第6話 あたしも初めて


「んっ、ぅうう……き、気持ちいい?」

「ぉ、おふっ、うおお……っ」


 ギシ、ギシ、ギシ。

 ベッドの軋む音と熱い吐息が、六畳の隅々にまで行き渡る。


「唸ってないで、んぅ、ちゃんと口に出してくれなきゃ……わかんない、よっ」

「き、も……ちぃ」

「え、なんて? やめちゃっていいの?」

「気持ち、ぃい……気持ちいいからっ、や、やめないで……!」


 四十日余りの夏休み。

 朝から晩までバイトと勉強漬けでボロ雑巾のようだった身体に、天城のマッサージは驚くほどよく効いた。背中のあちこちを押され揉まれ、自分の意思では止められないほど情けない声が出てしまう。


「ちょっとは休まないと……んしょっ、ダメだぞ。この身体であたしと同い年とか、んっ、信じられないっ」

「あーそこそこそこ! マジでやばい!」

「ここ?」

「んぉおおおおっ!」


 誰か止めてくれ、この声を。

 だけど止めないで、マッサージだけは。


「ど、どう? ふぅ……あたしのこと、好きになった?」

「い、い、いやっ。好きっていうか……んごっ、一家に一台、欲しい感じだな」

「何それ、新手のプロポーズ?」

「違っ――あ、そこ、もっと押してっ」


 水でひたひたのスポンジを、ギューッと絞るような感覚。

 淀み泥のように蓄積していたあれこれが、面白いくらいに抜けてゆく。


「はい、おしまいっ」

「え、もう?」

「やり過ぎもよくないからね。身体起こして、今度は手のマッサージしてあげるから」


 言われた通り上半身を起こし、ベッドの上で胡坐を掻く。


 天城はバッグの中からハンドクリームを取り出し、それを自分の両手で馴染ませると、僕の右手を取り丹念に塗り広げ始めた。

 背中は服の上からだったが、今度は素肌同士。これだけ長時間ねちっこく異性に手を触られた経験がないため、ぞわぞわとした感覚が背筋を行ったり来たりする。


「どしたの? 顔、赤いけど」

「これ、女子と手を繋いでるみたい、だし、なんか……」


 そう言うと、天城はニンマリと口角を上げた。

 妖しげな光を宿した双眸でこちらを見つめながら、僕の右手を捕食するように両手をゆっくり動かし絡め合わす。こそばゆくも気持ちよく、いけないことをされているような気がして頬に熱が溜まる。


「そっかー。佐伯、女の子と手、繋いだことないんだ」

「わ、悪かったな、モテなくて!」

「今はあたしにモテてるけどね」


 そんな艶めかしい顔で、返答に困ることを言うのはやめてくれ。

 マジで理性がぶっ壊れるだろ。


「あたしも初めて、男の子にこういうことするの」


 「ママにしかしたことないし」と言い加えながら、僕の手の甲を優しく摩る。

 特別ツボを刺激されているような感覚はないが、じんわりと体温が伝わって温かい。


「今日一日で、いっぱいの好きをくれたからね。……佐伯は特別だよ」


 今度は指の側面を挟んで、上下に摩る。ゆっくりと、じっくりと。

 気持ちいい……のだが、それがどうにもいやらしい動きに感じてしまう。紡いだ言葉も相まって、妙な妄想が淡く熱を持ち悶々とする。


「お、おぅ。こ、これは効くなぁ」


 邪念を追い出すように、わざとらしく声を張り上げた。

 天城はふふっと満足気に笑いながら、指先を優しく圧迫する。


「コリ過ぎ。ずっとペン握ってるから、手も疲れちゃってるんだよ」

「へぇー、手にもコリなんてあるのか」

「これからは、足りない部分はあたしが補ってあげるから程々にしてね」

「……あのさ、勉強教えてくれたりマッサージしてくれるのはすげぇ嬉しいんだけど、天城はそれで大丈夫なのか?」

「何が?」

「お前がいくら頭良くても、まったく勉強しないわけじゃないだろ。モデルの仕事もあって、その上で僕に構うとか体力的に厳しくないか? ひとに無理するなって言って、自分は無理するとかやめてくれよ」


 そう言うと、天城はなぜかポッと頬を染めて視線を逸らした。


「も、もう。だから禁止って言ったじゃん、いきなり好感度上げるのっ」


 恥ずかしそうに零しながら、今度は左手のマッサージが始まった。

 同じようにハンドクリームを馴染ませ、左手に温もりが染みわたる。


「佐伯は何も心配しなくていいよ。あたし、勉強しなくても教科書読めばわかるし」

「……何でうちの高校通ってるんだよ。もっと上のとこ行けばよかっただろ」

「だって、制服可愛いし校則緩いし。いい大学とかいい会社とかにも興味ないしさ」


 至極当然のように、何でもないように、天城は言ってのけた。

 いい大学やいい会社に興味がない。ここだけ切り取れば世間知らずなガキの戯言だが、彼女の口から聞くと強者感が凄まじい。


「何かのために何かを犠牲にするとかよく言うけど、出来るなら何も犠牲にしたくないでしょ。だから、夢も全力で追うし、恋も全力でやりたいの! 特に今回は、初めてあたしから好きになった人だしすっごく燃えてる!」

「……それでも、本当に無理だけはしないでくれよ。まともに休めないようなやつは、好きになれないからな」

「じゃあ、今すぐ寝る? 毛布貸してくれたら床でも眠れるよ」

「何でここで寝るんだよ! 天城の寝床は隣だろ!」

「もしかして、腕枕とかしてくれるって……こと?」

「僕の隣じゃなくて、隣の部屋って意味な!?」


 わかって言っていることが丸わかりな悪い笑みをたたえて、ぐにゅっと手のひらに指を沈み込ませた。突然の快感に、「ひょへ」と変な声が漏れる。


「何その声、ウケる。気持ちよかった?」

「べ、別に……」

「じゃーやめちゃおっ」

「え」

「へへっ。嘘うそ、最後までしてあげるよ」

「……頼む」

「素直な子は可愛いなぁー」


 目を細めて、悪戯っぽくニシシと歯を覗かせた。

 可愛いのはそっちだろ、と思う。口には出さないけど。


「はい、おしまいっ。最後は頭のマッサージね」

「そんなとこ揉んでどうするんだ?」

「めちゃ気持ちいいんだよ。うちのママなんて秒で寝るし」

「そんなバカな」


 促されるがまま床に座ると、天城はティッシュでハンドクリームを落としてから、僕の後ろに回りベッドに腰かけた。


「では佐伯を、夢の世界へといざないましょー」


 大袈裟な口上をして、そっと優しく頭皮に触れた。

 そんなまさか、これだけで寝られるわけがない。


「まさかあたしの腕、疑ってる?」

「……いやまあ、少しは」

「じゃあ寝ちゃったら、明日もあたしにご飯作ってよ。佐伯の手料理、ちょー美味しかったし」

「いいぞ、本当に寝かせられたらな」


 次の瞬間から、僕の意識は途絶えた。




 ◆




 まぶたを開けてスマホで時刻を確認する。

 午前二時過ぎ。……すげぇな、あいつ。どういう風にマッサージされたのか、まったく覚えていない。催眠系の能力者かよ。


「……流石に帰ったか」


 勝手にどこかで寝ていないかと少し探したが、そんなことはなかった。

 ひとまず水を一杯飲み、息を漏らす。今シャワーを浴びようか、朝にしようか。そんなことを考えつつ身体を伸ばしていると、テーブルに置きっぱなしのファッション誌に気づく。


「あいつ、忘れてったのか」


 手に取り、ぱらりと捲った。

 載っているとは聞いたが、自分の目で確認したわけではない。せっかくだから、探してみることにしよう。


「同世代、とかあり得ねえだろ……」


 ティーン向けの雑誌なため、モデルは半分以上が高校生。

 そこには身長が一八〇センチ以上の同い年の美少女がいたりと、世の中は広いなと思い知らされる。


 その中に、天城はいた。

 小さな写真だが確かにそこにいて、やたらと露出の多いファッションで笑っている。


 うちの学校でトップ人気の天城でも、この雑誌の中では一歩劣っていた。

 何が足りないのか素人の僕にはよくわからないが、オーラというか雰囲気というか、たぶんそういう部分だろう。


 しかし、一つだけ自信を持って、これは勝っていると断言できるところがある。


「……天城が一番可愛いな」


 我ながら恥ずかしい言葉を吐いて、カーッと顔が熱くなった。

 さっさと寝よう。うん、それがいい。


 数時間後の自分にシャワーを任せて、ベッドに寝転がる。


 枕から一瞬、天城の匂いが香った。僕の部屋に入って早々、抱き締めた時に着いたのだろう。

 否応なく反応してしまう身体に、これだとあいつの思う壺だぞと言い聞かせ、歯を食いしばって目を瞑る。……悪い気はしないのだから、本当にたちが悪い。

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