使命。そして誇り
「シリカ……シリカ!」
誰かに呼びかけられ、シリカはうっすらと目を開けた。誰かが自分の顔を覗き込んでいるが、ぼんやりしていて顔が判別できない。誰だろう。お姉ちゃん? 自分はまた氷結召喚に失敗し、魔物にやられて診療所に運び込まれたのだろうか。
「シリカ、しっかりしな、シリカ!」
再び呼びかけられ、シリカははっとして目を見開いた。手が何か柔らかいものを掴む。身体の上に白いシーツがかけられていた。どうやらベッドに寝かされていたようだ。鮮明になった視界を見回していると、気難しそうな老婆の顔が目に入った。
「まったく……驚かせるんじゃないよ。死んだかと思って冷や冷やしたじゃないか。」
老婆がにこりともせずに言った。白髪の髪を後ろで結わえ、背筋をしゃんと伸ばし、威厳に満ちた顔でシリカを見下ろしている。このミストヴィルを
「ゲバルド長老? 何でここに……」
「ヘーデルの奴が知らせてくれたのさ。今朝早くあんたの家に行ったら、あんたとリビラが二人とも倒れてると言うじゃないか。診療所に行ってもレイクはいないし、仕方がないから、あんた達が目を覚ますまであたしが付き添ってやることにしたのさ」
となると、ここはシリカの自宅のようだ。辺りを見回すと、魔術書が並んだ本棚や、薬草や薬品の置かれた棚が目に入った。部屋の奥には破裂した水道管が見える。それを見ているうちに、シリカは昨晩起こった出来事を思い出し始めた。
「そうだ、お姉ちゃんは……!?」
慌てて身体を起こしたものの、途端に首筋に痛みが走り、シリカは咄嗟に手で首を押さえた。ゲバルドが咎めるように眉を顰める。
「これ、病み上がりの人間が動くんじゃないよ。リビラならそこにいるよ。さっきからぴくりとも動きやしないがね」
ゲバルドが右隣を顎で差した。シリカが視線をやると、顎の下までシーツを被せられ、ベッドに寝かされているリビラの姿が目に入った。死期を待つ病人のようなその姿は、あのパワフルな姉のものとはとても思えなかった。
「お姉ちゃん……」
胸が痛くなるのを感じながら、シリカはぽつりと呟いた。昨日まで元気だった姉が、今や青白い顔でベッドに横たわっているなんて、とても現実の光景とは思えない。
「それより、昨日の晩、何があったんだい? まさか賊の
ゲバルドが尋ねるも、シリカは即答できずに顔を俯けた。信じてもらえるかはわからないが、それでも話すしかない。
シリカは眉を下げると、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……私が昨日、ヘーデルさんのところから家に帰ったら、レイクせ……レイクがいました。あの人の右手はいつもと違った……。黒くて、爪が長くて、まるで悪魔の手みたいに見えました。
あの人はその手を使って、お姉ちゃんから魔力を奪ったようでした。それでお姉ちゃんは……」シリカは唇を噛んだ。
「レイクが? 馬鹿な。あの男は医師だ。何故医師が魔力なんか欲しがるんだね?」
「あの人は元々水晶魔術師になりたかったみたいです。でも魔力がないから、仕方なくお医者さんになったんだって言ってました。私も初耳でしたけど……」
「じゃあ何だ。あの男はリビラと交際する中で、魔力を奪うチャンスを
「……私だって信じられません。でも見たんです。あの人がお姉ちゃんの魔力を吸収して、氷結召喚したところを……」
「何だって? あいつが氷結召喚を?」ゲバルドが目を剥いた。
「はい、ポットのお湯から蛇を。お姉ちゃんみたいに素早い動きでした。
蛇に私の相手をさせてる間に逃げようとしたので、私も急いで魔法を使いました。でも、上手くいかなくて……。私は蛇に噛まれて気絶して、あの人はそのまま行ってしまいました」
「そうか……。レイクは今朝から診療所に姿を見せていないんだ。家にも帰っていないし、あんたの話が本当なら、今頃どこかにとんずらしてしまっているんだろう」
ゲバルドが
レイクは魔力を奪った直後に氷結召喚を成功させた。それに比べて自分は、二年間も氷結召喚を練習しておきながら、召喚できたのはあんな頼りない小鳥一羽だけだった。それも姉を守るという、一番肝心な時に――。
「あの、ゲバルド長老……。お姉ちゃんはこのまま目を覚まさないんでしょうか?」
シリカが不安そうに顔を上げて尋ねる。ゲバルドは苦々しげな顔になってかぶりを振った。
「魔力の結晶は、魔術師にとっては生命そのもの……。結晶を取り戻さない限り、リビラが目を覚ますことはないだろうね」
「そんな……!」
驚嘆の声が漏れると同時に絶望的な思いが込み上げてくる。もし本当にリビラが目を覚まさなかったら、自分はどうすればいいのだろう? リビラがいなくなったと知れば、あちこちから賊が水晶を奪いにやってくるだろう。氷結召喚もまともに使えない自分にリビラの代わりが務まるわけがない。
それに、もっと悪いのは、昨日リビラと喧嘩をしたまま別れてしまったことだ。水晶魔術師を辞めろと言われたことでかっとなり、心にもない言葉を投げつけてしまった。
だけど冷静に考えてみれば、リビラが名誉のために自分を利用したはずがなかった。もし本当にそうだったとしたら、毎日のように特訓に付き合ってくれることもなかったはずだ。
リビラはただ、自分も一人前の水晶魔術師になれるようにと願って厳しいことを言っただけなのだ。それがわかっていながら、私は――。
「……私、昨日お姉ちゃんにひどいことを言ったんです」
シリカがぽつりと言った。ゲバルドがシリカの方に視線を向ける。
「お姉ちゃんは最初から私に期待してなくて、引き立て役として私を利用しただけだって思い込んで、お姉ちゃんなんか嫌いだって言って……。お姉ちゃんがそんなことする人じゃないってことは、私が一番知ってるはずなのに……」
言いながら、シリカの瞳からぽろぽろと涙が零れ始めた。あの言葉でリビラはどれほど傷ついたことだろう。本当に伝えるべき言葉は別にあった。たとえ反対されたとしても、自分はやはり水晶魔術師になりたい。力不足かもしれない。いない方がかえって助かるのかもしれない。
それでもシリカが魔術師になりたいと願うのは、少しでも姉の力になりたいからだった。いつかリビラが
手で涙を拭いながらしゃくり上げるシリカをゲバルドは黙って見つめていたが、やがて神妙な顔で口を開いた。
「……リビラの目を覚ます方法ならある」
シリカが胸を衝かれた様子で顔を上げる。ゲバルドは続けた。
「あんたの話によれば、レイクは妙な力を使ってリビラから魔力の結晶を奪った。だったらあんたが、その魔力を上回る力で奴を倒し、魔力の結晶を取り戻せばいい」
ゲバルドは事もなげに言ったが、シリカは慌ててぶんぶんとかぶりを振った。
「で、でも……! 私は氷結召喚一つまともにできないんですよ!?そんな私が、あの人を倒すなんて……」
「じゃあ何か? あんたはこのままリビラが目を覚まさなくてもいいのかい? 水晶魔術師不在の中、このミストヴィルが賊や魔物に
「それは……」
シリカは視線を落とした。この美しい故郷が賊や魔物に踏み荒らされることも、リビラが二度と目を覚まさないことももちろん嫌だ。でも、果たして自分にゲバルドが言うような力があるのだろうか。ミストヴィルを、そしてリビラを救うだけの力が――。
「……シリカ、あんた、自分が
ゲバルドが不意に尋ねてきた。シリカはきょとんとして首を振った。
「水晶魔術師には誰にでもなれるわけじゃない。もちろん血統の問題はあるが、たとえ血統が正しかったとしても魔力を持たない者は大勢いる。それはね、悪意ある者に魔術を使わせてはならないという神の計らいなのさ。
クリスティアラの魔術師の力は、万物の
だからね、シリカ、あんたが力を持って生まれたということは、それはあんたが神に選ばれたということだ」
「私が……選ばれた?」
「あぁそうさ。シリカ、あんたは自分がまだ半人前で、レイクを倒す力など持っていないと思っているかもしれない。
でもこれだけは言える。ミストヴィルとリビラの運命は、今やあんたの肩にかかっているんだよ、シリカ。あんたが水晶魔術師としての使命に向き合うか、それとも臆病な自分のまま逃げ出すか……。リビラはどちらを望むだろうね?」
胸を衝かれてゲバルドの顔を見返す。自分が魔力を持って生まれた意味など、今まで考えたこともなかった。両親が魔術師だから魔力を継承しただけで、それ以上の意味などないと思っていた。だがゲバルドは、そこには神の計らいがあったのだと言う。
「……わかりました」
気がつくとシリカは言っていた。ゲバルドをまっすぐに見つめ、声が震えそうになるのを必死に
「私……やります。正直不安でいっぱいで、上手くいくかわからないけど……それでもやります。
私……自分が神様から選ばれた存在だなんて今も信じられません。でも、もしお姉ちゃんだったら、こんな時きっと逃げない。水晶魔術師として、自分の役目を果たそうとすると思う。
だから私も逃げたくないんです。このまま何もできずに……弱い自分のままで終わりたくないんです」
そう言ったシリカの瞳には、今までにない決意の
[第一部 流れる水の地で 了]
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