生まれし魔物

 次の瞬間、鋭い衝撃が全身を貫き、リビラはかっと目を見開いた。次いで刺すような痛みが全身に走り、咄嗟とっさに歯を食い縛る。ぜいぜいと息を切らしながら視線を落とすと、自分の胸にレイクの手が食い込んでいるのが見えた。その手がリビラの体内にある何かを掴み、それを引きり出す。まるで心臓が引きちぎられるような感覚があり、リビラは身をよじって痛みに耐えようとした。


 やがてレイクの手がリビラの中から引き抜かれた。雪の結晶のような形をした、青い水晶がその手の中に浮かんでいる。それはリビラの魔力の源であり、魔術師にとっては生命線とも言えるものだった。


 だがリビラの目を奪ったのは、それを包むレイクの右手だった。鋭く長い爪に、血管の浮いたしわだらけの黒い手。それは悪魔の手とでも呼ぶべき禍々まがまがしさを持っていた。


「レイク……あんた、何を……」


 リビラに言えたのはそこまでだった。魔力を失った彼女の身体はもはや抜け殻も同然で、リビラはその場に膝を突くと、力なく木の床に倒れ込んだ。レイクは感情のこもらない目でその姿を見下ろした。


「お姉ちゃん……!」


 不意に玄関の方から声がして、次いで何か硬いものが落ちる音がした。レイクが振り返ると、ロッドを取り落としたシリカが、驚愕きょうがくを浮かべて立ち尽くしているのが見えた。その視線は、レイクの足元で伏したリビラに釘付けになっていた。生気のない姉の姿を前に、彼女の顔もみるみる蒼白そうはくになっていく。


「おや、もう帰ってきたのか」レイクが眉を上げた。

「邪魔者がいない間に事を済ませてしまいたかったんだが……まぁいい。君がいようがいまいが、僕にとっては大した問題ではないからな」


 シリカはレイクの方に視線を移した。そこでようやく、彼の白衣の下から見える黒い手と、そこに浮かぶ水晶の存在に気づいた。


「どういうこと……? 何が起こってるの?」シリカが譫言うわごとのように呟いた。


「簡単なことだ。僕はリビラの魔力を頂いた。彼女の水晶魔術師クリスタル・マジシャンとしての役目は終わった。これからは、僕が彼女の代わりに水晶魔術師となる」


 レイクが病名でも告げるように淡々と言った。だが、それを聞いてもシリカにはまるで理解できなかった。


「先生が、水晶魔術師……? どういうことですか!? レイク先生はお医者さんでしょう? どうして魔力なんて欲しがるんですか!?」


 レイクはすぐには答えなかった。水晶を手に浮かべたままシリカを見つめた後、侮蔑ぶべつしたような笑みを漏らす。


「……君もおめでたい子だな、シリカ。僕が本気で医師などという地位に甘んじているとでも思ったのか?

 僕は本来、水晶魔術師になるために生まれてきた身。だが、何らかの手違いにより魔力は授けられず、やむなく別の道を選択した。

 しかし、僕は今こうして魔力を手に入れた。わかるか? 僕は自分のあるべき姿を取り戻したんだよ」


「そんな……!」


 シリカは絶句した。あの優しいレイク先生が、恋人を無残にも足元に転がして、嘲弄ちょうろう的な眼差しで自分を見据えている。シリカの意識はその現実を受け入れることを拒んだ。これは夢だ。自分はひどい悪夢を見ているだけなのだ――。


 だが、シリカのそんな儚い希望は、次のレイクの一言で打ち砕かれることになった。


「せっかくの機会だ。君には、僕の力を試す実験台となってもらおう」


 レイクはそう言って水晶を自分の胸に当てると、それを体内に吸い込ませた。次いで台所で煮え立っているポットの方に手をやり、静かに目を閉じる。この光景は、まさか――。


「……氷結召喚フリージング・サモン!」


 レイクがまなじりを決して叫んだ瞬間、ポットの蓋が弾け飛び、中から煮えたぎった湯が噴出してシリカに襲い掛かった。シリカはロッドを拾って慌ててその場から跳び去った。

 湯は矢のように床に降り注ぎ、床に落ちたと思いきや急速に冷気を発する氷塊ひょうかいとなり、寄せ集まって何かの形を生成し始めた。とぐろを巻き、長い舌を狡猾こうかつにちらつかせるその姿は――氷の鱗を持つへびだ。天井を突き破りそうなほどの大きさがある。


「氷結召喚!? どうして……!?」シリカが悲鳴混じりに叫んだ。


「言っただろう? 僕はリビラに代わって水晶魔術師となった。氷結召喚が使えるのは当然だ」


 レイクが平然と言った。シリカは床に手を突き、絶望的な思いで氷の蛇を見つめた。


 こんなことがあっていいのか。姉の恋人であった男が、姉から奪った魔力をほしいままに操っている。まるで昔から自分のものであったかのように。そんなこと――許されるはずがない。


 シリカは指先に力を込めると、表情を引き締めて立ち上がった。ロッドを構え、蛇をまっすぐに睨みつける。蛇は挑発するかのように舌をちらつかせながら、じりじりとシリカの方ににじり寄ってくる。

 シリカは間合いを取りながら、必死に一角獣の姿をイメージした。お願い、力を貸して。今ここでレイクを倒さなければ、お姉ちゃんの力が奪われちゃう――。


「……氷結召喚フリージング・サモン!」


 シリカがかっと目を見開いて叫んだ瞬間、ぱあんと音を立てて水道管が破裂し、中から勢いよく水が噴出した。水はランプの灯りを受けながら、床に落ちる間もなく空中で何かの形を生成していく。一角獣よりも随分と小さい。氷の翼にくちばし、短い尾っぽを持ったその姿は――。


「ぴいっ!」

「え?」


 シリカは呆気に取られてその生き物を見つめた。シリカの目の前に現れたのは、シリカの手のひらほどしかない羽を懸命にばたつかせ、つぶらな瞳で自分を見つめる、何とも可愛らしい小鳥だった。


「こ、これ……私が呼んだの……?」

「ぴいっ!」


 小鳥がしきりに羽をばたつかせながら答えた。そのいじましい姿を見つめながら、シリカは落胆が湧き上がってくるのを感じた。何てことだ。初めて氷結召喚に成功したと思ったら、呼び出したのがこんな頼りなさそうな小鳥だなんて――。


「……君には似合いの魔物だな。さて、他に出せるものがないなら、僕はそろそろ失礼させてもらおう」


 レイクは小鳥を一瞥いちべつして言うと、部屋を横切って玄関へ歩いていこうとした。


「あ……待って!」

「ぴいっ!」


 シリカが声を上げたと同時に小鳥がレイクのところに飛んでいった。だが、レイクは小鳥をあっさりと手で払い除け、勢い余って小鳥は床に墜落ついらくした。小鳥は羽をばたつかせながら身体を起こし、再び飛び上がろうとしたが、今度は蛇が大口を開けて小鳥を威嚇いかくした。小鳥は恐怖に身を縮め、そのまま羽を広げて気を失った。


「もう……何やってるの!」


 シリカは苛立ったように叫ぶと、急いでレイクの後を追おうとした。だが、いつの間にか前に回り込んでいた蛇がシリカの前に立ち塞がった。


 あっと声を上げたのも束の間、蛇はシリカに向かって奇声を上げると、首筋に思いきり噛みついた。ひやりとした牙から鋭い痛みが走る。


 シリカは苦痛に顔を歪め、ロッドを取り落として床にくずおれた。かすむ視界の中、懸命にロッドに手を伸ばそうとしたが、そこで意識が途切れてシリカはがっくりと首を垂れた。


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