第18話 男子と喧嘩する時は急所しか攻めない


 小洒落たカフェで昼食をとり、話題の映画を観に行き、軽くウィンドウショッピング。

 中学生の頃に夢見た絵に描いたようなデートだが、心の中にモヤがかかっておりどうにも素直に楽しめない。


 天城は相変わらず、どことなくぎこちないし。

 こんなことなら、僕との約束なんてすっぽかしてくれれば良かったのに。……なんて思うのは、身勝手だな。


「どしたの? もしかして具合悪い?」


 浮かない顔をしていたからか、天城は怪訝そうに眉を寄せた。


「ちょっと疲れただけだよ。結構歩いたからさ」

「あー、うん、そだね。少し休もっか」


 時刻は午後四時を回った頃。

 休日ということもあり、ざっと見た限りどこの店もティータイムを楽しむ客ばかりで入れそうになく、少し歩いたところでテラス席に空きのある店を見つけた。


「佐伯は座っててよ。あたしが飲み物買って来るから」


 ニッコリと浮かべた笑顔は別人のようで、一瞬面食らうも「ありがとう」と椅子に腰を下ろした。ゆらゆらと左右に揺れ動く黒髪を見送って、椅子の背に体重を預けて深いため息を漏らす。


 ……疲れた。


 いっそのこと、新しく好きになった男のことをいつもの明るいテンションで話してくれればいいのに。それはそれで複雑な気持ちだが、今のどこか気を遣わせているような、微妙な空気よりはずっといい。


「僕から切り出せたら、苦労はないんだけどな……」


 やぁ天城、お前もしかして、別に好きな男ができたのか? といった具合に話せたら、向こうも気負いせずに喋ってくれるだろう。

 でも、そんなことはできない。だって僕は、まだどこかで期待しているから。あの鬱陶しくて騒がしくて楽しい日々が再開することを。


「あれ? うっわ、佐伯じゃん!」


 店の前の通りから懐かしい声が聞こえ、テーブルに落としていた視線を持ち上げた。

 うわぁ、と重い声が漏れかけた。平太には一歩劣るが、あの整った顔は見間違えようがない。


「誰?」

「杉本君の友達?」


 両脇に連れた女子二人が、不思議そうに杉本を見上げた。

 杉本は「中学の頃の同級生」と甘い笑みを浮かべて、手に持ったテイクアウトのコーヒーで唇を湿らせた。そして、フッと僕を見るなり顔を嘲笑の色に染め上げる。


「久しぶりだな。相変わらず、武市の金魚フンやってんの?」


 そう言って、遥か高みから見下ろすように鼻を鳴らした。

 中学の頃と同じように。




 ◆




「どうですか、兄の反応は」


 注文の列に並んでいると、後ろから声を掛けられた。

 そこにいたのは、ハンチング帽を目深に被りサングラスをした美墨ちゃんだった。あたしは小さなため息を落として、「よくわかんない」と返す。


「……何かすごい気を遣われてる感じがする。本当にこれでいいのかな?」

「わたしの目には、天城先輩の可愛さに緊張しているだけに見えますけどね。清楚キャラ作戦、効いてると思いますよ」


 美墨ちゃんと佐伯の付き合いは、当たり前だがあたしよりもずっと長い。

 だから、その観察眼は信用したいところだが……。

 あたしには、どうにもそう思えない。何というか、確信はないのだけど、自分がすごくまずいことをしているような気がする。


「とにかく、今日一日は清楚で通してみましょう。明日以降、兄の様子を見ながら調整する感じで」

「う、うん。そうだね」


 列が進み、自分の番がやって来た。

 佐伯のホットコーヒーと自分の抹茶カプチーノを注文し、会計をして出来上がるのを待つ。数分ほどで完成し外へ向かおうとすると、


「高校入ってもダセェのな、佐伯は。どうせ未だに友達もいないんだろ。ま、お前みたいなのとつるむのはバカのすることだから、学校のやつらは相当賢いんだろ」


 爽やかな顔立ちの見知らぬ男が、佐伯に話しかけていた。

 このたった数分の間に何がどうなって、あのような台詞を投げかけられるような事態に陥ったのかはまったくわからない。


 ……でも、一つだけハッキリしていることがある。

 あたしの知っている佐伯は、誰かを怒らせるようなことはしない。


「ちょ、ちょっと待ってください……!」


 グイッと、美墨ちゃんはあたしの腕を強めに引っ張った。

 歩みを止めて振り返ると、美墨ちゃんは口元だけでもわかるほど必死そうな面持ちをしている。


「え、なに? どしたの?」

「今、どうするつもりでいたんですか? 兄を助けるつもりだったんですか?」

「助けるっていうか、あの男にコーヒーぶかっけてやろうかなって」

「ダメですよ! 兄と今喋ってるの、杉本先輩っていうんですけど、結構まずい人なんですよっ」

「まずいって、何が?」

「……中学の頃、わたしに何度も告白して来たんです。でもわたしは武市先輩が好きで……だからあの人、武市先輩は人気者で噛みついたりできないから、代わりに先輩の親友の兄をずっと目の敵にしてるんですよ」

「はぁ? 何それ、意味わかんないんだけど。ただのクズじゃん」

「そう、そうなんです……! しかもただのクズじゃなくて……女の子にも平気で手をあげるタイプ、なんですよ。見た目があれなんで、そういう風に見えないかもですけど」


 扉の陰に身を潜めて、再びそっと外を覗いた。

 佐伯は慣れているのか、虚無をそのまま形にしたような顔で杉本を見つめていた。対して杉本は、壊れたお喋り人形のように罵詈雑言をまくし立てる。


「と、とにかく、杉本先輩が満足していなくなるまで待ってください! 兄は見ての通り慣れてますし、何とも思ってないですから! もしここで天城先輩が出て行ってコーヒーなんてぶっかけたら、杉本先輩に何されるかわかりませんよ!」

「……」

「それだけじゃなくて、兄だって天城先輩を暴力的な人だって思うかも! 今日まで積み上げたいい印象が、全部無くなっちゃいます! 本当の本当に、今ここで動くのは得策じゃありませんから!」

「……そうだね、確かにそうかも」


 そう言うと、美墨ちゃんは安心したのか、あたしから手を離した。

 ――瞬間。あたしはコーヒーの入った紙容器に爪の先を食い込ませ、強めに床を蹴って店の外へ身を投げ出す。


 自分で言っても嘘くさいかもしれないが、あたしはあまり怒る方じゃない。

 人前で感情を乱せば、自分で自分の機嫌も取れない人間だと思われてしまう。それは私生活においても、仕事においても、不利益しかない。


 しかし、佐伯絡みなら話は別だ。

 彼はあたしがくだらない冗談を言った時、そういうのはやめろと怒ってくれた。あたしへの嫌がらせに対して、まるで自分のことのように怒ってくれた。夜に意味もなく出歩いて、危ないだろと怒ってくれた。


 そんな人がバカにされて黙っていられるほど、あたしは計算高くない。




 ◆




「佐伯ぃ、お前は本当に中学から――」


 あー、うるさいうるさい。本当にこいつはよく喋る。

 美墨にフラれてプライドが傷ついたのは知っているし、中学の頃は甘んじて受け入れていたが、まさか卒業しても引きずっているとは思わなかった。そんなことだからフラれるんだぞ、と言いたいが、面倒になりそうなため口には出さない。


 にしたって、何で僕に当たるんだよ。文句はせめて平太に言え。


「おい、何とか言えよ。何黙ってんだ!」


 隣の女子が明らかに引いてるぞ。さっさとどっか行ったらどうだ。……とは思ったが、当然言わない。こいつに対しては、だんまりが一番効く。


「そんなんだからモテないんだよ。武市のクソみたいにぶら下がってたら、自分もおこぼれに預かれると思ってんだろ? 本当にクソだよなお前は」


 ただ黙って、聞いていればいい。

 そのうち勝手に、勝ち誇った顔でどこかに行くから。まさか高校生になってもこんなことをする羽目になるとは思わなかったが、


 ――と、その時。

 

 カツカツと足音を鳴らし、店から天城が早足で出て来た。その後ろから下手な変装をした美墨が追いかけて来て、「止まってください!」と腕を掴む。


 天城はそれを振り払って。

 右手に持った飲み物の容器を、杉本に向かって投げつける。


「うわっ!」


 それは杉本の胸に当たるが蓋は外れず、地面に落下して中身をぶちまけた。


「お、お前、何すんだよっ!」


 激高した杉本は自分の飲み物を投げつけ、それは天城の顔に命中し今度は蓋が外れた。

 ブチンと、頭の中で何かが切れたような気がした。僕には何をしてもいいが、天城は何の関係もない。しかも女子の顔に何てことを――と、僕が立ち上がるよりも先に。


「ふんぬっ!!」


 天城は顔や髪や肩をコーヒーで濡らしながらも一切怯まず距離を詰め、杉本の股間目掛け渾身の蹴りを食らわせた。

 これまでに見たどの金的よりも痛そうな一撃を目にして、僕の頭の中の熱はみるみる冷めていった。自分の股間までヒュンとして、背筋に寒気が走る。


「ざっ……けんなよ、くそ、くそ女っ。何だよお前、誰なんだよ……!」


 股間を押さえたまま地面にへたり込み、真っ青な顔で天城を見上げた。

 コーヒーで濡れて黒染めスプレーが剥げ、一部だけ元の金色に戻った前髪を掻き上げて、天城は冷ややかな表情を作る。


「佐伯のことがメチャクチャ好きな同級生だけど、あんたこそ誰?」


 その声には月初めから今日まで続いた噓臭さはなく、純粋な怒気で構成されていた。

 突然のことに、杉本が連れていた女子二人は口を手で覆い目を丸くする。道行く人も僕たちを見ているが、天城はまったく気にすることなくしゃがみ込む。


「あたしさ、男子と喧嘩する時は急所しか攻めないって決めてるの。力じゃ勝てないしね」


 そう言いながら杉本の髪を掴み、強引に視線を持ち上げると、


「自分に付いてないから加減とかも知らないし、さっさと消えてくれなきゃ次は潰しちゃうかもよ」


 僕の位置からは、天城がどういう顔をしていたのか確認できなかった。

 しかし、よほど迫力のある表情だったらしく、女子二人は声もあげずに走って逃げだし、杉本は青い顔をより青くさせて何度も大きく頷いた。そして生まれたての小鹿のように立ち上がり、よたよたと股間を押さえながら逃げてゆく。


「だ、大丈夫ですか!?」


 店内からすっ飛んできた店員は、天城の酷い有様を見るなり上擦った声で叫んだ。


「大丈夫です、熱くないので。それよりごめんなさい、店の前汚しちゃって」

「そ、それくらい全然いいですよ! あ、何か拭くものをお持ちしますね!」


 店員が戻って行くのを見送って、僕は天城を、次に美墨へ視線を配った。

 天城は誤魔化すような苦しい笑みを浮かべ、美墨はこの世の終わりのような顔で地面にへたり込んでいる。


 ……何だ、これは。

 どこから突っ込めばいいだ。




(あとがき)


明日からは毎日一話ずつの投稿となります。

面白いと思った方は、レビューや応援等、よろしくお願いします!

(2022/1/16)

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