第17話 忘れちゃったの?
中間試験の結果は、学年四位だった。
あれだけ勉強してまだ上に三人いるなんてやる気が失せるが、トップが天城なのはいくらか救いだ。勉強もせずに全教科満点を掻っ攫うような奴を追いかけたいなんて気持ちは、微塵も湧かないし諦めつく。
そして今日、僕のもう一つ戦いが始まる。
先月約束した、天城とのデート。
当初は甘く考えていたが、十月に入ってからの彼女は本当にわけが分からず身構えてしまう。
別に好きな男ができたのか、妙に素っ気ないし。
かと思えば勉強は引き続き教えてくれるし、今日だって予定に変更なく一緒に出かけるつもりらしい。
もう僕に気がないのに、デートする意味なんてあるのか。
それとも、何か特別な意図があるのか。……だとしたら、不気味なことこの上ない。
しかも、この状況が意味のわからなさを加速させている。
「何で駅集合なんだよ……」
昨日、昼の十二時に駅前で待ち合わせと言われた。
部屋が隣同士なのにどうしてと聞くと、準備のため朝から外出しているかららしい。
準備って何だ? 美容院か?
そこまで気合いを入れるとしたら、今日までの十数日間の素っ気なさは一体何なんだ。
あぁーもう! 何で僕があいつに冷たくされて、ぐだぐだ悩まなくちゃならないんだよ!
別に好きとか付き合いたいとか、そんなこと微塵も思ってないのに!
せっかくテストを乗り切ったっていうのに、全然達成感とかわかないし! 寝ても覚めてもテスト中も、僕が何かしたのかなって心配で頭の中いっぱいだし!!
せめてもっと、ラフな気持ちで遊びに行かせてくれよ!
高校に入って初めてのまともな外出なんだから!!
「お、お待たせ」
背中に投げかけられた、聞き知った声。
時刻は十二時十分。若干の遅刻だ。
別に目くじらを立てるようなものではないが、理解できない状況への苛立ちのせいか、「遅いぞ」と振り返りざまの声には怒気が混じってしまった。
「……え?」
そこにいたのは、知らない人だった。
麻色のプリーツスカートに白のブラウス、肩掛けしたチョコレート色のジャケット。ふんわりとウェーブのかかった黒い髪に、控えめに主張する桜色の唇。ぱちくりと、恥ずかし気に僕を映す大きな瞳。
口を薄く開いて視線を伏せ、「えへへ」と小さく笑う。自信なさげに、不安そうに。
その声は確かに鼓膜に刻まれたものだが、視覚からの情報とまったく一致しない。眼前の人物が誰か理解しながらも認識できないという、僕の人生史上初めてのバグのような現象が起こっている。
「どちら……さま、ですか?」
わかっていながらも、僕は尋ねた。
本人の口から聞きたい。そうしないと、信じられない。
「えっ?」
驚いた表情を浮かべて、次いで少し怒ったように唇を尖らせて「もうっ」と呟いた。
青い瞳は真っすぐに僕を捉えて、シルクのようにやわらかな笑みをたたえる。
「天城杏奈だよ。忘れちゃったの?」
僕の知っている、あの天城が。
金髪がトレードマークの、あの天城が。
校則違反上等のギャルギャルしい、あの天城が。
真っ黒な髪で綺麗めファッションの清楚系美少女になっていた。
◆
『デートの際、ガラッと見た目を変えてみてください。そうですね……黒髪とかにしたら、たぶん兄は即落ちますよ』
十数日前。
美墨ちゃんにそう言われてから、あたしはずっと悩んでいた。
金髪もピアスも、あたしは本気で可愛いと思っている。確かに佐伯には好かれたいが、そこを曲げるのはどうなのだろうか。
仮に大変身したあたしを好きになってくれたとしても、それは本当に好かれたことになるだろうか。
デートが終わっていつもの姿に戻ったら、佐伯からの好意も失せてしまうのではないだろうか。
悩みに悩んで出した結論は、とりあえずやってみる、だった。
佐伯からの好感度が上がればよし。元に戻った時に好感度が下がっても、それは最初の数字に戻っただけ。ただ試すだけなら、おそらく何の害もない。
それにあたし自身、興味があった。清楚系な自分に。
小学生の頃は黒髪だったが、服装は既に今と大差ない。あたしが記憶する限り、ふんわりやわらかな小動物じみたイメージを纏ったことがない。
服を揃えて、行きつけの美容室へ。
黒染めスプレーを使い金髪を隠し、それっぽくセットしてもらった。
我ながら、かなりいい感じだ。相当可愛い……と思う。
これなら佐伯も驚くだろう。
「どちら……さま、ですか?」
この反応は予想していなかった。
本当にわからないというより、確信が持てていないといった様子。それくらい、今のあたしは普段のあたしからかけ離れているらしい。
「天城杏奈だよ。忘れちゃったの?」
今の見た目に合わせて穏和な笑顔を作ると、佐伯は困惑と驚愕を混ぜたような複雑な表情を作った。
これは、喜ばれているのだろうか。
だ、段々不安になってきた……!
そもそも佐伯は今、あたしに嫌われていると勘違いしてる可能性だってあるんだ。自分を嫌ってるギャル女がデートにド清楚フォームでやって来た、と思われていてもおかしくない。もしそうなら、頭を悩ませて当然だろう。
《見てください。兄は今、喜んでいますよ》
左耳に装着したイヤホンから、美墨ちゃんの声が聞こえてきた。
どこかからあたしたちを監視し、あたしが完璧に清楚キャラを演じられるようサポートしてくれるらしい。
《この妹アイの洞察力を信じてください》
信じたいところ、だけど……。
本当に? 本当に喜んでるの? これで?
「どうしたんだ? 何かあったのか?」
「えっ、何が?」
「その見た目……髪の色、とか」
「これ、スプレーで染めてるだけだから水で簡単に落ちるし。服とかは、たまには印象変えてみようかなーって」
「……にしたって、変わり過ぎだろ」
「に、似合わない?」
「いや、可愛い、とは思う、けど……」
心の中で、思わずガッツポーズしてしまった。
形はどうあれ、可愛いと言われるのは嬉しい。未だに困り顔が抜けないようだが、単純に照れているだけなのではと思えてくる。
《ほら、可愛いって言いました! 兄は完全に落ちていますよ!》
確かにあたしも、そんな気がしてきた。
◆
天城の今までのイメージをぶち壊す姿を見た時、僕の中で一つの仮説が生まれた。
――次に好きになった男の好みが、そういう恰好なのではないか。
たまには印象を変えてみようかな、とは言うが、これは印象を変えるどころの話ではない。
天城は自分の可愛さに誇りと自信を持っている。それを捻じ曲げるとすれば、仕事か恋くらいのものだろう。
モデルとして別路線で売り込む、とも考えられるが、それでは最近の素っ気なさに説明がつかない。
平太が言うように別に好きな男が出来て、だから僕と距離を取っていて、今の姿はその男の好み。そう考えると、驚くほどすんなり納得できてしまう。
ではなぜ、僕と出かけているかだが……。
ごく単純に、約束したから、ではないだろうか。そもそも天城は、異性との交流経験が豊富だ。他に好きな男ができようが、男友達と遊びに行くくらいはするだろう。
……もちろん、これら全てはあくまでも仮説。
だけど、もし本当だった場合。
僕の青春は、今日が最後になってしまうかもしれない。
「どうしたの、真面目な顔して」
隣を歩く天城が、リスのように小首を傾げた。
時折触れ合う肩の熱が、やけに名残惜しく感じてしまう。
「い、いや、別に……」
実家に戻りたくない一心で拒絶し続けた、この一ヵ月。
こんな可愛い子が僕のことを好きになるなんて奇跡を、いつの間にか当たり前のように受け入れていた。
好きと言われて、勉強を教わって、料理を振る舞って美味しいと笑って貰えて。そんな慌ただしくも楽しい日々が、もしかすると今日で終わってしまうかもしれない。
そう考えると……あぁ、ダメだ。こんなのは自分勝手過ぎるのに、どうしたって考えてしまう。
このまま終わって欲しくないと思ってしまう。
「あ、天城」
「ん?」
「えっと……その、何だ、可愛い。すごく、可愛いぞっ」
彼女を喜ばせたら、何か変わるのではないだろうか。……という猿並みの浅知恵で、言い慣れない褒め言葉を連呼してみた。
天城は「ありがと」とはにかむが、その顔にはどこか緊張感がある。あまり喜ばれていないような、そんな空気を感じる。
そりゃそうか。
好きでもないやつから可愛い連呼されても、ちょっと困るよな。
あー、マジか。
僕の青春、本当に終わったっぽいな。
◆
「えっと……その、何だ、可愛い。すごく、可愛いぞ」
佐伯の言葉に、あたしの心は今にも跳び上がりそうだった。
こんなにも熱烈に、彼から褒められたことがない。嬉しい、抱き着きたい、今なら許されるかもしれない。
……しかし、あとから複雑な感情が押し寄せてきた。
可愛いと連呼するくらいだから、よほど気に入ったことは間違いない。
美墨ちゃんが言うように今の姿が佐伯にとってはドンピシャで、普段のあたしは可愛くなかったのだろうか。
まあ、でもいっか。
佐伯が喜んでくれてるなら、今日は他に何も望まないでおこう。
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