雪についた足跡をたどってみたら・・・・

風鈴

雪の足跡

 僕は、間中林太郎まなかりんたろう

 中一。

 今、僕は、早めに昇る冬の満月に照らされながら、ある雪原の端を流れる、小川のほとりに居る。


 僕は川の流れる音に耳を傾け、水量が多くなり水流も速くなって、時々飛沫しぶきをあげる川の流れを、白い息を吐きながら、しゃがみ込んで、ただ見つめている。

 満月の明かりは灯火の光よりも、淡く広く、雪面を照らし出す。

 銀色に輝く雪を銀雪ぎんせつというが、まるで金雪のようだ。


「なんで、僕は、こんなことをしているんだろう?」

 意気地のない自分が、またしても逃げてしまった自分が、悲しくて、愚かで、つまらい生き物に感じられた。

 今までの事が何度も思い出されてくる。


 昨日は大雪だった。

 その前夜から降り積もった雪は、朝起きたら根雪となり、一向に溶けることがなく、次々に雪の層を重ねていった。

 雪は、時には粉雪に、時には大粒の牡丹雪ぼたんゆき――これは花弁雪はなびらゆきとか綿雪わたゆきとか言われたりもする――に、時にはあられ(あるいは、小米雪こごめゆき)と言ってタピオカパールより小さい小球状の雪玉になったりと、形を変えては降り続いていた。


 その日は、クラブ活動は中止されたが、僕はクラブの顧問に呼ばれたので、帰りが少し遅くなり、一人で帰った。帰る時には、雪は止み、晴れ間がのぞいていた。


 僕には、隣りに住む、と言っても畑を幾つか通り過ぎた家なのだが、その家に住む幼馴染が居る。

 彼女の名前は、愛田千尋あいだちひろ

 保育園時代から一緒で、小学校へはいつも誘い合って登下校をした仲だ。

 彼女は僕と違い、明るい性格で愛嬌があり、誰からも好かれる存在で、もちろん可愛い。彼女の居る周りには、明るい陽だまりができ、その温もりにあやかろうと男女を問わず休み時間ともなると集まるのが常だった。

 いわゆる陽キャグループと言うヤツだ。

 そして、そういうグループにはイケメンやら、美人やら、ハイスペックなヤツ等が集うのだ。

 僕は、そんな彼女を遠くから眺めているだけだった。


 中学生になったら、そんな引っ込み思案の性格を変えようと思ったので、彼女が同じクラスになって、僕は心がときめいた。


 ちがう、そんな殊勝な気持ちではない。

 僕は単純に、大好きな彼女と同じクラスになったのを喜んだのだ。

 彼女も僕と同じクラスになり、嬉しいと言っていた。

 そうして、小学校時代とは違うメンツが多くなった中学生活がスタートした。

 彼女も知らない人が多くなったので、僕とよく話したりしていた。

 僕は、毎日が楽しくて仕方がなかった。

 しかし、そんな時間はあっという間に過ぎ去っていった。


 班が決まり、彼女に多くの友達が出来るようになってきたら、自然と僕と話すことは減っていった。

 そんな時、僕は彼女とその友達が話しているのを聞いた。

「間中君とよく喋ったりしてるけど、千尋、彼と付き合ってるの?」

「えっ?まさか。彼とは幼馴染だから、良く知ってるってだけで、まだそんな」

「な~~んだ。まあ、そんな事だろうとは思ってたよ。だって、彼、地味だし、友達も少なそうだし、似合わないよね、千尋とは」

 僕は、それ以上聞くに堪えられず、その場を離れた。

 薄々は、気がついてたさ、僕も。

 似合わないよな、千尋とは・・・・。


 そして、決定的になったのは、クラスで一番のイケメン君が僕に「オレは千尋と付き合ってるから、お前が千尋に話しかけたり、一緒に登校したりするのは迷惑なんだよな!千尋は優しいから、そんな事を言うとお前に悪いと思って言わないけど、その辺のこと、お前、幼馴染ならわかるだろ?男だったら、そんな優しい千尋を傷つけないように気配りしろよな!」って言ってきた。

 もちろん、二人の仲を邪魔する権利は僕には無く、それを断る理由はなかった。

 それからは、二人で登校することも、もちろん下校することも、そして話しかけることもしなくなった。


 僕は、せめて勉強面ではハイスペックなヤツ等にまけないようにと頑張った。

 彼女が居なくても、僕は僕なりの生活を充実させようと努力した。

 別にそれで良いと思っていた。

 僕は、自分の心に蓋をしていたのだ。

 恋をするという心を閉じ込めて、千尋への想いを閉じ込めて、それで平穏に過ごせるものなら、それで良いと思っていた。


 想い出が、次から次へと蘇り、僕を苦しめる。


 急に、枝に積もっていた雪がバサリッと音を立てて落ちた。

 ドキリとして、我に返る。

 ただの垂雪しずりゆき(枝などから雪が滑り落ちる事)だが、静かな夜なので、びっくりする。

「なんで僕は、こんなことをしているんだろう?」

 つい言葉に出して言う、その言葉は、白い息と共に消えていった。


 こんなこと・・・・そう、僕は、昨日、一人で帰ったんだ。

 家の近くまで来た時、いつもなら気にもかけない道、竹林と竹林との間にある道が新雪に埋まり、足跡をつけてくれと言っている気がした。

 要するに僕は、真新しく積もった雪に自分の足跡をつけたくて仕方のない衝動にかられたのだ。

 

 良くここを通って、向こうの野原で遊んだよな、千尋と。

 懐かしくもあり、切ない気持ちにもなりながらも、きっと、一面の雪野原となって、誰も踏み込んでいない雪面が広がっているのだろうと思うと、ワクワクした気分の方がまさった。


 僕は、少し歩くと、道の端に別の足跡が付いている事に気がついた。

 この足跡は、二人分と一匹の犬のものか?

 たぶん、犬のハズ。その印が落ちているからな。


 散歩好きの老夫婦が犬を連れて散歩しているのだろうと、チラッと考えた後、僕はキュッキュッと新雪を鳴らす音の誘惑に引きずられて、無心になってその作業に没頭した。

 そして、すぐに竹林の奥の雪原に辿り着いた。

 少し向こうの方に、案の定、先客がいた。


 僕はその二人を見て、直ぐに後戻りした。

 今度は、来る時と違って、静かに、静かに・・・・。


「ワンワン!!ウウウ、ワンワン!!」

 けたたましい吠え声に、思わず振り返った。

「リン?」

「さ、さよなら!」

「待って。リン!」

 僕は、走っていた。

 待つわけないだろ!

 僕は心の中で叫んでいた。

 そして、ホントにサヨナラだと、強く思った。

 僕は、二人が向かい合って、楽しく笑い合う姿を見たのだ。


 この場所は、僕と千尋の想い出が詰まっている場所だ。

 その場所に、アイツが、あのイケメンが、千尋と居る。

 僕は、千尋との想い出も汚されたと思った。

 許せなかった。

 もう、昔の千尋との想い出も今の情景が浮かんできて、台無しだ。

 いらない、もういらない、彼女との想い出なんか!


 そうさ、いらないよ、もう。


 僕は、今、川の流れを見ながらつぶやく。

「さよなら・・・・もう、ここには来ないから。だから、僕の記憶から消えてくれ」

 川は相変わらず、流れが速く、まるで僕の記憶も流してくれるのではと思う程だった。



 今日の帰り際に、千尋から四つ折りの紙を手渡された。

『夕方6時に、私の家に来て!』


 僕は、母親には、ロードワークと言って、外に出た。

 今日はずっと晴天で、道路上の雪は解けていた。

 6時までその辺りを走り、僕は、今居る雪原へとやって来たのだった。

 一応、小型の懐中電灯を持って来てはいたが、山の端から昇って来た満月の明かりで、それは必要なかった。

 なぜ、千尋の家に行かなかったのか?

 話したくなかったから。


 ちがう!

 彼女に会うのが怖かったんだ。

 僕は、彼女の顔が、もう、まともには見られない。

 彼女の一番の笑顔は、昔は僕に向けられていると思っていた。

 でも、もう、彼女が僕に昔の様な笑顔を向けることはないだろう。いや、ないのだ。

 今会っても、彼女からは憐れむような、情けないモノを見るような、そんな苦笑交じりの笑顔しか見れないだろう。

 それが、たまらなく嫌で、怖かったのだ。

 あの時、僕をリンと呼んだ顔、驚き目を見張った顔、さぞかし僕を覗き魔のように思った事だろう。

 どのつら下げて、彼女に会えというのだろうか?


「はあ~、もうそろそろ、帰っても問題ないかな?」

 

 僕は彼女がもしかして自分の家に押しかけてくるかもしれないと思って、6時を大幅に上回るまでここに居たのだった。


 やっと、重い腰を上げ、家路に就こうとした時だった。


 ガサガサガサッ!


 小川の向こうの藪から、姿を現したそれは、小川をポンっと飛び越えた。そして、着地したと同時に僕とそれの目が合った。

 鼻が長く、赤ら顔のそれは、直ぐに視線を切ると、慌てたように反対の藪へと駆けて行った。


 懐中電灯で、藪の方を照らしても、もうどこへ行ったのか、そもそも今の出来事は本当に起こったことなのか、それすらも曖昧な感じで、ただ、雪原が前にも増して、金色に月の光を静かに反射していただけだった。


 何気なく、その天狗の様な何かが着地した所を見ると、そこには、羽根が一本落ちていた。ソイツが持っていた、鳥の羽根はねで出来ている扇子のようなモノから、落ちたのだろう。その羽根は、月光にキラキラと光っていた。


 僕は、それを拾ってポケットに入れると、家まで帰って行った。

 母親に、誰かが来なかったかと訊いたが、誰も来なかったそうだ。

 僕は、ホッとした。


 その夜、僕は夢を見た。


 千尋と一緒にあの雪原で遊んでいた。

 すると、あの天狗のようなモノが出てきた。

 僕は千尋の前に出て、彼女をかばおうとしたら、庇ったのは、あのイケメンだった。

 千尋は、ソイツに抱きついていた。

 イケメンは、千尋の頭を撫で、僕に向かって、ニヘラと口の端を曲げて笑った。

 僕はただ、何もできずに拳を握って見ているだけだった。

 千尋はぴったりと身体をソイツにくっつけていた。

 顔は上気して赤らめており、幸せそうな笑顔をしていた。


 その時、側にいた天狗のようなモノが手に持っている扇をふわりと仰いだ。


 すると、千尋が抱きしめているイケメンが僕に置き換わった。

 彼女のムネは、意外としっかりと僕の身体に押し付けられていて、二つの膨らみの感触がはっきりと感じられ、恥ずかしかった。

 彼女は言った。

「好き!ずっと好きだったの!」


 それからどうなったのか?

 それ以上の事は覚えていないが、この時の彼女の身体の感触と彼女の言葉だけは、目覚めてからもしっかりと想い出すことが出来た。


 翌日の朝、外は粉雪(別名、霧雪きりゆき)が降っていた。

 僕は、大人用の大きめの傘を出して外に出た。


 粉雪は、サラサラと降りしきり、辺りをおぼろに霞ませる。

 街の郊外にある僕の家の周囲は、畑やら田んぼが多く、通常は見渡せる遠くの景色まで、その粉雪のせいで白くなり、見えない。

 まるで、また夢の世界に戻ったようだった。


 千尋の家の前を通った時、彼女が僕が通るのを計ってでもいるように家から出てきた。

「おはよう!」

 不意に声が掛けられた。

 僕も反射的に応じた。

「おはよう」

 彼女の顔は、赤くなっていた。

 それは、寒さのせいばかりではないようだった。

 僕の顔も赤くなっていたことだろう。

 僕は、その時、顔の火照りを意識したから。

 僕は、ポケットに入れていた、あの羽根を握りしめていた。


「雪、降ってるよね」

「ああ、そうだね、めっちゃ降って来たな」

 そう言うと、僕はおぼろに霞む景色を見た。

 ワザとらしいかもしれなかった。

 なので、余計に、僕は顔を赤らめた。

 彼女は、そんな僕を知ってか知らずか、僕をじっと見ていた。

 変な間に耐え切れずに、思い切って声を出した。


「「あの」」

 ハモってしまった。


「うふふふふふ!」

 彼女は、笑った。

 それは、昔の屈託のない笑顔だった。

 僕は、彼女の想い出を忘れようとしたことすら忘れて、彼女の笑顔を黙って見つめてしまった。


「あのね、わたし、昨日夢を見たんだ。それがね、変な夢なの。天狗が出て来たんだよ」

「えっ?なに、それ?」

「うふふふふ、面白いでしょ」

「で、どうなったんだ?」

「うふふふふ、わすれた!」

「なんだよ、それ!オチがないのかよ!」

(いや、そこじゃない、なんで千尋も天狗なんだよ?)

「だって、夢だもん」

(言えないよ、恥ずかしくて。お願い、勇気をちょうだい、天狗さんの羽根!)


「この前、端辺はしべ君(あのイケメン)と居たこと、なんか誤解しなかった?わたし、端辺君とは何の関係もないんだから。勝手に、端辺君がドンちゃん(犬の名前)の散歩までついて来たんだから。それを昨日、ちゃんと伝えようと思って」


「なんで、アイツが千尋と?」

「なんか、雪道は危ないからって。ねえー、バカみたいでしょ」

「断ればいいんだよ、そんな事!」

 思わず、大きな声が出てしまった。

「うん、そうだよね。次は、はっきりと言うよ。わたし、断るの下手だから」

「僕が言ってやろうか?」

「うふふふふ、なんか強くなった?」


「えっ?・・ちぇっ!それなら、ちょっと言わせてもらおうか」

「何よ?」

「犬と散歩するときは、う〇この処理を忘れずにしないとな、迷惑だから」

「あっ!あれ、知ってたんだ!でもね、あの後でちゃんと取ったんだからね」

「ふ~ん、それなら散歩中に取れるように用意しとかないとな。飼い主の義務だろ?」

「わかったわよ。だったら、今度から一緒に散歩してくれる?ついでに登校も。もちろん、OKだよね?」


 そうだった、コイツはこういうやつだった。

 してやったりと思ったら、直ぐに反撃してくる。

 それも、可愛い反撃を。

 もちろん、OKだよね?だって、もちろんだ。


「ああ、仕方がない、一緒に行ってやるか」

「う〇こ取りは、リンの役目だよ!」

「えっ?なんでだよーー!」

 

 僕に、ウンがあるのかないのか?

 そして、これは現実なのだろうか?

 粉雪でけぶる景色の中、手に握る羽根に問いかけていた。



 こうして、僕と千尋は、また、一緒に登校するようになった。


 あの天狗のような妖怪は、その後、出会う事はなかった。

 ただ、あの羽根だけは、大切にしている。



 おわり

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