第2転 会いに来られるような魔法を

 こんなブラック企業辞めてやる。俺はここで飼い殺しになるような器じゃないんだ。


 同僚にそんな啖呵たんかを切って転職をして数年が経った。ころころころころと就業先を変えながら。

 どこの企業に行っても馴染めず、役に立たず、評価されず、気付けば同じような場所で同じような文句をブツブツと呟いてこれまた同じような顔をした同僚に同じような啖呵を切って同じような顛末てんまつを迎えて。


 今働いている会社は吹き溜まりみたいなところだった。俺みたいなやつらの吹き溜まり。会社に文句を垂れるだけ垂れて、それを改善するような働きかけもせずにいるようなやつらの。法律を盾に大手企業を引き合いに出してこんな会社のために献身的に働けるわけがないと周りに講釈こうしゃくを垂れる。怠けるための言い訳も堂にってくると、残業や休日出勤の拒否と有給の申請が得意分野になっていた。


 本当はわかっていた。


 こんなことを続けていても、この人生のらちは明かないってことくらい。

 自分の求める会社は、自分のクオリティでは入れないような会社だ。学歴も資格も経験もなにもかも足りてない。


 いったいどこから間違えたんだろうか。

 俺は吹き溜まりの中で吸い込んだ埃の吐き出し方すらも忘れて、ただただ途方に暮れていた。


 そんな折だった。3年前に死んだはずの綾条あやじょうあやのが現れたのは。

 彼女は中学生のときの同級生だった。

 仕事帰りに突然声を掛けられたときは目も耳も疑ったが、間違いなく本人だった。話がしたいと言われたので近くの居酒屋に入った。


「さっきも聞いたけど、綾条、なんだよな?」

「うん」

「どうしてその……こんなこと聞いていいのかわかんないんだけど、生きてるんだ?」

「死んだよ? でも生き返ったの。異世界転生ってやつね」


 異世界転生。サブカル界隈かいわいで最近よく聞くやつか。個室タイプの居酒屋とは言え、飛ばしているなと思った。だが、彼女の言っていることが妄想妄言のたぐいと決めつけることはできない。実際、死んだ彼女がここに居るのだから、その辻褄を合わせるには異世界転生と言う代物が必要になってくる。


「転生したのに背格好は同じなのか?」

「ううん。維斥いせきくんにわたしってわかってもらうために生前の姿で居るだけだよ。向こうの世界に行ったら全然違うんだよ?」


 そんなもんなのか。

 ん? ちょっと待て。


「転生ってことは生まれ変わったんだよな? 綾条が死んでから3年しか経ってないのになんでもうそんなに大人なんだ? それとも向こうの世界の綾条はもっと幼いのか?」

「あっちでも成長しているよ。こっちの世界で言うところの17歳くらいかな? でも時間の進み方が違うから、こっちでは3年しか経ってなくても、あっちでは17年経っていたりするんだよ。」

「公転周期が違うのか?」

「んー。それも違うには違うんだけれど、もっと根本的なときの進み方そのものが違うっていう感じかなあ」


 どうやら綾条もその辺のことには精通していないようだ。俺は自分で脱線させた話を元に戻す。


「死ぬと、異世界に飛ばされるのか?」

「誰でもってわけじゃあないよ。生前に徳を積んだ人限定って、女神さまが言っていたもん」


 と言う言葉とと言う言葉が酷く釣り合わないような感じがした。シッダールタに目の前の石をパンに変えられたような気分だった。


「綾条は良いやつだったからな」


 彼女はかれそうになった猫を助けるために車道に飛び出した。そこでトラックに轢かれて死んだ。即死だった。


「今日はね、ワープを使って異世界から維斥いせきくんに会いに来たの」

「なんのために?」

「異世界転生の方法を教えるために」


 俺はイカの塩辛を箸先で摘まむことができず、カチッと音を響かせた。


「俺なんかにできるもんなのか?」


 綾条は夜空のような瞳で、俺のことをまっすぐに見つめる。吸い込まれてしまいそうで、椅子に座ったまま足に力が入った。


「維斥くんは文句なくできるよ。だって、中学のときにわたしを助けてくれたから。女神さまに確認を取ったから間違いないよ」

「そう、なのか」


 綾条は中学生の頃、なぜかわからないが虐められていた。俺は転校して来たばかりだったし、クラスのそう言う雰囲気にうとかったから、虐められていることを知ったのも随分あとになってからだった。けれど、それを知ったら見過ごすことはできなかった。虐めている側にやめるように言った。そうしたら今度は、俺がクラスの全員から無視され始めた。教師も、それには気付いていただろうに、見て見ぬふりだった。あのときもこの転校は失敗だったと思っていた。


「わたしが教えに来たのは、そのときの恩を返すため。それと……」


 そこまで言って俯き加減になってしまう。

 俺は彼女の言葉を待った。


「ごめんなさい」


 突然の謝罪に俺は面食らった。


「なにが?」

「わたしのせいで、維斥くんまで虐められた。ごめんなさい!」


 彼女は噛みしめるように言葉を放ち、頭を下げた。長い髪がテーブルの上に広がる。つややかで張りのある髪が取り皿の醤油に付きそうになったので慌てて皿を引く。


「気にするなよ。綾条のせいじゃない」


 ハリボテではなく本心だった。転校が失敗したのは綾条のせいじゃない。虐めていたやつらと教師のせいだ。

 とは言いつつも、少し気になってはいた。謝ってほしいと思ったことはなかったけれど、首を突っ込んだことを彼女はどう思っているのか気になってはいたのだ。俺が話し掛けたら、また綾条が虐められてしまうかもしれないと思って、そこのところはついぞ聞けなかった。こうしてわざわざ異世界から俺に会いに来てくれたということは、あのときのことは後悔しなくていいらしいが。


 居酒屋を出て、二人で公園を歩いた。そこで異世界転移の方法を教えてもらった。そのあとはたわいもない話をして笑い合った。本当は中学生の頃にも、こんな青春があったのかもしれないな。春の夜風に頬を撫でられ、感傷に浸る。

 彼女が虐められていなければ、二人はあのときからこうして居られたのかもしれないし、綾条がトラックに轢かれて死ぬことはなかったのかもしれない。


「わたし、虐められていたときのことは今も思い出したくないくらいつらいけれど、維斥くんに助けてもらって、縁を貰ったことにだけは良かったと思っているんだ。あと、死んじゃったけど、こうして異世界から維斥くんに会いに来られるような魔法を覚えられて良かった」


 俺の思惑とは裏腹に、彼女はすべてを乗り越えて過去を前向きに捉えているようだった。


「また会いに来てくれるのか?」


 彼女は首を振る。


「ワープの魔法は一度設定した座標に対して一往復しかできないの。同じ世界の中でならちょっとでもずらせばワープできるんだけど、地球くらい遠いと北極も南極も同じ座標になっちゃうんだよね。今回ざっくりした座標合わせで日本に来られたのは、わたしの記憶が強く残っていたから」


 魔法も万能ではないようだ。


「じゃあ、そろそろ行かないと」


 彼女はそう言ってスプリングコートをバサッと脱いだ。その中から現れたのは、RPGロールプレイングゲームで見たことがあるような勇者だった。青色の髪と瞳。鉄製と思しき胸当てに皮革のスカート。それにロングブーツを履いて、とてもカッコイイと思った。


 彼女が脱いだコートを空中に放つと、青く光って空間に歪を作った。まるでその部分だけが青く光る水面になったよう。彼女が異世界に戻るためのワープゲートなのだと悟った。


「転職は散々だったみたいだけど、転生は上手くいくと良いね」


 つまり死ぬってことだけど、そんな清々しい顔で言えるならきっと悪くないものなんだろうな。


 俺は勇者になった綾条を見送って、このあと死のうと思った。

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