【2】
苺のイラストがプリントされた赤い小袋を指先で
その小袋についさっきまで包まれていた飴玉のほうはと言うと、徐々に小さくなってはいるけれどまだ口の中に残っている。
そしてまた、雨宮の姿を視界の端に捉える。
他の女子たちと何やらお菓子を分け合って食べていた。あーあ、今そんなの食べたらまたお腹いっぱいで次の授業も眠くなるぞ。俺は知らないからな。と心の中で独り言を呟く。
雨宮には、一つの異名がある。
『飴配りの雨宮』だ。名前をもじって『飴宮』なんていうのもある。
雨宮が日直当番の日、黒板の右端に『飴宮』と書かれていたことがあった。
「誰!わざわざ書き直したの!」と黒板を指差しながら雨宮は叫んでいたけれど、特段気を悪くしたわけじゃなさそうなのはその表情で分かった。からかってくる他のクラスメイトと一緒になって笑っていた。
雨宮が何かというと飴玉をくれる件については、割りと有名な話なのだ。実際に俺が目撃したことのある例を、いくつか挙げてみる。
ある日の休み時間のことだった。トイレを済ませて教室へと戻る途中、廊下で立ち話をしている雨宮の姿が見えた。
「これありがとねー!助かった!」と言いながら、日本史の教科書を手渡していた。
おそらく、教科書を持ってくるのを忘れた雨宮は慌てて他のクラスの友達に借りて、そしてそれを返している最中だったのだろう。
その腕には例の巾着袋がぶら下がっていて、教科書の上には飴玉がころんと乗っていた。「出た、飴配り」とその友達にも案の定茶化されていた。
ただ、飴玉は、表紙がくすんだオレンジのような色をした日本史の教科書と若干同化していた。小袋の色が、黄色だったからだ。
またある時は、教室で雨宮がひたすら謝っている姿を見かけた。
その相手は、雨宮と同じ図書委員の男子。
そいつに後から聞いた話だが、図書室のカウンター当番の仕事を、放課後雨宮は完全にすっぽかして帰ってしまったらしい。
「ほんっ……とうにごめん!お詫びにこれあげる!」と言いながら手渡したのはやっぱり飴玉。感謝だけじゃなく、それは謝罪の場面でも登場可能のようだった。
あいつ謝る気無くね?とその男子が後々俺にぼやいてきた。ぼやきながら、口の中をもぞもぞ動かしていた。その時僅かに香ったのは、すっきりとした柑橘系の匂いだった。
はっきりとした確信を持っているわけじゃない。けれど俺調べだと、雨宮が人にあげる飴玉は、どうやらレモン味らしいのだ。だから俺は、苺味の飴玉に対して小さな、けれど無視することもできない脅威を抱いてしまっていた。
俺の知っている限り、苺味を貰ったことのある奴はいない。もちろん、雨宮の飴配り事情の全てを俺が把握しているわけじゃない。単純に俺が知らないだけで、苺味の飴玉を貰っている人間は他にもいるのかもしれない。
でも、もし。もし本当に、俺だけなんだとしたら。この何とも言えない危惧が的中しているのだとしたら。
『字が綺麗で読みやすいから、これはまさに雨宮専属のノート係に適任だって思ったんだよ』
ついさっき聞いた言葉が蘇る。
褒められたのにそれを素直に受け取れないのは、余計な感情が混ざり込んでくるからだ。その感情の正体は、何となく見当はつくけど認めたくはなかった。今は、曖昧なままにしておいたほうがいい。何でもかんでも白黒はっきりさせなくたっていいだろう。でも、苺味の飴玉を他の奴にもあげているのかいないのか、そこだけはやっぱり気になった。
そんな風にごちゃごちゃ考えていたら、やけに疲れてしまった。疲労感を感じる休み時間。まるで矛盾している。休み時間なのに全然休めていない。
はあ、と今度は大きなため息を一つついて、俺は再び机に突っ伏した。すると暇そうにスマホをいじっていた隣の席の
「だから生理現象だっつーの…」
「さっき
さらっと出てきた一つのワードに引っ掛かったけれど、「なぁ、さっきの授業のノート貸してほしいんだけど」とその引っ掛かりは一旦スルーした。
「あぁ、ちょっと待って」
机の中に手を突っ込み、古文のノートを捜索するその姿をぼんやり眺めていたら「てか、雨宮のこと下の名前で呼んでるんだな」と自然に口走ってしまっていた。
確かに一度はスルーしたはずなのに、結局その引っ掛かりを無視することはできなかった。
内心焦ったけれど、「あー、俺あいつと中学同じでさ。人数がめちゃくちゃ少ない学校だったし、なんつーのかな…内輪感みたいなのが強くて、みんな割りと普通に下の名前で呼び捨てとか、あだ名とかだったんだよ」とあっけなく種明かしをされて、自分の中に生まれたおかしな焦りは最初から無かったことにしようと思った。
「なるほどな。確かに雨宮、山の中にある中学に通ってたって前に言ってたわ」
「山の中はさすがに盛りすぎだな。正確に言うと山のふもとだな」
「え、同じだろ。どっちにしろ田舎ってことじゃん」
「森下、確実に馬鹿にしてるだろ」
もちろん馬鹿にしている。冗談から外れない域で。
俺の知らない中学時代の雨宮は、どんなだったのだろう。その頃から飴配りの活動をしていたのだろうか。でも中学校だと基本的に、菓子の類だとかスマホだとか、授業と関係のない物の持ち込みは禁止されていたような気がする。自分が通っていた学校はそうだった。
「…なぁ、あいつがちょくちょく飴くれるのって、高校入ってから?」
「あー…あれね。何なんだろうな。どこぞの老人かって感じだけど、少なくとも中学の時はやってなかったよ」
「老人っておい」
「でも老人だったらみかんとか…あとはいちごとかか。愛未は絶対レモンだもんな。レモンはいまいち老人感無いよな」
俺は心の中でぎょっとして、でもそれをなるべく表情には出さないようにして、改めて冷静に尋ねた。
「いつも、レモン?」
「だろ?バリエーション増やしたほうが面白そうな気もするけど、そこら辺は不平等が生まれないようにとかって意識でもしてんのかな。それか老人感じゃなくてあくまでJKのフレッシュ感を出すために、レモンで統一?」
「…なんかとんちんかんな考察になっていってるような気が」
「俺も自分で言っててよく分かんねえわ」
とりあえずこれな、とノートを手渡された所でなんとなく会話もフェードアウトしてしまった。男同士で話す特に意味のない会話なんて、大抵そんなものだ。今回に限り、その内容自体は俺にとって意味が大ありではあったけれど、それはあくまで俺自身の問題だ。
とにかく、一つの疑惑がよりはっきりとしたものになった。雨宮が人にあげる飴は、レモン味。でも俺は、レモン味を一度も貰ったことがない。苺味しか、貰ったことがない。
その差というか理由というか、それって一体何なんだ?
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