未知なる敵

 街の中心部にある円形の広場は、中央部に石造りの噴水があり、普段は涼を求める人々のいこいの場として使われている。


 だが、到着した三人の眼前に広がっていたのは、憩いなど望むべくもない壮絶な光景だった。


 人々は転がるようにして逃げ惑い、二本足で歩く蜥蜴とかげの姿をした魔物がそれを追いかけている。蜥蜴は人間と同じくらいの大きさがあり、身体は緑色の鱗に覆われている。ぎょろりとした目玉、口から伸びる赤く長い舌、一触れで肌を切り裂きそうな鋭い鉤爪かぎづめ。何もかもが不気味で、非現実的だった。


「あれは……!?」シリカが目を丸くした。


「……リザードね」リビラがぽつりと言った。「見ての通り、蜥蜴の姿をした魔物よ。あたしも噂だけは聞いたことがあるけど、まさか本当に現れるなんて……」


 リビラが信じられないものを見るようにリザードを見つめた。シリカだって、こんな禍々まがまがしい魔物と遭遇することになるなんて思わなかった。だが二人が当惑している間にも、リザードはじわじわと噴水の方へ人々を追い詰めている。もはや迷っている時間はない。


「……いくわよ」


 リビラが顎を引いて低い声でささやいた。ステッキをリザードの方へ突きつけて叫ぶ。


氷結召喚フリージング・サモン! 出でよ、氷柱一角獣アイシクル・ユニコーン!」


 リビラの声に呼応して、噴水の水が勢いよく湧き出した。そのまま石畳の上で凝固し、あっという間に一角獣の姿を生成していく。十秒もかかっていない。


「ユーニ、その魔物を倒しなさい!」


 リビラが叫んだ。ユーニは前のひづめを上げていななくと、リザードに向かって突進していった。リザードはぎょろりとした目をこちらに向けると、素早く身体を回転させて攻撃から逃れた。ユーニは風を切ってリザードの眼前を通り過ぎたが、すぐに前足でブレーキをかけて反転すると、再びリザードに向き直った。リザードはそれでも怯む様子を見せず、咆哮ほうこうを上げて威嚇いかくする。その恐ろしさに周りの人々は抱き合って震え上がった。


 ユーニは再びリザードに突っ込んでいったが、リザードは意外なほど軽い身のこなしで攻撃をかわした。ちらつく赤い舌は闘牛士の旗のようだ。


「……さすがに一筋縄ではいかないわね。完全にこっちの動きを読まれてるわ」


 リビラが顔に焦りを浮かべて言った。一方のシリカはといえば、戦闘が始まってからおろおろするばかりだったが、姉の呟きを聞いてようやく我に返った。


(ここは私が何とかしなきゃ……。でないとお姉ちゃんがやられちゃう!)


 シリカは表情を引き締めると、ロッドを握り、目をつむって召喚する魔物の姿をイメージしようとした。

 蜥蜴に対抗するならやっぱり蜥蜴だ。二本足で立ち、身体は鱗で覆われ、鋭い爪と赤い舌を持って、目はぎょろりとひんむいて……。あぁ、何て気持ち悪いんだろう。


氷結召喚フリージング・サモン!」


 シリカがかっと目を見開いて叫んだ。その瞬間、噴水の水が再び湧き出がり、リザードとユーニの上に雨を降らせた。水滴は凝固しながら石畳に落ち、何かの姿を生成していく。傍らに立つリザードとそっくりなフォルム。これはもしかすると――。シリカは期待に身を乗り出した。


 だが、蜥蜴の頭部が生成されようとしたところで、リザードが舌を勢いよく突き出してそれを破壊した。氷の魔物はあっという間にただの液体に戻り、びしゃりと石畳に叩きつけられた。


「そんな……!」


 シリカが絶望して叫んだ。次の瞬間、リザードのぎょろりとした目がシリカを捕らえ、そのおぞましさにシリカは背筋が凍りついた。


 リザードはユーニに背を向けると、真っ赤な舌をちらつかせながらシリカに向かって突進してきた。今にもシリカを喰らおうとしているようだ。シリカは足がすくんで動けず、咄嗟に目を瞑って顔を背けた。


「シリカ!」


 次の瞬間、誰かがシリカの身体を抱え、そのまま脇に飛び退いた。身体が宙に浮いたような感覚があり、次いでざざっという音を立ててシリカは仰向けに地面に倒れ込んだ。石畳で擦り剥いたのか、膝に痛みが走る。シリカは痛みに顔を歪めながらも、目を開けて周りの様子を窺おうとした。


 すぐ傍にリビラの顔があった。シリカの身体に腕を回し、同じように地面に突っ伏している。さっき自分を庇ったのはリビラだったのだ。そして倒れ込んだ姉の背後、自分達から一メートルほど離れたところに、頭をのけぞらせて硬直したリザードの姿が見えた。その首は後ろからユーニの角に穿うがたれており、すでに絶命しているようだ。


「……まったく、無茶するんだから」


 不意にリビラの声がして、シリカは姉の方に視線を戻した。その瞬間、リビラの二の腕に痛々しい傷跡があることに気づいた。三本の爪の形に服が切り裂かれ、むき出しになった肌から血が流れ出てきている。


「お姉ちゃん……!? どうしたのその怪我!?」


 シリカは動揺して叫んだが、すぐにリザードの鉤爪のことを思い出した。おそらく自分を庇った時に、あの鉤爪で切り裂かれたのだろう。


 姉の傷を見ているうちに、シリカは悔しさと情けなさがこみ上げてくるのを感じた。自分は戦いの役に立たなかったばかりか、姉に怪我を負わせてしまったのだ。

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