第15話 あんな童貞イチコロですよ
「こほん。えーっと、では、改めまして」
近くの公園に移動し、二人でベンチに腰を下ろした。
彼女はそれっぽく咳払いして、すっと顔をこちらに向ける。
「わたし、佐伯美墨っていいます。お兄ちゃんの――兄の一個下の妹です。よろしくお願いします」
「あ、うん。わたしは天城杏奈、よろしくね」
未だ状況が飲み込めず、若干挙動不審になりながら返した。
美墨ちゃん、か。佐伯の妹……言われてみると、目が少し似ているような気がする。
「……いやぁ、それにしても、生で見るとすごいですね」
「何が?」
「めっちゃ美人だなーって。モデルさんってすごい……」
褒められるのは素直に嬉しいのだが、どうしてそんな情報まで知っているのかわからず、ただ戸惑うことしかできない。
佐伯が喋ったのではと思ったが、その線は限りなく薄いだろう。あれだけ実家に戻りたくない佐伯が、身内に対して異性の影を見せるわけがない。
「あの、ごめん。あたしたち、今日が初対面だよね?」
「……あっ、そっか。そうですね、色々知ってて不気味でしたよね」
そう言って、美墨ちゃんは「これです」と自分のスマホを取り出した。
「実は、兄のスマホをハッキングして音と映像を拾ってるんですよ」
純真無垢なあまりにも眩しい笑顔に、一瞬だが彼女の口にした言葉が当然かのように聞こえた。
「は、ハッキングって、普通そこまでする!?」
「盗聴器はダメって言われましたし。あぁでも、実際にやったのはうちのお姉ちゃんですよ。わたし、パソコン詳しくないので」
盗聴器がダメだから、次はスマホにハッキング……。
その発想には驚かされるが、やってのけてしまう家族がいるのもすごい。あたしはそのあたりに明るくないが、きっと並みの技術ではないだろう。
「ちょっと待って。じゃあ、あたしが佐伯に言ったあれこれを、美墨ちゃんも聞いてたってこと?」
「え、えぇ、まあ」
「……しにたい。マジでもうムリだって」
耳たぶまで熱が周り、頭を抱えながらパタパタと小さく地面を蹴った。
好きとかは聞かれてもいいが、弱味を見せたのはその場に佐伯以外誰もいなかったからだ。まさか誰かに聞かれていたなんて思いもしない。
……しかし、悪いのはあたしだ。
佐伯は最初に言っていた、『平気で一線超えてくる奴だから、油断できないんだよ』と。
その言葉を甘く捉え、特に気にしていなかった。……いやでも、予想できないって。佐伯のスマホに侵入して盗み聞きしてるなんて。
「でもっ、そのおかげで天城先輩の存在を知れたわけですし! わたし、二人をくっつけるためなら何でもしますよ!」
そう言ってピースサインを見せつけ、夏の日照りのように笑って見せた。
あぁ、可愛いなー。あたしにもこんな妹がいたらなー。
もううだうだ考えても仕方ないや、過ぎたことだし。美墨ちゃんは可愛いし。
「くっつけるためって言うけど、もう十分、佐伯があたしと一緒にいる証拠は揃ってるんでしょ? それ突き付けて、実家に連れ戻せばいいじゃないの?」
佐伯には申し訳ないが、あたし自身の利益を追求するだけなら、正直それでも構わないのだ。守るべき居城が瓦解すれば、彼も観念してあたしと真剣に向き合ってくれるだろう。
「もちろん、それは考えましたよ。でも、ぶっちゃけ決定打に欠けるんですよね。うちの兄、まだ何もしてないじゃないですか。天城先輩がたくさん誘惑してるのに」
「う、うん。それは、うん、そうだね」
聞かれていたなら、何も起こらなくて正解だった。
他人に……それも想い人の妹にあれな声や音を聞かれたら、あたしでも三日はへこむ。
「できれば兄には、円満に実家に戻って欲しいんです。今手元にある証拠を使ったら、流石の兄もブチギレると思いますし」
「そりゃあ、普通は怒るだろうね」
「でしょ? でも、好きな人ができて、その人に手を出しちゃいました――だったら、自分でルールを破ったわけですし仕方ないじゃないですか。兄はそういうところ、潔いので」
なるほど、納得した。
確かにその方が、あたし的にも気分がいい。恨み言を呟きながら荷造りをする佐伯なんて見たくないし。
「美墨ちゃん、佐伯のことが好きなんだね」
「へっ!? な、何でそうなるんですか!」
「だって、実家に戻って来て欲しくて仕方ないんでしょ?」
「うちの兄の家事力は凄まじいんです。料理はお婆ちゃんの次に美味しいし、掃除とか洗濯も業者並みだし、手先も器用で着物の着付けとかもできるんですよ。それがいなくなって、我が家は大変なんです。……まあ、ちょっとだけ、ほんのちょびっとだけ、いてくれないと寂しいって気持ちがあるのも事実ですが」
「ふーん、大好きなんだ」
「いてくれないと寂しい! ただそれだけ! ですっ!」
ペシペシと自分の太ももを叩く美墨ちゃん。
この慌てた感じは、佐伯とそっくりだ。本当に兄妹なんだなぁと、しみじみ思う。
もう少し弄って遊びたいところだが、初対面の相手にこれ以上は失礼だろう。
美墨ちゃんも話を戻したいらしく、それっぽくコホンコホンと何度も咳払いする。
「わたしは兄の生態を完璧に熟知しています。そこに十年近い片想いから得たノウハウを合わせれば、あんな童貞イチコロですよ」
「十年近い片想いって、成就してないなら意味なくない?」
「そ、それはそうですけど! でもわたし、失礼ですけど天城先輩より上手く男子と仲良くなる自信ありますよ! おっぱいがあれば、どんな男でも落ちるって思わないでくださいね!」
別にあたしは、おっぱいを最大の武器だとは思っていないが。
それはさておき、確かに男子と仲良くなる方法は知らない。向こうから来る分には対応できるが、こちらかの歩み寄り方がわからない。
「二人の話をずっと聞いていましたが、天城先輩は押せ押せ過ぎるんですよ。一日に最低でも三回は好きって言ってるじゃないですか」
「自分の気持ちは素直に伝えた方がよくない? 出し惜しみしたって仕方ないじゃん」
「その姿勢はマジでリスペクトしたいところですが、うちの兄の場合はそれじゃダメです。あれは天城先輩と出会うまで、家族か武市先輩としか話さなかったような男ですよ。そんなのが突然、Sランク美少女から迫られてまともに向き合えると思います? 惚れる惚れない以前に、萎縮しちゃうんですよ」
「じゃあ、具体的にどうすればいいわけ?」
その言葉を待っていましたとばかりに、美墨ちゃんは得意顔で鞄からホッチキスで留められた紙の束を取り出した。
「――では、これより佐伯真白攻略のための、【天城杏奈清楚キャラ化計画】の概要を説明します」
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