自然だし、フロントの人に怪しまれて高校生だとバレたら面倒なことになりかねない。


 そう思っていざ入ってみるとフロントは無人で、部屋は客自身が選ぶというシステムだった。

 しかも知恵袋の回答者の言葉を鵜呑みにするなら、僕がここにいる意味はない。


 ホテルに入る時の天城の挙動不審な感じは本物だったし、僕をここへ連れ込むため嘘をついた可能性は無いと思うが……。


 もう本当に、今日はメチャクチャだ。

 ここ最近の素っ気ない感じは演技だと発覚して、今日の変な恰好は僕を落とすための策で、しかもその裏に美墨がいたなんて。


 大体何だよ、ハッキングって。

 映画じゃないんだぞ。流石にやり過ぎだろ。


 言うまでもないが、僕の私生活を盗み聞きし、天城を不用意に惑わし、結果的にこのような事態を呼び寄せた美墨にはきっちりと代償を払わせた。拳骨一発と、天城の着替えに新しい服一式の購入。自分で言うのも何だが、優しく済ませてやったと思う。


「……」


 コォーとドライヤーの音が聞こえ始めた。シャワーを終えて、髪を乾かしているらしい。

 この音は天城の家でも一度耳にしているが、状況が状況のせいか嫌に心臓が高鳴る。行為に及ぶまでの手順なんて知らないが、まず最初に身体を洗うくらいことは想像がつく。別にそういう目的でここにいるわけではないのに、思春期真っ盛りな妄想が頭の中を埋め尽くす。


「お待たせー」


 悶々とした気持ちに負けないよう膝に爪を食い込ませて気張っていると、天城が戻って来た。

 長い足を強調するピチッとしたデニムに黒のニット。適当な店で買って来させたわりには、よく似合っている。


 そして何より、いつもの金髪。見慣れた色に心が落ち着く。


 天城は小さく息を漏らしながら、わざわざ僕の隣に腰を下ろした。

 ふよんとマットレスが揺れ、彼女の肩と触れ合う。


 離れて座れよと思いながら、視線を横へ流した。すると、向こうの瞳は既に僕を映しており、妙に恥ずかしくなり唇を噤んで目を落とす。


「よ、用も済んだし、そろそろ出るか。料金は僕が――」


 立ち上がりかけて、天城に服の袖を掴まれた。

 仕方なく座り直すが、掴んだ手はそのまま。ちょいちょいと猫のように引っ張りながら、「ごめんね」と不安げな面持ちを作る。


「ごめんって、何が?」

「佐伯のこと、騙すようなことして。ここ最近、わかってて冷たくしてたし」

「そんなの、僕は気にしてないよ。てかもう謝ってもらったし」

「謝ったのは美墨ちゃんじゃん。あの子の話に乗ったはあたしだし、あたしはまだ謝ってなかったから……」


 指先から徐々に力が抜けてゆき、するりと袖から離れた。

 どうにも勘違いしている天城に、僕は後頭部を掻きながらため息をつく。


「僕が美墨に対して怒ったのは、スマホに細工してたからだぞ。天城は僕を落とすために何でもするって話だったんだし、素っ気なく振る舞われて怒ったりしないよ。押してダメなら引いてみるってのは、僕が言うのは変だけど戦術として普通だと思うし」

「そ、そうなの?」

「お前に対して唯一怒るところがあるとしたら、杉本に突っかかったことだ。あんなの放っとけよ、ただ顔がいいだけのバカなんだし」

「ムリ。次同じことあったら、今度は手で確実に潰すから」


 突然態度を豹変させた天城に、僕はぎょっと目を剥いた。

 先ほどの弱々しい表情はどこへやら。威嚇するトラのような面持ちで僕の腕を掴み、自分以外に何も見るなと言わんばかりにグイッと引っ張る。


「佐伯はあたしのために怒ってくれたのに、あたしは佐伯のために怒っちゃダメなわけ? 意味わかんないんだけど」

「何キレてるんだよ。僕はただ、相手を見て喧嘩しなきゃ最悪負けるってことをだな――」

「好きな人が悪く言われてるの見て我慢する方が、よっぽど負けてるでしょ」


 返す言葉がなかった。

 確かにそうかもしれないと、思ってしまったから。


「……でも、佐伯がどうしてもって言うなら、もし次があったら我慢する。暴力はよくなかったなって、ほんのちょっとだけ思うし」


 刺々しいオーラがわずかに揺らぎ、罪悪感が顔を出した。

 僕は天城の身を案じてはいるが、杉本の身体のことなんてどうでもいい。あんな奴を蹴ったがために、天城がこんな顔をしていることに腹が立つ。


「どうしても、とは言わないよ。あいつの悶絶した顔見て、ぶっちゃけスカッとしたし。ありがとな」


 そう言うと、天城はニシシと歯を覗かせた。

 久しぶりに見る、悪戯っ子のような屈託のない笑顔。つられて僕も笑う、杉本の青い顔を思い出しながら。


「そういえば、あたしのこと好きになった?」

「は?」

「たくさん冷たくしたし、そろそろ温かいあたしが欲しくなったんじゃない? それとも、もうしばらく清楚系続けよっか?」

「……いいよ、もう」

「え、何て?」

「だから、もういいって。普段の天城の方が、一緒にいて楽しいってわかったから」


 ニヤニヤと余裕たっぷりだった天城の顔がみるみる赤くなり、勢いよく後ろへ倒れた。ベッドの上で右へ左へゴロゴロ転がりながら、「あたしのこと好きじゃん!」と悶絶している。


「ち、違う、そういうんじゃなくて! ……何かこう、安心感があるっていうか。結局僕は、実家みたいに騒がしいのが好きなんだなって」

「じゃあ、あたしじゃなくてもいいわけ?」

「そういうことになるな」

「えー! ひどーい! じゃあ今度、あたしの友達二十人くらい佐伯のうちに送り込むから!」

「うちはインドの電車じゃねえんだぞ!」

「それなら代わりに、またあたしと一緒に晩御飯食べようよ」

「……あぁ、まあ、いいけど」

「約束のちゅーする?」

「しない」


 何だか懐かしいテンションが楽しくておかしくて。

 ここがラブホテルだというのも忘れて、僕たちはくだらないやり取りを転がした。子供がおもちゃ箱をひっくり返すように、足元いっぱいに。

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