やっと憧れの男の子と仲良くなれたと思ったら、仲良しの女の子が百合と化して牙を向いたんですが、どうしたらいいですか?

一色姫凛

第1話

「ねえねえ。これって海斗かいとくんのだよね?」


 机の上にポツンと置かれてあるシャープペンを見つけて首を傾げたのは楠木遊花くすのきゆうか


 花ざかり真っ只中の十六歳。平均より身長が低めで顔も童顔。ついでに言うと胸もぺたんこ。花ざかりというよりは、まだ蕾といった感じの女子高生である。


 まわりの女友達は見事に咲き誇って、色気ムンムンのお姉様に変化を遂げているというのに、遊花だけは中学で成長が止まったかのよう。


 彼女にとってそんな見た目はコンプレックスの塊でしかなかったが、なぜか周囲からのウケはいい。


 特に色気溢れるお姉様たちからのウケが良く、「遊花は可愛いねぇ」と顔をスリスリされてはハグをされ、ムチムチの胸に挟まれて呼吸困難に陥ること多し。


 さっきもまた隣のクラスの瑞希みずきちゃんに呼び出され、頭を撫でられは抱きしめられ。最後にはほっぺにチュウまでもらって戻ってきた。


 頬に残るリップの跡を指先で擦りながら後ろを振り返ると、啓太けいたくんが遊花の手を覗き込んだ。そこにはブルーメタリックのシャープペン。


「だな。なんでそこにあんの?」

「わかんない」

「後で返しとけば?」

「えっ……う、うん」


 椅子に腰を下ろしたのとほぼ同時に先生が入室してきたので、遊花は慌てて前を向く。


 そのシャープペンは市販のものとは違って、ちょっとお高めのいいやつだ。ロクに話したこともないけど持ち主は知ってる。


 彼の名前は蓮羽海斗はすばねかいとくん。


 先日、書きやすさが抜群に違うと自慢していたから覚えてた。自慢してたといっても、遊花にしてきたわけじゃない。啓太くんと話しているのをこっそり聞いていただけだ。


 海斗くんと啓太くんは仲がいい。席は離れてしまったけど、休憩時間になると必ずと言っていいほど海斗くんは啓太くんのところに来る。


 真後ろで二人が楽しそうに話しているのをドキドキしながら聞いているのが遊花だ。


 クラスメイトなんだから普通に話しかければいいのに、よし振り返るぞ! と気合いを入れてもやっぱり恥ずかしくて。


 どんなに勇気を振り絞っても、何かの拍子に海斗くんをチラ見するとか、背後から聞こえる海斗くんの笑い声に背中を熱くしながら耐え忍ぶとか。そんなことくらいしか出来ない。


 遊花にも話せる話題は沢山あったのに。


 好きな歌手も同じだし、見ているドラマも同じだし、笑いのツボも同じで。


 盗み聞きをするしか脳のないヘタレ遊花は、二人の会話を聞いているだけでニコニコと笑っていたりする。


 だからこのシャープペン。海斗くんのだってすぐに分かったけど、自分で渡す勇気なんかなくて。


 あわよくば啓太くんが気を使って「俺が返しとくよ」なーんて言ってくれたならいいなあ、なんて思ってたのに。


「ああああ……ううッ」


 シャープペンを胸に押し当てて、額を机に突っ伏した遊花は呻き声を上げる。


 どうやって渡そう。なんて切り出そう。


 わたしの机に置いてあったよ? 置き忘れた? これ、海斗くんのだよね? 


 知恵熱が出そうなほど悩みまくる遊花は、授業終了の鐘が鳴ったことにすら気付かなかった。


 だけど。


「海斗。おまえ、楠木の所にシャープペン忘れなかった?」

「え? マジ?」

「うん。さっき楠木が……」


 そんな会話が背中越しに聞こえた。


 海斗くんの声にハッと我に返った遊花は、慌てて周囲を見渡す。まばらになった教室と、廊下から聞こえてくる楽しそうな笑い声。


 そこでようやく授業が終わっていたことに気がついた。


 ど、どうしようっ!! まだ考えが纏まってないのに!


「おい、楠木」

「ひゃいっ」

「あ? なんだよ、それ。海斗来たぞ」


 ピンッと背筋を張って、遊花は折れそうなほどシャープペンを握りしめた。


 手のひらは汗だくで、動悸は激しいし空気は薄く感る。チカチカする視界でギギギと後ろを振り向けば、キョトンとした顔でこちらを見る海斗くんがいた。


 少し色素の薄い茶色がかった髪に、切れ長の瞳。その瞳も黒というよりは琥珀色に近い。全てのパーツが完璧に整った美形。それが蓮羽海斗くんだ。


 彼はその完璧な外見ゆえに近寄り難いイメージを持たれやすいけど、実際はとても気さくなひとなのだ。


 この時もそう。一瞬キョトンとして遊花を見たあと、本当に綺麗な笑顔を浮かべた。


 目が合った上に笑いかけられて、思わず遊花の呼吸が止まる。


 こんなに間近で彼を見るのは本当に久しぶり。


 一瞬で頭に血が上ってしまった遊花の心臓はいまにも壊れてしまいそうだった。


「ああああ! これっ、これがですねっ! わたしの机の上に置いてありまして、海斗くんの物ではないかと思うのです! ぜひご確認下さいっ!」


 両手で持ったシャープペンをずいっと突き出すと、海斗くんは呆気に取られたように瞬きを繰り返した。それは啓太くんも同じで。


「なんでそんな喋り方なんだよ」


 茹でだダコよりも真っ赤になった遊花の顔をニヤニヤしながら見つめる啓太。その目つきが心を見透かしているようで遊花の顔は赤を通り越して青ざめた。


「なななな、ふ、ふっつーですよ!!」

「どこが」

「楠木。大丈夫か?」


 相変わらずニヤニヤの止まらない啓太くんの横では、海斗くんが心配そうな顔をして遊花を覗き込み。


 ぴたっ。


 おもむろに遊花の額に手を当てた。


 ピシッ。


 突然のボディタッチに遊花の動きが止まる。


 手が。海斗くんの手がっ!!


「熱いな。楠木、おまえ熱があるんじゃないのか?」

「な。ないよ! ないない! ただ緊張して……!」


 パニックに陥った遊花はもう、何を喋っているのか分からなかった。グルグルと回る視界で懸命に口を回す。


「もともと平熱が高い方でして! ほら、お子ちゃま体質といいますか。それですよ! 見た目もこんなんですし。そこに海斗くんが現れたらもう、沸騰もしますって。目はチカチカするし、動悸はヤバいし、声は遠くなるし、手汗もヤバくてですね! ああっ、そのシャープペン。一度拭かないとおおおっ!」

「落ち着け、楠木!」

「おちっ、落ち着けるわけがないじゃないですか! だって憧れの海斗くんがここにいい……」


 バタンッ


「え」


 息継ぎも忘れて嵐のごとく喋り続けた遊花は、その時点で限界を迎えた。つまりは失神である。


「ん……」


 ガンガンと痛む頭を押さえながら目を覚ました遊花は、むくりと起き上がった。窓から射し込む光は朱く、もう少しで地平線に吸い込まれようとしている。ぼーっと夕日を眺めること数十秒。


「あれ?」


 白い天井、横に連なるパイプベッド。細々とした医療品の並べられた棚。遠く微かに聞こえる運動部の歓声。

 

「……保健室?」


 え。なんで? どうして私はここに?


「記憶が……ございませんっ!?」


 両頬を挟んで記憶を手繰る遊花が叫んだ途端。ガラッとドアが開いた。反射的に顔を向けた遊花の目に映ったのは。


「お。起きた? 体調どう?」

「海斗くん……?」

「急に倒れるからビックリしたよ。てっきり風邪かなんかだと思ったけど、先生は熱ないっていうし。もう平気か?」


 心配そうな顔をしながら歩み寄った海斗が、さり気なく枕元に置いたのは遊花の鞄。遊花は思いがけない登場人物にお礼を言うことすら忘れて茫然とする。


「楠木が倒れた後は本当に大変だったよ。女子はキャーキャー悲鳴あげるし、それを聞きつけてきた隣のクラスの由良瑞希ゆらみずきは救急車呼べって号泣するし。とりあえず保健室に運ぶって抱き上げたら、汚いその手を離しなさい! って言われてさ」


 ははっと乾いた笑い声をあげる海斗に遊花は申し訳ない思いでいっぱいだった。やってしまったこともそうだけど、瑞希ちゃんは昔から過保護なところがあるし。特に男の子にはキツく当たりガチだ。悪気がないだけに、なんと謝罪をすればいいのか……

 

「ご、ごめんね……」

「いや、気にしてないよ。それより、じゃあ、おまえが運べよって啓太が言ったら、運べるわけがないでしょ! って逆ギレして今度は啓太と瑞希で大喧嘩が始まってさ。その隙に楠木を運んできたんだよ。俺って偉いと思わない?」


 椅子に腰を下ろした海斗くんは、クスクスと笑って見せた。


 登場してから椅子に座るまでの一連の動作があまりにも自然で屈託がない。口を挟む間もなく遊花の緊張の糸は解けてしまって、つい釣られて笑ってしまった。


「偉いって……あはっ。啓太くん、大丈夫なの?」

「大丈夫じゃないかもなあ。瑞希、強そうだったし」

「瑞希ちゃん、ズバズバ言うからね……そーゆーところ、わたしは尊敬してるんだけど」

「じゃあ、楠木も言いたいこと言えばいいんじゃない」

「わたしは……瑞希ちゃんみたいには、なれないから」

「そんなことないと思うけど。だってめちゃくちゃ喋ってたじゃん。息継ぎどこでしてんの? って思うくらい」


 海斗くんはまた、思い出したようにクスクスと笑い声をあげた。


 恥ずかしさと、海斗くんと話をしている喜びと。ごちゃ混ぜの感情で顔を赤らめた遊花は、思わず顔の前に布団を掻き込んだ。


「楠木があんなに喋るなんて、俺、知らなかったよ」

「あああ、あれは……!」

「でも」


 布団に顔を埋めたまま赤らんだり青ざめたりする遊花の耳に、ポツリと。でもハッキリと。海斗の声が届いた。


「やっと喋れたって、嬉しかった」

「……え?」


 柔らかな笑みを浮かべて、少しだけ照れたような顔をする海斗。空耳とも思える言葉に感動する遊花は、余韻に浸る暇もなく心臓を跳ね上げる。

 

「楠木さ。啓太とは普通に喋るのに、俺が行くと話しかけないでしょ。だから……嫌われてんのかなあって…思ってた」

「嘘っ! 違うよ!!」


 これにはさすがの遊花も悲鳴をあげる。恥ずかしくて話せなかっただけなのに、そんな誤解をされていたなんて信じられない!


「わ、わたしは。啓太くんのことはなんとも思ってなくて。その、女友達みたいってゆーか。だから気負わないで普通に喋れるの。海斗くんは……啓太くんとは違うから……その…」


 必死に弁解しようにも上手く伝えられない。顔を真っ赤にして口ごもり、しまいには涙ぐんでしまった遊花の頭にポンッと軽く手が乗った。


「楠木。落ち着いて。大丈夫だから。そう言って貰えて安心したよ。じゃあさ、俺から提案があるんだけど」

「提案?」

「うん。俺は啓太みたいに楠木と普通に喋りたい。だからさ、まずは挨拶から始めない?」

「挨拶……」

「毎日欠かさず。絶対すること!」

「したい、けど……緊張……」

「じゃあ、俺からするから。返事はして。それでもダメ?」


 海斗くんから挨拶。それをシカトするなんて考えるだけで無理だった。


「それなら、絶対返す!」


 鼻息を荒くしてバッと顔を上げた遊花に海斗は面食らったように目をしばたいて、そして笑った。


「じゃあ決まりだね。明日から絶対に守ってよ?」

「うんっ!」


 というあの流れは、夕陽の成せる業だったのでしょうか。


 ゲレンデの異性が二割増しに格好良く見えるとか、そーゆー類の。夕日は羞恥心を二割減にして、その代わりに勇気を与えるとか?


 帰宅後はもう、翌日の挨拶のことで頭がいっぱいだった。いつもキチンと身だしなみは整えているつもりだったけど、今朝は余計に時間がかかってしまった。と言っても、普段と格別に変わったところは何もないけども。


 朝ごはんもドキドキして何を食べたか覚えてないし、通学途中で会った瑞希ちゃんの話もよく覚えていない。泣いたり怒ったり、とても忙しそうだったけど、最後の台詞は……なんだっけ?


 コテンと首を傾げながら教室のドアをくぐると、わっとクラスメイトが集まってきた。主には女の子が。普段から遊花を可愛い可愛いと愛でてくれる女友達。


「おはよう、遊花! 昨日は大丈夫だったの!?」

「もう平気なの!?」


 口々に心配の声をあげる友達の隙間から、こちらを見つめる海斗くんを見つけた。


「楠木。おはよう」


 どこかおかしそうに笑う海斗くんの声は、周りにいる女子の声より小さく聞こえたけど。


「おっ、おはよう! 海斗くんっ!!」


 昨日の夜から何度も練習した挨拶を、遊花は精一杯の勇気と声で言ってのけた。これには取り囲んでいた女子もピタリと口を止め。


 ゆらり……と海斗を振り返る。


「おまえら幽鬼かよ……」


 海斗の隣に立つ啓太は、なんとも言えぬ女子の視線に恐怖を感じて顔を引き攣らせた。だけど海斗といえば、ニッコリと笑って。


「おはよう。昨日、ちゃんと家まで帰れた?」

「帰れたよ! うち、近いし。全然平気!」

「送るって言ったのに、楠木って割と強情なところあるよね」

「ご、強情って。これ以上迷惑かけられないと思ったから……」

「そんなこと思わないのに」


 少しだけ拗ねたような海斗くんの表情に、遊花は顔を赤らめる。挨拶だけって思っていたのに、沢山喋ってしまった!!


 だけど遊花には挨拶の他に言わなければならない言葉がある。昨日、帰宅してやっと少し冷静さを取り戻して気づいた出来事。それは。


「あっ、あのね!! 昨日、言いそびれてたんだけど。保健室まで運んでくれてありがとう!!」


 海斗くんが遊花を保健室まで運んでくれたってことだった。昨日は目覚めたら保健室で、なぜか海斗くんがやってきて、嫌われてると思ったってショックな一言を聞いてパニクってしまったけれど。まず先にお礼を言わなきゃいけなかった。


 後々になってそのことに気付いた遊花はお風呂の中で悶絶したが、今日は勇気を振り絞って挨拶と一緒に言うと心に決めていたのだ。


 それだって、ベッドに入ってから何十回も練習をして。


 想像以上に大きな声が出てしまったけど、海斗くんはキョトンとしてから腹を抱え。


「いま!?」


 ゲラゲラと笑いだした。


「うっ……昨日は色々とパニクってお礼言うの忘れてたの……」

「あははっ! 別にいいよ。俺も忘れてたし。それより約束のことばっかり考えてたから」


 目に涙を浮かべて笑いを殺す海斗の言葉に女子の目が光る。


「約束って……?」

「なにかしら……」

「まさか、デート!?」


 コソコソと訝しげな視線を海斗に向ける女子の中で、遊花だけは正しくその意味を理解した。


 わたしとおんなじだ……


 昨日のことより何より。今日の約束で頭がいっぱいだったのは、遊花も同じ。


 それが嬉しくてつい、へらっと笑ってしまった。それを見た海斗が、またふいっと顔を逸らす。


 どうしたんだろうと首を傾げながら席に向かった遊花は、そこで啓太くんの顔を見てやっと思い出した。瑞希ちゃんが最後に言っていた言葉を。


「あっそうだ! あのタンショウがって言ってた!」

「はあっ!? 誰が短小だ、こら! 言ったの瑞希だろ!?」

「あ。啓太くん、おはよう。うん、そうだけど短小ってなに……」

「瑞希、てめぇえええええ!!!」


 鬼の形相で教室を飛び出して行った啓太くんにポカンとする遊花。その傍では海斗が再び腹を抱えた。


「楠木。意味わからないで言ったの?」

「え? うん?」

「ぶっ! 今日もあの二人のバトル見れるかもね」

「ええ?」


 海斗くんの言葉は正しく、それからことある事に啓太くんは瑞希ちゃんのところに走っていって、瑞希ちゃんは啓太くんを巻いては遊花のクラスにやってきた。


「本当にしつこいったら! 冗談で言ったのに図星だったのかしら。だから男ってやぁよねぇ。大きいとか小さいとか、そんなこと気にして」

「ええ。わたしも気にするよ」


 遊花の背後に隠れてギンギンと目を光らせて廊下を疾走する啓太くんを、皿のような目で見つめる瑞希ちゃんに遊花は同意する。


 その言葉に目をひん剥いたのは瑞希と同席していた海斗。


「あんた……経験ないでしょ!?」

「あるよ! 見ればわかるでしょ!?」

「見た目で分かるもんですか! あるの!? いつ、誰とよ!!」

「誰とって……?? ひとり?」

「一人で!? なんで呼んでくれないのよ! そしたらわたしが……」

「待て待て。楠木、なんの話してるの?」


 遊花の肩を掴み、ガタガタと揺さぶる瑞希の手を止めた海斗はニッコリと笑って見せた。


「え。身長の話だよね? わたし、ずーっと小さかったし、高校に入っても全然伸びないから本当に悩んでるんだよ。瑞希ちゃんくらいスラッとした身長が欲しかったなあ……」


 瑞希を見つめて、ウットリとした表情を浮かべる遊花に瑞希は頬を赤らめ、豊満な胸の狭間で抱きしめた。


「瑞希ちゃん、苦しい……」


 バタバタともがく遊花のことは気にも留めず、さらにキツく抱きしめる瑞希。


 瑞希は色気溢れる美女で男子からのファンも多い。


 その瑞希が隠れた人気者、癒し系小動物キャラクター、遊花と抱きしめ合うという百合な場面に男たちは見てはいけないものを見てしまった顔をして、女子はキャーキャーと隠し撮りを始めた。


「本当に可愛いわね。あなたはそのままでいいのよ。いい、遊花。そーゆーことをやる場合はまずわたしに相談してね。いい?」

「そーゆーことって?」

「だからエッ……」

「みーずーきー!! 見つけたぞ、ゴルァァァァ!!」

「げっ!」


 走り去っていく瑞希にニコニコと手を振る遊花に海斗はそっと胸を撫で下ろす。


 それから数日後。

 今日も変わらず朝から瑞希ちゃんと啓太くんは仲が良い。


 瑞希ちゃんの姿を見つけては追いかけ回す啓太くんと、高笑いをしながらひらりとタックルを躱す瑞希ちゃん。


「もうオシドリ夫婦みたいだねえ」

「そうか……?」


 もう阿吽の呼吸にさえ感じるその美しい舞いをニコニコと見守る遊花の隣には引き攣った笑みの海斗がいる。


 二人が交わした約束は順調に守り続けられていた。


 挨拶から会話へもっていく海斗の巧みな話術で当初に比べて遊花の緊張もだいぶほぐれ、いまでは朝の登校を共にすることまで出来るようになった。


 遊花は自分の成長を噛みしめながら、軽い足取りで学校に向かう。


 最近は良いことづくしだ。


 教室で支離滅裂なことを言ってぶっ倒れ、海斗くんからショッキングな言葉を聞いたときは人生終わったと思ったけど。


 挨拶から始まった日常は格段に海斗くんとの対話を増やしてくれたし、朝の登校時に海斗くんたちと遭遇するという奇跡まで起きた。


 それからは毎日同じ場所で会うようになって、いまでは一緒に登校してる。


 だけど遊花は瑞希と、海斗は啓太と登校しているわけで。二人がバッティングするのは避けられない運命となった。


「遊花! 今日は15分早く行きましょう!」

「おい、今日は15分早く行こうぜ」


 避けたいはずなのに考えることが同じ二人。お陰で結局バッティングが止まらない。遊花も海斗も、仕方がないなと最初は合わせていたけれど。


 ある日、今日は30分早く! と言い出した瑞希に遊花はおずおずと切り出した。


「あのね、瑞希ちゃん」

「なあに?」

「わたしね。いつも通りの時間がいいな……」


 言い出しにくそうに、俯き加減でそう口にした遊花に瑞希の眉が敏感に跳ね上がる。


「……どうして?」

「その……海斗くんと会えるかなって。出来たら、いつもみたいにみんなで登校したいんだ。ダメ、かな」 

「海斗に、会いたいの?」


 その声は低く、とても冷ややかなものだった。


 けれど遊花は気付かない。ずっと言い出したくて言えなかったことを、今日やっと口にしたのだから。


 遊花は耳まで真っ赤にして、コクッと頷いた。


 モジモジしながら俯く遊花に、瑞希はスカートの後ろに隠した拳をグッと握りしめる。


「そう……好き、なのね」

「やっ、そんな大それたことはっ! ただその……凄くドキドキはするんだけど」


 ブンブンと首を横に振る遊花。だけど真っ赤になった顔とその言葉が肯定している。瑞希は動揺する。握りしめた拳は小刻みに震えて、心臓の音は大きく耳を打った。


 なんてこと。わたしとしたことが、啓太とのバトルにかまけていて気付かなかった。


 瑞希は小さく声を震わせた。


「……わたしのことは? 海斗の方が好きなの?」

「えっ、なんで!? 瑞希ちゃんのことは大好きに決まってるじゃない!」


 目を丸くする遊花の答えは瑞希を満足させるに十分だった。


 素直に好きと言えない相手と大声で大好きと言える相手。どちらが上なんて明白だわ。


 遊花のことだから告白なんてできやしない。このまま綺麗な片思いで終わるように、傍で見守ってあげましょう。


 菩薩と修羅の心を持つ瑞希は、そう納得すると余裕を取り戻し、ニッコリと笑顔を浮かべた。


「そう!! ならいいわ。仕方ない。可愛い遊花のお願いだものね。あんな極小ミニマム男との諍いなんて屁でもないわ。いつも通り行きましょう」


 だけど。


「なんですって?」


 「果たし状」と書かれたノートの切れっ端で裏庭に呼びつけられた瑞希は信じられないと声を震わせた。


 あまりのショックで手に抱えた大量のエロ本が崩れ落ち、それを見た啓太は顔を引き攣らせたが、いまはそれどころではない。


「なあ。おまえと楠木って付き合ってるんだよな?」

「そうよ」


 迷いなき瑞希の大嘘。


 啓太はそうだよなあ……と大きなため息をつく。


「あいつ、どうも楠木のこと好きみたいなんだけどさ。どうしたもんかなあ」


 そう切り出した啓太は頭を抱えてその場にうずくまった。視線を落とした先には外人男優の裸体。目を逸らしてからそっと本を閉じた。


 啓太が言うには最近海斗の行動に不審な点が多く、気付いてしまったという。その報告に瑞希は驚愕し思わず言葉を失った。


「俺も気付いたの最近なんだけどさ。朝の登校一緒になるだろ。あれ、海斗の頼みでルート変えてんだよ」

「……気分的に変えたかっただけじゃないの?」

「いや。俺もおまえと会いたくないからさ。元のルートに戻そうって何度も言ったんだ。だけど笑って誤魔化すし」

「でもハッキリ聞いたわけじゃなんでしょう」

「それはそうだけど。でもおまえと楠木が付き合ってるなら、どうせ無理だよな。海斗には可哀想だけど、ハッキリ現実を教えてやるか」


 実のところ楠木と瑞希がデキているという噂は学年中に広がっている。


 その影には二人を応援する親衛隊まで存在するという話しだが、どこまで本当なのか啓太には分からない。それは海斗も同じだろう。


 それなら本人に確認するのが一番だと果たし状を出したわけだが、答えは案の状。


 海斗からしたら失恋の理由がまさか百合だとは思わないだろうが、悲しいかなこれが現実だ。


 立ち上がった啓太は、ひらひらと手を振って背を向けた。


「おまえも俺と顔を合わせるのはウンザリだろ? ピリオドは俺が打ってやるから安心しな。じゃーな」


 啓太が姿を消した後も瑞希の唇は震えたまま。握りしめた拳には爪が食い込んで小さな傷痕を残した。


「瑞希ちゃん来ないなあ」


 昼休み。なんだかんだで四人で机を囲むことが当たり前となっていたというのに、いくら待っても瑞希ちゃんが現れない。心配そうに廊下に目を向ける遊花に海斗は笑ってみせた。


「きっと忙しいんだよ。そのうち来るって」

「そうかなあ」


 時計の針は既に40分を指している。


 いつもは鐘と同時に現れる瑞希ちゃんが、こんな時間まで現れないなんて。チビチビと苺ミルクをすする遊花の斜め向かいでは、啓太がチラリと廊下に視線をやる。


「珍しいといえば啓太。おまえもな。今日は一度も突撃しに行ってないよな」

「ん? ああ、そうだっけ? あいつに構うほど俺も暇じゃねーのよ」

「へえ……」


 ペッドボトルに口をつける海斗の鋭い視線から啓太は目を逸らす。普段は瑞希ちゃんとギャーギャー騒いでいる啓太くんが今日はとても静かだ。


不安そうな顔の遊花、知らぬフリをする啓太、遊花を気遣いながら啓太の様子を窺う海斗。三人の間に重々しい空気が流れた。そんな中、口を開いたのは海斗。


「そうだ。遊花ちゃん、帰り道に新しく肉まん屋さんができたの知ってる? 今日、寄って帰らないか?」


ニッコリと笑いかける海斗に遊花の顔が輝く。


「そうなの? 気付かなかった! うん、い……」

「いや。悪いけど今日はダメだ。俺、海斗と大事な話があるからさ。ごめんな、楠木」


 海斗から目を逸らしたままムスッとした顔で会話を断ち切った啓太。遊花の笑顔は不発の花火のように消え失せた。


「あ……そうなんだ。うん、いいよ。また今度にしようね!」


 落胆したけれど、わざと明るく答えた。笑顔は……少しぎこちなかったかもしれない。


 結局、瑞希ちゃんはお昼休みどころか次の休み時間も、その次の休み時間も姿を見せなくて。


 心配が限界を超えた遊花は瑞希のクラスに出向いてみたのだが、そこでも会うことはかなわなかった。


 どんよりと落ち込んだ遊花を慰めようと、海斗も瑞希を捜し回った。徒労に終わってしまったが。


 そうして、それぞれが重苦しい空気を抱えたまま放課後に突入。


「はあ~、気が重い……」


 ブツブツ呟きながらトイレに向かうのは啓太。その背後から突然ドスッと足蹴りが入った。背中を海老反りにしながら、なんとか踏み留まった啓太は目を丸くして振り返った。


「いってぇな! 誰だよっ……っておまえ! 今日一日どこに隠れたんだよ。楠木泣きそうな顔しておまえのこと待ってたぞ」


 腕組みをして仁王立ちになっている美少女は、言うまでもなく瑞希である。


「ちょっと顔貸して頂戴」

「どこのヤンキーだよ……」  

 

クイッと顎をあげた瑞希にドデカいため息をついて、啓太はしぶしぶ後を追いかけた。


「で? やっぱり拳で語り合わなきゃ分からねーってオチじゃねーだろうな」


 朝早く落ち合った裏庭で再び向かい合う二人は眉間に皺を刻む。


 普段から研ぎ澄まされた美しさを持つ瑞希は、一層オーラに圧が加わって恐ろしく見える。


「……確認して」

「なにを」

「海斗の気持ちをよ」

「確認してどーすんだよ。楠木を譲る気なんかねーんだろ。おまえがそんな殊勝な女かよ」

「いいからしてよっ!!」


 ハッと鼻で笑った啓太に、ヒステリックな怒声が突き刺さる。いまにも泣きそうで、悲鳴にも似たその声。これには、さすがの啓太も顔色を変えた。


「おい……なんなんだよ」

「あんたのこと二度とミニマムなんで呼ばないから」


 ピクッ


「もう短小って言わないから!!」

「要点を言え、馬鹿野郎!!」

「わたし……遊花と付き合ってない」

「はっ?」


 拳を握りしめて、ポツリと呟いた瑞希に啓太は間抜けな声を出した。その声に瑞希は目をつり上げる。その目は涙で滲み、赤くなっていた。


「付き合ってないのよ!! 多分、遊花は海斗のこと好きだわ」


 突然のカミングアウトに開いた口が塞がらない。ポカンとした啓太は、ウウッと嗚咽を漏らした瑞希に呆れた顔をした。


「多分ってなんだよ。そっちも未確定なのかよ」

「そうよ。だから確認するの。本人の口からハッキリと答えを聞くのよ。わたしは遊花から。あんたは海斗から。わかった!?」

「……もし相思相愛だったらどーすんの?」


 楠木と瑞希は付き合っていない。それは分かった。けどこの瑞希の様子を見るからに、瑞希が楠木を好きなのは間違いない。


 めんどくせえことになったなあ。


 天を見上げながら啓太は瑞希の返事を待った。しばらくしたのち、瑞希が口を開いた。


「わたし、遊花のことが大好きなの。だから……応援する」

「したくねーんだろ?」

「そうよ。したくない。でも嘘を言って裏で細工するなんて、これから面と向かって遊花の顔を見れないじゃない。だから正々堂々戦うの。そう決めたわ。今日1日考えた結果がそれよ」

「結局応援しねーんじゃねーかよ」


 矛盾する言葉にガクッと項垂れた啓太を瑞希はキッと睨みつけた。


「卑怯な手段を選ばないことを褒めてよ!」

「なんで俺が……」

「だって本当はこのまま…!」

「ああもう。わかったよ。わかりました!」


 今度は啓太が耐えかねたように叫ぶ。


 言いたいことはわかった。本当ならこのまま、俺を騙して海斗を諦めさせたかったんだろう。

 今日顔を出さなかったのはずっと葛藤していたからだな。


 どう転ぶか分からないが、海斗と楠木。そして瑞希の三角関係は早めにケリをつけた方が良さそうだ。


 あんな重苦しい雰囲気の昼飯は二度と勘弁して欲しい。


「じゃ、俺は行く。おまえもしっかりやれよ。ああそうだ。目薬差してから行け。目ぇ、真っ赤だぜ」

「う、嘘っ!」


 慌てて顔を覆った瑞希と啓太は互いに背中を向けて歩き出した――


「瑞希ちゃん、今日どこに行ってたの? すごく心配したんだよ」


「ちょっと体調悪くてずっと保健室で休んでたのよ。心配かけてごめんね、遊花」


 昇降口で突然現れた瑞希に手を引かれてやってきた遊花は眉を下げる。瑞希ちゃんは本当に具合が悪そうで、いつもの元気がない。


「大丈夫? 今日は早めに帰った方がいいよ。家まで送るから……」

「うん。ありがとう。でもね、ひとつだけ遊花の口から聞きたいことがあって」

「わたしから? なあに?」


 風が吹く。互いのスカートを大きくゆらし、髪の毛を靡かせる。思い詰めたように真っ直ぐ自分を見つめる瑞希に、遊花は心無しか緊張を見せた。


「遊花。海斗のこと、どう思ってるの?」


 ◆


「話って学校でするのか?」

「ああ。どこでもいいんだけど、急を要するんだわ」

「へえ。で、なに?」


 昼間に大事な話があると言われていた海斗は、啓太の呼び出しに素直に応じた。渡り廊下を歩み、ひとけの少ない校舎裏へ。


「こんなところで……まさか。啓太、おまえ。俺のことが好きとか……」

「アホぬかせよ! いや、友達としては好きだけどな!」


 おどけてみせた海斗に噛み付く啓太は、ああもう! と髪の毛を掻き乱す。


「はいはい。冗談はこの辺にして。さ、話せよ。何? 恋の相談か?」


 自販機に小銭を入れてコーヒーを買った海斗は、プルダブを開けるとベンチに腰掛けた。


 どう切り出そうか悩んでいた啓太はひとつ瞬きをして。心の中で舌を出した。


「……そう、恋バナだよ」

「へえ。好きな人でもできたのか?」

「うん。できた」

「俺の知ってるひと?」

「もち」

「誰?」

「楠木……って言ったらどうする?」


 試すような啓太の目。缶コーヒーに口を付けた海斗は一瞬体を強ばらせ、飲むことなくコーヒーをベンチの上に置いた――


 ◆


「か、海斗くん? ええ〜と……凄くカッコイイなあと思うけど…」

「それだけ?」

「ううん。あとはね。話上手だなって思う!」

「あとは?」

「とっても優しいよ。今日もね、一緒に瑞希ちゃんのこと探してくれたし」


 指折り数えては顔を赤らめていく遊花に、瑞希は綺麗な眉を寄せる。


 いままでこんな顔見せたことなかったのに。

 いつの間にこんな顔をするようになったの、遊花。


「まだ話したことはないんだけどね。趣味も合うと思うんだぁ。いつか一緒に映画とか……観てみたいなあって。あっ、秘密だからねっ!」


 ずっと遊花の隣にいるのは自分だと思っていた。それなのに、こうして自分のいたポジションに海斗を置き換える遊花がとても悲しい。


 少しずつ、自分の居場所を海斗に取られていくようで。


「遊花って男の子と関わるのあまり得意じゃないでしょう? どうして……海斗のことはそんな風に思うの?」

「う、うん。実はね、入学式の時に瑞希ちゃんとはぐれちゃったでしょ。そのとき海斗くんが教室まで連れて行ってくれたの。笑顔がすごく素敵で。そのときからその……」

「好きに…なった?」

「ち、違うよ! 気になった……ってだけ」

「じゃあ、いまは?」


「いまは……」


 ◆


「本気?」


 海斗から発せられた声に、一瞬背筋が寒くなった。啓太は口元が引き攣りそうになるのを辛うじて堪える。


 こいつは人当たりも良いし、コミュニケーションもお手の物だから男女関係なく友好関係を築ける奴だ。


 だけど、啓太は知ってる。


 このイケメンの中に実は太い芯が一本通っていること。


 みんな大事って顔をして、本当に守るべきものをしっかり理解してる。


 それは時に啓太であった。ある時、啓太に盗難の疑いがかかった事がある。夏場の授業で、クラスメイトは全員プールにいたけど、啓太はたまたま腹を下して参加できず保健室にいた。


 だけどその時、クラスメイトの財布が盗まれて疑いがかかったのだ。


 全面的に良い人を演じていつもニコニコしてるくせに、その時の海斗は違った。


 クラスメイト全員を睨みつけ、証拠もないのに決めつけるなと怒りを滲ませピシリと言い放った。


 後日、警察の調べによって犯人は別人だと判明したけれど、海斗がクラスメイトを許すことはなかった。


 以前とは違った冷ややかな目を向け、発する言葉も感情のこもらないもので。耐えきれなくなったクラスメイトが謝り出すまで、海斗の態度は変わらなかったのだから。


 いくら仲良くしていても、海斗にとって守るべきものを傷つける人間は敵でしかない。


 分かっていた。分かっていたけど。


 これって俺の方がリスク高くねーか!? 瑞希!!


 ヒヤリとしたものを感じながら啓太は心で叫ぶ。


 だけどこの茶番劇。始めたのは自分だと己を奮い立たせた。この借りは絶対返してもらうぞ、と心で唸りながら。


「おまえに対してこんな嘘つくわけねーだろ」


 裏返りそうな声に力を入れて答えると、海斗は悲しげに目を伏せた。


「そう。確かに啓太は遊花ちゃんと仲がいいしね」


 海斗の顔は暗い。


 その顔を見たとき、啓太は思い出した。


 この顔、何度も見たことがあるって。


 休憩時間、海斗が啓太のところにやってくるときだ。他にも喋る友達はいるのに、迷わずこっちにやってくるから少し不思議に思っていたけど。


 寂しそうな、こーゆー顔をするとき。楠木が慌てて席を立っていた。あいつの背中を追う海斗の顔がいまと同じだ。


 楠木は女子とは仲が良いけど、多分男子は苦手なんだと思う。だから啓太は気にしてなかったし、一見ポーカーフェイスの海斗が何を考えているかなんて分かるはずもなく。


 ……楠木と仲がいいって?


 そんな風に見られていたなんて嘘だろ?


「別に。ただ席が近いってだけで」

「授業中も仲良く喋ってるじゃないか」

「授業中のグループが同じだからだろ」


 なぜだか段々と言い訳がましくなっていく。楠木を好きだと言っておいて逃げに走り出した自分に、啓太は頭を抱える。


 だって俺、別に楠木のこと好きじゃねーし!!


 という心の叫びが海斗に届くはずもなく。


「俺とは喋るようになるまで時間がかかったのに、啓太とはすぐ打ち解けたし」

「あいつ、オドオドして小動物みてーだろ。反応が面白くてちょっかいかけてたから……」

「へえ。そうなんだ」

「深い意味はねーぞ!!」


 スっと海斗の目が細くなったのを見てしまった啓太は焦って一歩後ずさり、声を荒らげた。海斗は啓太をじっと見つめ、歪ませた口にコーヒーを含む。


「俺が行くと逃げるようにいなくなってたんだよね、遊花ちゃん」

「そうだったか? よく見てたな。全然気づかなかったわ」


 やっぱりそのことにショックを受けてたんだな。ついさっき気付いたばかりだったが、啓太は誤魔化した。


 けれど海斗はいとも容易く、自然に言ってのけた。


「そりゃあ、好きだからね」


 ◆


「い、いまは……」


 恥ずかしさを押し殺し、遊花はスカートを皺が寄るほど握りしめ、俯いたまま言葉を飲み込んだ。


 遊花とは中学の頃から一緒だった瑞希だが、遊花が男の子を好きになったという話は一度も聞いたことがない。


 もしかして、いままでも好きになった人はいたのかもしれないけれど。奥手な遊花は恋バナすら出来なくて。だから恋なんて疎遠だと思い込んでいた。


 言いたくないなら無理に言わせなくてもいい。


 普段ならそう考える瑞希だったが、いまだけは引けない。心を鬼にして答えを待った。


 遊花の言動を見るからに、ほぼ間違いはない。分かってる。分かっているけど! ここで答えを貰うことが、今後の瑞希を左右する。


 憧れに似た感情なら、その想いをキープさせればいい。


 だけどもし、恋に発展していたら。


 黙って見過ごせない。


 二人の想いが通じ合う瞬間まで、瑞希は戦うつもりだった。


「教えて、遊花。とても大事なことなの。わたしを大事な友達だって思ってくれるなら、話して欲しいわ」

「思ってるよ!」

「なら……」

「でも……」


 困ったように眉を下げた遊花に、瑞希はため息をつく。


 これ以上は無理だ。ここまで言ってもダメなら、遊花は絶対に教えてくれない。そのことが寂しく、同時に悲しかった。


 信用されてないわけじゃない。

 そんなこと遊花は思ってない。


 だけど遊花のことはなんでも知りたいし、抱える気持ちは伝えて欲しいのに。


「わかったわ。もう、いい」


 瑞希は踵を返し、その場から逃げるように大股で歩き出した。唇を噛み締め、悔しさに涙が滲む。こんな顔、遊花に見せられない。


「瑞希ちゃん!」


 後ろで遊花が叫ぶ。パタパタと足音がする。追ってきてくれる喜び、追ってこないで欲しいというジレンマ。瑞希は立ち止まることなく歩き続ける。


「待って! ねえ!」


 転びそうになりながら遊花は後を追う。このまま別れたら瑞希ちゃんが居なくなるような気がして怖かった。


 必死に腕を伸ばし、瑞希の制服の裾を掴んだ遊花はギュッと目を閉じて叫んだ。


「わ、わたしっ! 海斗くんのこと、好き!!」


 ピタリと瑞希が足を止めた。


 覚悟していた言葉をやっと聞けた。その安堵と悲しみと、それ以上の――ハプニングに目を丸くして。


「……瑞希?」


 数メートル先。瑞希が進む先に、ポカンと口を開けた間抜け面の啓太を見つけて。


「あんた、なんでここに……」

「いや、それよりいま……」

「啓太? どうかしたのか?」


 続けて奥からコーヒーを片手に姿を見せたのは海斗。瑞希の目はさらに丸くなり、後ろにいた遊花は口を開けたまま固まって、死人のように青ざめた。


「う……うそっ!」

「遊花!?」


 遊花は走り出す。瑞希ちゃんに言われて自覚してしまった感情。それを口にするのはとても勇気がいることで、恥ずかしさの余り涙が滲んだ。


 でも瑞希ちゃんを失いたくないから、清水の舞台から飛び降りる覚悟で言ったのに。


 そこに海斗くんが現れるなんて!!


「うわーん! どうしようううう!!」


 顔を両手で覆い隠し、その場から逃げ出した遊花に三人は茫然と立ち尽くす。


 慌てて遊花を追いかけようとした瑞希は踏み出した足をピタリと止め。キッと海斗を振り返った。


「海斗……あんた、聞いたの?」

「聞いたって何を?」

「何っていまの」

「いまのって?」


 不思議そうな顔で遊花の走り去る背中を見つめる海斗に、啓太と瑞希。二人は互いに顔を見合わせてから海斗を見て。また顔を見合わせた。


 二人の目は語る。


(これ、マジで?)

(マジだな)

(あんたは?)

(聞いた)

(そっちはどうだったの)

(クロ)


 海斗の前で顎をクイッと動かしてみたり、頷いてみたり。


 仲が悪いようで気の合う二人。神がかった無言の会話は容易に互いの思いを伝えることに成功する。


 直後、ふっふっふっと肩を揺らす瑞希の口角は鬼女のように釣り上がり、対する啓太はヒクッと口元を引き攣らせた。


「あーはっはっはっは!!」


 笑いが止まらないとはこのこと。

 そして運命とはこーゆーこと!

 一世一代の遊花の告白を聞き届けなかった愚か者!


「遊花はわたしのモノよっ!」

「それは聞き捨てならないな」


 勝ち誇った笑みを浮かべる瑞希とピクリと眉を跳ねさせた海斗。


 薄々気付いていた海斗は悟る。瑞希の言葉は本気であると。


 だからこそ引かない。いや、引けない。


 海斗は遊花と話すきっかけを作るために、わざとシャープペンを置いて去ったのだから。


「俺は欲しいものはなんとしても手にいてるタイプなんだよ」

「あんた、人の良さそうなフリしてとんだ腹黒王子じゃないの」

「お褒めに頂いて光栄だよ」

「褒めてないわよ」 


 静かに闘争心を燃やす二人を置いて、遊花は発狂しながら校内を駆け回っていたのだった。










 


  

 











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やっと憧れの男の子と仲良くなれたと思ったら、仲良しの女の子が百合と化して牙を向いたんですが、どうしたらいいですか? 一色姫凛 @daimann08080628

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