交わらぬ心
「どいてくれ、急患なんだ!」
不意に後ろから知った声が聞こえた。シリカが振り返ると、大きな鞄を抱えたレイクが、血相を変えて人混みをかき分けてくるのが見えた。
「リビラ、大丈夫か!? しっかりしろ!」
レイクは二人の傍に屈み込むと、リビラの身体を抱き起して傷の具合を確認した。その生々しい傷跡を前に顔をしかめる。
リビラが手を突いて身体を支えたのを見て、レイクは彼女から手を離して鞄を探り始めた。小瓶と
「傷口の
レイクはそう言って脱脂綿をリビラの傷口に当てた。リビラは顔をしかめたが、声は上げなかった。
「君達が魔物と戦っているという話を聞いて飛んできたんだ。この程度の怪我で済んだからよかったものの……リビラ、どうして君はいつもそう
レイクが
「あの、レイク先生……。ごめんなさい、お姉ちゃんが怪我したの、私のせいなんです。私が魔物に襲われそうになって、それをお姉ちゃんが助けてくれたんです」
シリカは自分も身体を起こすと、おずおずと言った。レイクはちらりとシリカの方を見たが、すぐに首を振って言った。
「僕が言っているのはそんなことじゃない。リビラ、君は物事を一人で抱え込み過ぎなんだよ。いくら君が水晶魔術師だからって、何にかも自分の手で解決できると思わない方がいい。
今回のことだってそうだ。魔物などという得体の知れないものに一人で立ち向かった結果がこの有り様だ。何故もっと他人の力を借りようとしない?」
その言葉に微かな苛立ちが混じっているように思え、シリカは意外そうにレイクを見つめた。レイクがリビラの身を案じる場面は今までもあったが、今日は少し様子がおかしい。
リビラはなおもレイクから視線を逸らしていたが、やがてふっと笑みを浮かべると、ぽつりと言った。
「レイク……あんたは優しいのね」
レイクが目を
「あんたはいつもそうだった。あたしが魔力を使い過ぎた時や、賊との戦いで怪我をして病院に担ぎ込まれるたびに、もっと自分の身体を大事にしろって叱ってくれたわね。あんたがそうやって心配してくれて、あたしはすごく嬉しかった。
でもね、レイク。あたしはやっぱり、頑張ることを止められないの。あたしはみんなの期待を背負ってるのよ。水晶魔術師として、自分達の暮らしを助けてほしい、賊から街を
「お姉ちゃん……」
シリカが呟いた。人々の期待に応えたいというはリビラの本心なのだろう。だが一方で、姉のその言葉は、水晶魔術師は自分一人で十分だと言われているようにも聞こえた。
リビラはしばらく黙り込んでいたが、急に顔を上げてシリカの方を見た。少しためらった後、
「シリカ、さっきの戦いを見てて思ったわ。あんた、水晶魔術師を辞めた方がいい。」
「え……」
「あんたはこれまで何度も氷結召喚に失敗してきた。あたしとの練習の時でさえ、まともな魔物を召喚できたことは一度もなかった……。
そして極めつけがさっきの戦い。あんたは氷結召喚に失敗して、動揺した
「で……でも! 私だって一生懸命やってるんだよ!? さっきの氷結召喚だって、途中までは上手くいってたし……!」
シリカが懸命に弁解した。だが、リビラは首を振ってきっぱりと言った。
「シリカ、あんたはわかってないわ。戦いは常に命の危険と隣り合わせ。氷結召喚の失敗は敗北、つまり死を意味するのよ。特にさっきのような魔物が相手の場合はね。中途半端な力で
「でも……!」
シリカは震える手でロッドを握り締めた。水晶魔術師に拝命されて二年、リビラのような魔術師になろうと必死になって努力してきた。それなのに、リビラは水晶魔術師を辞めろと言う。自分に戦いは向いていないと言う。だったらどうして自分を水晶魔術師に推薦したのだ。自分が臆病だということは、昔からわかっていたはずなのに――。
「……もしかして、お姉ちゃん、最初から私に期待してなかったの?」
シリカが顔を俯け、絞り出すように言った。リビラが当惑した顔でシリカを見返した。一度口にした出した言葉は、黒い疑念となってシリカの心に渦巻いていく。
「……私は落ちこぼれで、どれだけ練習したって一生氷結召喚なんかできないってこと……。もし氷結召喚ができたとしても、意気地なしの私には、街を護ることなんかできないってこと……最初から全部わかってたの?
お姉ちゃんが一人で何でもかんでもやろうとしたのは……私を当てにしてなかったからなの?」
「シリカ? あんた、何言って……」
リビラが口を開こうとしたが、その時にはもう、シリカの疑念は後戻りのできないところまで来ていた。顔を上げ、きっと姉を睨みつける。
「私……どうしてお姉ちゃんが私を水晶魔術師に推薦したのかずっと不思議だった。
でも……今やっと理由がわかった。お姉ちゃんはただ、私を利用しただけなんだ……。出来損ないの妹が近くにいれば、自分のすごさが引き立つから……!」
言いながら、シリカの瞳から涙がぼろぼろと零れ始めた。どうしてこんな簡単なことに気づかなかったのだろう。シリカはずっと、リビラが自分を水晶魔術師に推薦したのは、自分にも才能を見出してくれたからだと信じていた。
だが、それは偽りだった。全てはリビラ自身の
「お姉ちゃんなんて嫌い!」
シリカはそう言い捨てると、勢いよく立ち上がってその場から走り去ってしまった。
「シリカ! 待ちなさい!」
リビラは慌てて立ち上がろうとしたが、途端に右腕の傷が
「無理はするなと言っただろう。君は怪我人なんだ。今はここで大人しくしていろ」レイクが
「でも、シリカが……!」
「大丈夫。あの子は感情的になっているだけだ。自分の手落ちで君に怪我を負わせてしまった上に、君に水晶魔術師を辞めるように言われ、自分を否定されたように感じてしまったんだろう」
「あたし……そんなつもりじゃなかったのよ。ただ、あの子をこれ以上危険な目に合わせたくないと思って……」
「あぁ、わかっているさ。未熟な腕で戦いに臨むことは命取りになる。でも今のシリカには、その事実を冷静に受け止めるだけの余裕がないんだろう。だがいずれは、君の言葉が正しいとわかるようになるはずだ」
レイクが冷静に言ったが、リビラには何の慰めにもならなかった。右腕とは別の痛みが、胸の内から湧き上がってくる。
「……あの子、自分のこと落ちこぼれとか出来損ないとか言ってたわね。きっと前から悩んでたのね。なのにあたしは……氷結召喚ができないのは気持ちが足りないからとか、そんな無責任なことばっか言って……」
あの言葉を聞いて、シリカはどれほど傷ついたことだろう。自分には簡単にできることが、どれほど努力を重ねたところでできない人間もいる。その事実に今さらながら思い至り、後悔が
「過ぎたことを悔やんでも仕方がない」レイクがリビラの肩に手を置いた。
「今はそれよりも、自分の怪我を治すことに専念することだ。君にはまだ……
もし、この時のリビラに少しでも冷静さがあれば、レイクの声色がいつもと違うことに気づき、違和感を覚えて顔を上げただろう。だが、今彼女は自責の念に捕らわれていて、レイクの言葉に注意を払っていなかった。
だから気づかなかった。彼女を見つめるレイクの瞳が、どれほど冷酷であったかを。
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