平行線の先にて待つ

月並海

第1話

 大きな戦争が終わった。

 無類の身体能力を持つラパン民族と優秀な魔法を多く生み出すトルチュ人の戦い。圧倒的な数と兵の戦闘能力で挑むラパン民族に対して、戦略と近代兵器で迎え撃つトルチュ人の戦争は長きに渡り、その戦火は大陸全土に広がった。

 戦線が泥沼化し両国が疲弊しきった頃、和平交渉により戦争はようやく終わりを迎えた。二つの小国は一つの大国になった。

 新しくできたその国は両民族の尽力のおかげで急成長し、瞬く間に列強に並び立つほどとなる。経済的にも文化的にも豊かになり、国民は文字通りの平和を手に入れた。

 けれども、二つの民族が真に分かり合うことは難しい。祖先が血で血を洗った歴史は記録から消えることはない。ラパン民族とトルチュ人の諍いは今日にも続いている。

 これから話すのはそのうちのひとつ。両民族の子息が通う魔法使い養成学校、ウィッカ魔法学園で起きた小さな変化の物語である。


 学園の中庭では、巨大な広葉樹が今年も真っ赤に染まっていた。冷たく柔らかな風が吹いて、手のひら大の葉がゆらゆらと舞っていく。その葉は渡り廊下を歩いていた白髪の少年の頭の上へ舞い落ちた。

 少年──ハクは不愉快そうに頭に乗った葉を手で取る。葉を見つめる彼の瞳は紅葉よりも濃く透明な深紅だ。反対の腕には読みかけの雑誌が抱えられている。

 ──いよいよ、五日後か。

 ハクは紅葉の季節に開催される伝統行事に思いを馳せる。

 ラパン民族とトルチュ人の敵対心は和解後も色濃く残っている。元々学園はラパン民族のための教育機関であったが、中央政府の意向でトルチュ人の子息を迎え入れることになった。その結果、両民族の対立は更に顕著になった。

 渋々受け入れたもののラパン民族の生徒も教師も現状に我慢できなかった。そこで、ラパン民族の圧倒的な能力をトルチュ人に見せつけるために、毎年それぞれの民族の最高学年の首席生徒を争わせる行事を設定しているのだった。

 その伝統は今日まで上手く機能しており、生徒たちは年に一度勝負に向けて自らの才を高め、仲間たちと切磋琢磨している。

 そして、その勝負が五日後開催されるのである。

 代表に選ばれたハクは勝負で少しでも有利に動けるようにするため、今まで準備を進めてきた。その一貫として、今は新魔法についての最新の研究結果が書かれている雑誌を読んでいる。

 ──全く、なんであんなトロいトルチュの奴らと一緒に勉強しなきゃいけないんだ……! 折角新しい魔法を授業で試してみようと思ったのに!

 学園では即戦力になる魔法使い育成のために、魔法実技に重きをおいている。今日の授業は『火炎魔法から学ぶ魔法発現の身体的原理』だった。

 ハクらラパン民族の生徒にとっては息をするように使える魔法でも、トルチュ人の生徒にとっては何度も試してようやく使えるものだった。

 ──魔法使いになるのに初級魔法も使いこなせないあいつらのせいで、俺たちの授業時間が削られてほんとに迷惑だ!

 ハクは心の中で悪態を吐きながら、頭の中では雑誌の内容を読み進める。

 俯いたまま大股で渡り廊下を歩くハクの背後へ軽快な足音が近づいてきた。

「ハク! 歩き読みは危ないぞ!」

「わぁっ!?」

 走ってきた勢いのまま、ハクの背中を叩いた白い髪の彼は快活な笑みを浮かべている。

 ハクはじとりとした目で自分より頭一つ分高い同級生をにらんだ。

「ホーランド……、廊下は走るな」

「へいへい、模範生で首席のハク様は真面目ですねえ」

「茶化すな!」

 むすっとしたハクが指で栞をしていたページを開き、再度歩き読みを始める。ホーランドもそれに合わせて歩き始めた。

「何読んでんの?」

「魔法発現研究の最新の論文」

 目は文字を忙しく追いながら、ハクは口を開く。それに対して、ホーランドは「もう五日後か」と呟いたと思えば、深緑色の髪をした生徒がこちらに歩いてくるのを見るや否や、冷ややかな表情へと変わった。

 彼の名前はクロム。トルチュ人の中ではトップの成績を修める優等生で、ハクとは入学以来首席争いをしている。そして、五日後の代表戦の対戦相手でもある。

 クロムは分厚い本を何冊も抱え、背中を丸めて歩いていた。分厚い丸メガネは鼻の先までずり落ち、全く機能を果たしていない。そのせいで気付いていないのか、はたまた視界に入れないようにしているのか、立ち止まった二人に目もくれなかった。

「おい」

 ホーランドがどすの効いた声で呼びかける。

 すれ違う直前で声を掛けられたトルチュ人の少年は、緩慢な動作で足を止めた。その様子ですらハク達を苛立たせた。

「明日の対戦相手が目の前にいるのに無視するってのは、眼中にないってことか? それとも勝負なんてどうでもいいってことか?」

 ホーランドがわざと大声でケンカを売る。ハクはそれを黙って見ていた。

 クロムは表情をピクリとも動かさず、もぞもぞと動いて抱えた本の角でメガネを上げる。そして、薄く唇を開いた。

「……無視をしたわけではない。ちょっと考え事をしていたから周りが見えていなかった。それに勝負には参加するよ。気分を害したなら謝る」

 自分より大柄な相手の威圧的な態度に臆することなくクロムは淡々と話す。ハクは誰にも聞こえないように小さく息を吐いた。

 無表情で何を考えているか分からない相手と話していても時間の無駄だと思ったハクは

「ホーランド、行くぞ」

 と同級生を連れてその場を立ち去った。

 未だ不機嫌そうな雰囲気を漂わせるホーランドが口を開く。

「絶対勝てよ。負けたら創立以来の恥だぞ」

 端的に述べられた激励にハクは顔を上げ、自信に満ちた微笑みを浮かべた。

「負けるわけないだろ。ラパン民族がのろまなトルチュのやつらに」

 中庭を抜けた北風が二人に吹き付けた。雑誌の薄いページがバラバラッと無造作にめくられていく。

 五日後には自分の陣営の勝敗が決まるというのに、全くと言っていいほど覇気のないクロム。ハクは彼の様子を見て益々自陣営の勝利を確信するのであった。



 勝負の当日。晴れた空の下、スタート地点には、選手のハクの他にも学園中の生徒が集まっていた。くっきり二つに分かれており、紅玉色と黒玉色の瞳が火花を散らしている。互いを罵りあう言葉が飛び交う。

 勝負内容は単純だ。学園の裏に広がる山を越えて頂上にある祠で折り返し、スタート地点まで先に帰ってきた方が勝ちというものである。祠に魔力を込めると光の柱が立つので、それで観戦者は途中経過を知るという仕組みだ。

 喧騒の中、ラパン民族の代表であるハクは自分が挑む山を見上げた。鬱蒼とした木々の生い茂る山には、凶悪な魔物が住んでおり、先生の引率無しでは入ったことがない。そんなところに自分はこれから一人きりで行く。その資格があると認められた誇らしさと勝負への逸る気持ちで心臓がひっきりなしに動いた。

 気持ちを落ち着けるために深呼吸を繰り返し、ハクは瞼を閉じて勝負の始まりを待つ。

 そのとき

「あの」

 精神統一をしていたハクの耳に、今一番聞きたくない声が届いた。

 集中を切られ、不機嫌そうにハクは声の主を見る。

 声の主──クロムは、おもむろに左手を差し出した。

「なに」

 不愉快さを全面に押し出して要件を問えば、

「今日は、お互い良い勝負にしましょう」

 『良い勝負』。その言葉にハクのプライドが疼く。

 所詮、これは出来レースだ。先の戦争では戦略やら兵器やら小細工のおかげでこいつらは自分たちラパン民族と同等の力を持っていたが、今回は身一つの勝負である。身体を用いた魔法がお家芸であるラパン民族の能力を鈍間なトルチュ人に見せつけ、圧倒的な能力差を理解させるためのパフォーマンスであるとハクは思う。

 だから、幼子でも始まる前から結果が分かるような勝負で、対等な対戦相手として扱われたことに苛立ちを隠せなかった。

 こめかみに青筋を立たせたハクは、あくまで上位者であるという余裕を見せながら、差し出された手をぎゅうっと握る。

「……よろしく。山の中は魔物でいっぱいらしいから早めの棄権することをお勧めするよ」

 強く握られたにも関わらず、クロムは相変わらず表情を崩さない。それどころか、するりと手を引き抜いてスタート位置に移動した。

 慌てる様子も怯える様子もない。まるで日常を過ごすようなその姿に、ハクは少しだけ不気味さを感じた。だがすぐに、両頬を叩き余計な思考から強制的に抜け出す。

 スタートラインに二人が並び立ち、ラインの延長線に教員が立った。まもなく勝負が始まる合図だ。

 罵詈雑言の嵐が嘘のように静まり返る。

 ハクは前だけを見据える。

 目的はただ一つ。圧倒的な時間差をつけてラパン民族の強さを見せつけること。

 頭の中では得意の身体強化の魔法を反芻する。スタートと共に走り出せるよう、あらかじめ杖を構えて身体全体に魔法をかける。同じ呪文が隣からブツブツと聞こえた。

 スタートの合図をする教員が杖を高く掲げる。

「これよりラパン民族とトルチュ人による、代表戦を始める」

 言葉と共に杖の先から青の眩い光線が空を貫いた。

 伝統の一戦の始まりである。

 ギャラリーが一斉に歓声をあげた。

 それと同時に選手の二人が山を目指して走り始める。

 が、しかし、そのスピードには異常なまでの差があった。

 超速のスタートダッシュで瞬く間に観衆の前から姿を消したハクに対し、クロムは同じ身体強化の魔法がかかっているとは信じられないほどの鈍足で山へと駆けて行った。

 残された観衆は二人の去った方を見つめる。ただ、自分たちの代表が先に姿を見せることを願うばかりだった。


 ハクは順調にルートを進んでいた。魔法は一定時間で効力を失うため、最も効率が上がるように計算をしながら定期的に杖を振る。

 山へ足を一歩踏み入れた瞬間、明らかに下がった気温に鳥肌が立った。火炎魔法で暖を取る。

 道中、魔物を三匹倒していた。二匹は火炎魔法で丸焼きに、もう一匹は風魔法で首を落とした。あわよくば雑誌で読んだ新魔法を試し射ちしようと思っていたのに、いずれも簡単な魔法で片が付いてしまった。常々聞かされていた恐ろしい様子とかけ離れた現状に、ハクは拍子抜けする。

他に魔物がいないかと耳を澄ますと、微かな魔物の鳴き声が聞こえた。

 足を止め、鳴き声のした方を見る。申し訳ばかりに整備されていた道から外れた森の奥からその声は聞こえた。しかも、声は一つ。弱っているようだった。

 ──天から降ってきたようなチャンスじゃないか!

 幸運にハクは頬を上気させた。走ってきた道を振り返るが、同時にスタートした彼の姿はなく、寄り道の余裕は十分にあると悟る。

 深呼吸をひとつしたハクは、意気揚々と森の奥深くへと進んでいった。


 声は小さかったがそれほど遠くではなかった。それでなくとも、ハクは身体強化魔法により超速で移動しているのだから、手負いの魔物なんてすぐに見つけられるはずだった。

 けれども、魔物は一向に見つからず、聞こえてくる声も途切れ途切れだ。薄暗い程度だった森も暗さが増し、じめじめとした気持ちの悪い湿度すらも感じるようになっていた。

 鬱蒼と茂った木々のせいで太陽も見えず方向感覚が失われる。どこを見ても似たような景色だから来た道すらも分からない。

 それでもハクは進んだ。どうせクロムはしばらく追いつかないだろうし、抜かされたとしても抜き返せばいい。だから今は狙った獲物を捕らえることが先決だ、と結論付ける。

 そう思いながら、一歩、水たまりを跨いだ時だった。

 ガクンッと身体が重力に引っ張られた。足が地面に着かず、身体が急速に落下していく。何が何だか分からず思考が追い付かない。命の危機にさらされている緊張だけが頭の中を駆け巡る。

 ありったけの生存本能で腕を振り、運よく岩肌に捕まることができた。第一関節ほどの出っ張りに全体重を任せる。緊張と動揺を押し殺して、ハクは現状を確認した。

 そこは谷だった。足元は真っ暗で底が見えず、周囲に何があるかも分からないほど霧が立ち込めている。しかも腰に携えていたはずの杖がない。どうやら谷底に落ちてしまったらしい。

 正に絶体絶命だった。

 ハクはやっと自分が魔物から幻術をかけられていたことを悟った。魔物を探し始めたときか山に入ったときか、幻を見るハクはまんまとここまでおびき出されたらしかった。

 悔しさに下唇を噛みながら、ハクは唯一助けを求められそうな相手の顔を思い浮かべる。

 馬鹿にしていた相手に助けを求める屈辱か、命か。ハクは長い逡巡の末、胸いっぱいに空気を吸い、人生で一番の音量で叫んだ。

「助けてくれっ!」

 声は霧の中へと吸い込まれていった。返事はない。当然だ。クロムは勝負中にわざわざこんな奥深くまで来る馬鹿ではない。

 だけど、一縷の望みに賭けるしかない。

「クロム! 助けてくれ!」

 心からの叫びはまた白い闇に飲み込まれた。落胆したその時だった。

 遠くから消え入りそうな声がした。

「ハクか?」

「ここにいる! 助けてくれ!」

 段々と近付いてくる声は確かに一心に願った人物のものだった。安心から緩みそうになる指先に、再び力を入れなおす。

 そこで、ハクはたと気付く。

 ──今は勝負の最中、俺たちは敵で、それも長い年月憎しみあってきた民族の代表同士だ。本当に、こいつは俺を助けてくれるのか?

 冷たい汗が背筋を伝った。これまでクロムに放ってきた数々の言動が思い起こされる。

「そこにいるのか?」

 クロムの温度の無い声がハクの不信感を加速させた。

──こいつは本当に俺を助ける気があるのか?

不安と、これまで見下していたトルチュの人間に助けを乞う屈辱がぐちゃぐちゃに混ざり合って胸中に渦巻いた。 

乾ききった喉から醜い言葉を吐き出そうとしたとき、

「待ってろ。今助ける」

 そう聞こえた瞬間、ぼそぼそと呪文が聞こえた。数秒後には、細い蔓が巻かれた植物がハクのところまで伸びてきて、命を救われたことが理解できた。

 植物を登って地上に上がり、ハクは開口一番

「どうして……俺を、助けた」

 やりきれない感情をそのまま、命の恩人にぶつける。

 クロムはメガネの奥で視線を彷徨わせた後、

「とにかくここは危ない。僕たちに幻術をかけた魔物が追って来るはずだ。逃げながら話そう」

 と走り出した。ハクは仕方なくその背中を追った。


 真っ暗な森の中を先導しつつ、クロムはハクへ話始めた。

「僕も幻術にかけられたんだ。まっすぐに祠へ向かっていると思っていたけれど、いくら走っても到着しない。恐怖と疲れで動けなくなりそうだったとき、君の声が聞こえた」

 ハクは黙って話を聞いていた。

「声が聞こえるところまで来たのに君の姿は見えなくて、やっと幻術にかけられたことが分かった。気付けの薬草があったからそれを噛んで無理やり幻術を解いて、それから君を助けた。それが事の顛末」

 話しているうちに、最初に歩いていたような整備された道に到着した。

 説明を終えたクロムがハクを振り返る。汗をかきながらも表情を変えない彼にハクは思わず声を荒げた。

「俺が聞きたいのはそういうことじゃない。勝負事の真っ最中で、なんで敵である俺をわざわざ助けたりしたんだって聞いてるんだ!」

 勢いのまま、ハクがクロムの胸倉を掴む。小柄なクロムはつま先立ちになり、眉をしかめた。

 至近距離に近付いた瞳の交差点で火花が散る。

 二人とも何も言わず、相手が言い出すのを待っているようだった。

 その中で先に口を開いたのは、クロムだった。

「どうして君たちラパン民族はそんな古い価値観のままなんだ」

「はあ?」

 予想外の言葉に指先の力が緩んだことを見逃さず、クロムが身体をよじって逃れる。

「どういうことだ」

「言葉そのままの意味だ。僕らは卒業して魔法使いになれば必ず戦争に行く。優秀な魔法使いならなおのことだ。子供だってそれくらい知っている。それなのに、お前たちは同じ陣営の人間のことを敵と言う。いつかその認識が身を滅ぼすぞ」

 クロムの言葉が鋭く突き刺さる。ハクは乾燥で張り付いた喉から何も声を出せなかった。

 大きくため息を吐いたクロムが、いくぞ、と言う。その言葉も不可解だった。

「なんで置いていかないんだよ」

「……もう、めんどくさいなあ!」

 一際声を荒げたクロムが近付いてくると、ハクの手首を掴んでそのままズンズンと歩き出した。

「はぁ!? 意味わかんないって!」

「意味わかんないのはこっちだ! 今僕が言ったことを何もわかってない! ここは魔物の住処でいわば敵地で、杖もない味方を放置して先に行く理由がない」

 ハクの心臓がドキリと大きく動いた。杖がないこともばれていて、本当なら対戦相手を蹴落とす絶好のチャンスとだというのに目の前の男はそんな自分を味方だという。はっきり言ってハクには理解不能だった。

 腕を振りほどこうにもハクの想像以上にクロムの手の力は強かった。必死で歩みを進める横顔を見る。ハクにとっては遅すぎるそのスピードの中で、初めてクロムと言う一人の人間を見たような気がしていた。

 少し歩くと、折り返し地点の祠の前に着いた。二人はほっと息を吐く。クロムは杖の先を祠に当てて、短く呪文を唱えた。祠の上部から緑色の光の柱が空を貫く。

 その様子をぼぅっと眺めていたハクは、クロムが自分に向かって杖を差し出しているのを見て、目を丸くした。

「えっ、なんで」

 それに対してクロムは当然のように宣う。

「祠に魔力を込めないと勝負失格になるから。それに先に僕の光の柱が見えただけでも向こうでは大騒ぎになっているはずだ、早く安心させてあげた方がいい」

 また、心臓が大きく動いた。そこでやっと少しだけ、ハクはクロムの考えが分かったような気がした。彼は本当に、心の底からラパン民族もトルチュの民も同じ国で生きる味方だと思っているのだ。自分には馴染まない考えだ。けれども、本当に少しだけ、理解してみたいとも思った。

 差し出された杖を借りる。同じように呪文を唱えて、赤い光の柱が緑の柱の横に並び立つ。

「よし、行こう」

 杖を構えたクロムが自分と、それからハクに身体強化の魔法をかける。

 ハクは大きなため息を吐いた。お人好しが過ぎる彼に対して敵対視していた自分たちがばからしく思えてきたからだ。

 今度はわざわざ理由を尋ねることはせず、

「俺が魔法かける」

 と代わりに杖を要求する。

 その言葉が杖を強奪するための嘘で、山の中に置いていかれる可能性も十分にあるだろうに、クロムは疑うそぶりも見せずハクに手渡した。

 その真っ直ぐな性根に触れてしまったら、もう騙し討ちをしようなんて気は起きなかった。

 身体強化の魔法を二人分唱えて、杖を持ち主に返す。

 心なしか嬉しそうな表情を浮かべるクロムと共に学園に向けて走り出した。

 魔物に出会わないように、できる限りの超速で足を動かしていると、隣から何やら話しかけられた気がした。ハクが少し首を傾ければ、思いのほか近い距離で

「君たちはいつもこんな速度で移動しているのか! すごいなあ!」

 と興奮した表情で告げられる。

 自分たちにとっての普通をこんな風に喜んでくれることが嬉しくて、嬉しいことが不思議で、ハクはぶっきらぼうに返事をした。


 無事に山を抜けて、学園までの一本道で二人は立ち止まった。魔法の効力が切れたのだ。

 再度クロムは杖を渡そうとするが、今度は受け取らなかった。

「ここからは一人で行く」

 それがハクなりのけじめだった。今年は創立以来の負け試合になるだろう。初めてトルチュの民に負けたラパン民族として、不名誉が一生後をついて回る。それらは今までの行いの報いだと思っていた。

 心配そうな顔のまま、クロムは下手くそな身体強化の魔法で走っていく。それを見送ってから、ハクは久しぶりに魔法無しで走り始めた。

 視界を流れる景色が遅い。足がだるい。肺が痛い。それでも、なんだかとても清々しい気持ちだった。

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平行線の先にて待つ 月並海 @badED_

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