第2話 勘弁してくれ


 最初は上手くいくと思っていた。


 学校へ行って、バイトへ行って。自炊をして食費を抑え、当然自習も欠かさない。

 高校最初の中間試験の点数は上々で、学年順位は三位。


【試験では学年十位以内をキープすること】


 両親から出された、一人暮らしの条件。

 達成できるか少し心配していたが、実際に試験を終えてみると何てことはない。これなら卒業まで一人暮らしを続けられそうだ。


 しかし。


 七月の期末試験。結果は学年十位。十一位との差は、たったの二点。

 一人暮らしの過酷さを完全に甘く見ていた。学校へ行って働いて、家のことを全て自分でこなしながら勉学に励むのはキャパオーバーだ。


 これはやばい。


 高校最初の夏休みは一切遊ぶことなく、バイトと勉強に全力投球した。


 そうしてフラフラの満身創痍になりながら迎えた新学期。

 重い身体を引きずって教室に向かう途中、男の怒鳴り声が聞こえた。見ると、派手な見た目の女子生徒が生活指導の柳田から説教を受けている。


「……天城だ」


 思わず、声が漏れた。


 天城杏奈あんな

 腰まで称えた金髪、印象的な大きな瞳。短いスカートからはしなやかな足が伸び、ブラウスは年齢不相応に膨らんでいる。モデルような外見に、校内ではひどく浮くバッチリメイクとピアス。うちの校則は緩い方だが、流石に生活指導として見過ごせなくなったのだろう。


「俺の方に情報が上がってるんだぞ! 一昨日の夜、男とホテルから出てきたってな!」

「いやだから、そんなとこ行ってないし! その日は、友達と電話してたから!」


 ……どうも様子がおかしい。


「ほら見てよ、これ! 通話履歴、ここにちゃんとあるでしょ!」

「こんなもの、今時いくらでも偽造できるんじゃないのか?」

「はぁ? あんた何言ってんの!?」

「学生の分際でチャラついて……あのなぁ、ちょっと成績がいいからって図に乗るなよ。やっていいことと悪いことがあるんだからな!」

「何にもしてないって言ってるじゃん!」


 天城はいわゆるギャルなのだが、成績はぶっちぎりの一位。一学期の中間期末共に、全教科ほぼ満点。あの格好が半ば容認されているのは、そのおかげである。


 柳田のイラつきようを見るに、成績など関係なく天城の見てくれが気に入らないのだろう。


 それにしても、これはちょっとあんまりじゃないか?

 こういうセンシティブな話題は、人前でするものじゃない。こんな廊下のど真ん中で叫べば、生徒も教師も関係なく知れ渡ってしまう。


「今までに何回やったんだ? おい答えてみろ。金欲しさにどれだけやったんだよ!!」

「だ、だから……本当に、何にもしてないって……っ」


 天城は目立つ。付き合いたい女子ランキング、なんてものがあれば、間違いなく上位に食い込むだろう。そんな女子が怒られているのだから、野次馬が集まるのは当然のこと。


 火が付いたように怒鳴る柳田に対し、天城は俯いたまま肩を震わせていた。

 ぽたり、と。一滴の涙が床に零れ落ちる。いつも可憐で騒がしい天城の泣き顔に、僕の疲れ切っていた肢体は勝手に動き出す。


「あ、あの」


 よせばいいのに、と思いつつ。

 僕の口は、もう止まらない。


「一昨日の夜、ですよね? だったら、天城は嘘ついてませんよ。確かに友達と電話してました」

「何でお前にそんなことがわかるんだ! お前もグルか!?」

「いやグルって……。こいつと僕、同じアパートで隣同士なんです。壁が薄くて、デカい声で喋ってたら聞こえるんですよ」

「なら証拠を出せ! 納得できる証拠を!」

「……失礼ですけど、先生は証拠をお持ちなんですか? 立ち聞きしただけなんで詳しいところはわからないんですが、天城が夜遊びしてたっていう証言以外の証拠があるんですよね? 写真とか、そういうの。もしもないなら、僕の証言も対等に扱ってもらわなきゃ不公平ですよ」


 柳田は口ごもった。


 当然だ、あるわけがない。

 一昨日の夜、確かに天城は部屋にいたのだから。夕方から夜中まで友達とゲラゲラ笑い、僕の勉強をこれでもかと妨害してくれた。

 

 こいつが叱られているのを見て、正直ちょっとだけざまぁ見ろと思ったが……。

 しかし、流石にやり過ぎだ。校則ガン無視のギャルでも、裏も取っていない情報を掲げて晒し者にしていいわけがない。


「もういいですよね?」

「……ちっ。次は気をつけろよ」


 まったく納得していない顔で、柳田は背を向けた。

 ひとまず難は去った。手早く天城の腕を掴み、野次馬たちの壁を抜け出す。


「災難だったな。まあでも、変な噂が立つようなことはないだろ」

「……」

「とりあえず、保健室で休んでろよ。ひどい顔してるし」

「……うん」


 いつも壁越しに聞く笑い声とは違う、湿って力の抜けた声。

 後ろを一瞥すると、しおらしい顔がそこにあり心臓が高鳴る。


「名前、何だっけ」

「あ、えっと、佐伯真白ましろ、だけど……」

「クラスは?」

「一年二組」

「……ん。わかった」


 お隣さんだというのに、向こうは名前すら知らなかったらしい。

 まあ、それもそうか。ほぼ顔を合わせないし、クラスも違うわけだし。


 ……ただ何と言うか、僕が一方的に意識していたみたいで悔しい。一応こっちも試験の結果は上位なんだぞ。下は眼中に無しかよ。


「じゃあ、僕はここで」


 保健室の前に着いたため、踵を返して教室に向かった。

 その時、「待って」と天城に手首を掴まれる。


「あたしさ――」


 涙で濡らした瞳は充血し、目尻にはまだ一滴残っていた。

 しかしその顔は、先ほどのしおらしさが嘘のような満面の笑み。


 見惚れる僕に対し、天城は言う。



「佐伯のこと、好きになっちゃった」



 ………………。

 …………。

 ……。


「は?」


 待て。待ってくれ。

 急な展開に頭が追いつかない。


「助けてくれた時、ドキッとしたし。今もドキドキしてるしっ。これは絶対に恋だよ!」

「き、気のせいだろ! そんなすぐ好きになったりするわけない!」

「じゃあ、どういう手順を踏んで好きになるわけ? 正解があるなら教えてよ」

「へ? せ、正解……って、いや、その……」

「あたしを助けてくれた人を好きになるのって、不正解なの?」

「そういう話をしてるわけじゃ……と、とにかくだな、普通は簡単に告白とかしないだろ!」


 堪らず論点をずらした。

 頭の良さなら彼女が圧倒的に上。議論で勝てるわけがないし、自分の問いかけも間違っていた。確かに誰かを好きになるのに、正しい手順などあるわけがない。


「……だって、こんな気持ちになったことないもん。今まであたしのことを好きっていう男子はたくさんいたし、適当に付き合ったりもしたけどさ。みんなあたしと遊びたいだけで、困ってても助けてくれるような人はいなかったし」


 そう言って、悲しい感情を覗かせた。

 この見た目だ。どれだけの男が寄って来るか、その数は想像もつかない。歴代の彼氏たちからどういう扱いを受けたのかは知らないが、少なくとも大切にはしてもらえなかったのだろう。


「だから、好きなっちゃった。付き合いたいって……自分から思ったのなんて、初めて」


 僕の手首を解放し、天城は身体の後ろで手を組んだ。

 もじもじと恥ずかしそうに太ももを擦り合わせなら、熱を宿した瞳でこちらを見据える。


「今すぐ彼氏になって、なんて無理だと思うから、好きになってもらうために頑張らせてよ。あたし、絶対に佐伯を落としてみせるから!」


 そう言って、朱色の唇で弧を描いた。


 う、嬉しい。正直、めちゃくちゃ嬉しい!

 中学時代、カップルが羨ましくて仕方なかった。誰か僕を好きになってくれと、いつも受け身なことを考えて生きていた。


 だが、今はあの時と状況が違う。


 彼女を作れば勉強もバイトもままならなくなるし、第一に不純異性交遊がバレれば一人暮らしが終わってしまう。


 たった一個の唐揚げを巡って目に青痣を作ったり、朝のトイレ争奪戦に負けて情けなく漏らしたり、エロ本の隠し場所がバレて家族全員で読み回されたり……あの地獄に連れ戻されてしまう。


 それだけは、絶対に嫌だ。


「……勘弁してくれ」

「えー、何でなんで! 好きになってもらえるように頑張らせてって、それだけなのに!」


 ふざけるな。童貞の単純さを舐めるなよ。

 好きって言われただけで心が揺らぐような生き物だぞ。これ以上何かされたら、絶対に耐えられなくなる。


「無理なものは無理なんだ。勉強とか色々やることが――」


 言いかけて、朝礼前の予鈴が鳴り響いた。

 夏休み明け早々から遅刻はまずい。身を翻して、急いで教室へ向かう。


「じゃあ、そういうことだから」

「あ、待ってよー!」


 天城の制止を振り切り、階段を駆け上った。




 ◆




 学校によって違うとは思うが、うちの高校は二学期初日でも普通に一日授業がある。

 黒板と睨めっこしながらも、頭の中は天城のことでいっぱい。好きになるために頑張らせて、という魅力溢れる文句がぐるぐると回る。


 受け入れてたら、何されてたのかな……。


 ふと、そんな疑問が浮かび、間髪入れず天城の大きな胸が脳裏を過ぎった。

 い、いやいや、そんな妄想してどうする! 僕にとっては、今の生活が一番幸せなはずだろ!


 といった具合で授業に身が入るはずもなく、熱いモヤモヤに苦しめられながら一日が終わった。

 そういえば、天城とは朝から一度も会っていない。休み時間にちょっかいをかけられるのでは、と思っていたが杞憂に終わった。


 きっと、正気に戻ったんだな。

 そりゃそうだ。あんなのは吊り橋効果みたいなもの。その場だけの感情で、ちょっと休んで何か食べれば忘れてしまう。


 僕もそろそろ帰ろう。

 今日は久々にバイトが休み。家で存分に勉強ができる。


「佐伯、一緒に帰ろー!」


 教室の扉をガラッと開くなり、天城の明るい声がこだました。

 元気満点の笑顔に、おそらくこの場の全ての男子が見惚れ――そして、殺気じみたものを僕に向けた。やめろ、そんな目で見るな。僕だって不本意なんだぞ。


 にしても……どうするんだよ、これ。


 一緒に帰る? あの天城と?

 バカなことを、そんなことをしたら一発で惚れてしまう。運よく惚れないにしても、意識せざるを得なくなってしまう。

 

「い、委員会の仕事があるから、ちょっとそれは……」

「おっけー。じゃあ、玄関で待ってるね!」


 咄嗟に嘘をつくと、天城は一方的に捲し立てて去って行く。

 僕に向けられた殺意は健在だが、数分も経つと自然に散った。


「……よし、帰るか」


 あいつには悪いが、こっそり裏門から出るとしよう。

 向こうも三十分くらい待って来なければ勝手に帰るはず。ついでに僕に幻滅して、もう好きなんて言わなくなってくれれば万々歳だし。




 ◆




 無事一人で学校を脱出し、帰宅してから一時間が経った。

 廊下を歩く音、ドアノブに鍵を挿す音、扉を開く音。天城が帰ってくれば聞こえるはずの音が、待てど暮らせど聞こえない。


「あっ」


 窓の外を見て声を漏らす。

 雨が降って来た。予報にはなかったのに。


 ポツポツとささやかな雨はあっという間に本降りに変わり、日差しを隠して暗がりに染まった。

 普段は何とも思わない音が、今は堪らなく耳障りだ。教科書の内容が頭に入って来ない。天城の顔が脳裏でチラつく。


 折り畳み傘を常備していて、問題なく帰ってこられるかもしれない。

 そもそも適当なところで切り上げ、遊びに行っているかもしれない。

 僕のことなど忘れて、友達とカラオケを楽しんでいるかもしれない。


 だけど、


「まだ、待ってる……かも」


 そう独り言ちて、うがーっと頭を掻く。


 何でこんなことで悩まなくちゃいけないんだ!

 助けたら勝手に惚れられて、落とすとか宣言されて。それはちゃんと断ったし、なのにあいつは諦めてないし、一緒に帰るとか言い出すし!


「あぁ、くそっ! こんなので勉強になるか!!」


 僕のどこに落ち度があるのかわからないが、何故だか噴き出す罪悪感に背中を押され部屋を飛び出した。

 三十度を超える暑さと不快な湿気の中を、傘を手に全力で駆けて学校へ戻る。

 天城がそこにいないことを、切に願いながら。

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