第二章 選ばれし者
教練
翌日、ミストヴィルには再び穏やかな時間が流れていた。街では商人達が賑やかな声を飛び交わせ、観光客に向かって水晶のアクセサリーを熱心に勧めている。運河の横にある木々の下では何人もの人々が寝そべっており、頭上からの木漏れ日を受けて気持ちよさそうに欠伸をしている。運河には観光客を乗せたボートがゆっくりと流れ、石橋の上から河を見下ろす住民に向かって笑顔で手を振っている。
平和の象徴のようなその光景の傍らで、シリカはロッドを手に、緊張した面持ちで姉と向かい合っていた。リビラも同じようにステッキを手にしている。通りを行き交う観光客は、これから何が始まるのかと興味津々で二人を見守っている。
「シリカ、氷結召喚で大事なのはイメージよ。どんな魔物を召喚したいのか、具体的なイメージを頭の中で描いて、それが固まった瞬間に呪文を唱えるの。さ、やってみなさい」
リビラが促した。シリカは固い表情で頷くと、両手でロッドを握り締めた。
彼女達は氷結召喚の練習をしていたのだ。術を体得するには訓練あるのみ、というのがリビラの口癖だった。
シリカは目を閉じ、頭の中に魔物の姿を思い浮かべた。昨日リビラが召喚した一角獣。氷の身体に角と翼を生やし……あ、違う。翼は生えてなかった。やり直し。氷の身体に角を生やし、後足で立って
イメージを思い描いているうちに、昨日の光景が脳裏に蘇ってきた。
「シリカ、集中!」
リビラの叱責が飛び、シリカははっとして目を開けた。頭の中で描いていたイメージがたちまち崩れ去っていく。シリカは慌ててロッドを握り締めて叫んだ。
「ふ……
次の瞬間、運河の水が勢いよく放出したかと思うと、水滴が日の光を浴びて輝きながら、ゆっくりとシリカの前に落ちてきた。水滴は凝固しながら地面に降り積もり、何かの形を生成していく。四本の長い足に尻尾、人が乗れそうな胴体に
だが、氷が頭部まで形作ったところで、その馬らしき生き物はぶるっと身体を震わせると、ただの水に戻ってばしゃりと地面に落ちた。大きな水たまりが石畳に残される。
「あぁ……やっぱりダメかぁ。途中まで上手くいったと思ったんだけどな」
シリカががっくりと肩を落とした。そこへリビラが腰に手を当ててシリカの顔を覗き込んできた。
「シリカ、あんたちゃんと集中してた? 何か余計なこと考えてたんじゃないの?」
図星だったので何も言い返せない。シリカは黙って俯き、それを見たリビラが呆れ顔でため息をついた。
「もう……ダメじゃない。雑念を廃してイメージの形成に集中すること。氷結召喚の基本でしょう? 実際の戦いじゃ相手は待ってくれないし、もっと素早い召喚が求められるわ。今こんなに時間がかかってどうするのよ」
「……ごめんなさい」
シリカが小声で言った。いつもこうだ。集中しようとすればするほど雑念が入り込んでしまう。
「別に謝る必要はないけど、それじゃ実践はできないわよ。戦いの中で意識を集中させることは簡単じゃないの。だから今こうして練習してるんだから」
「うん……ごめんね。」
シリカは消え入るような声で言った。リビラに何か言われるたび、元々乏しい自信がますます失われていく気がする。
「おーい、リビラ、大変だ!」
シリカの後ろから声が飛び込んできたのはその時だった。シリカが振り返ると、黒いエプロンをつけた昨日の店主が、息せき切ってこちらへ走ってくるのが見えた。
「カイルさん? どうしたの? まさかまた賊が現れたんじゃないでしょうね?」
リビラが
「いや、今日は賊じゃないんだよ。広場に魔物が出たんだ! それも何匹も!」
カイルと呼ばれた店主が息を切らしながら叫んだ。シリカが咄嗟に振り返ると、さすがのリビラも驚きを隠せないのか、顔を強張らせている。
「……魔物ですって? そんなの、今まで出たことなかったのに……」
リビラが表情を曇らせた。クリスティアラの各地には魔物が生息しているが、その多くは人里離れた場所に出現し、街に現れることはまずない。実際、リビラが水晶魔術師になってからも、街に攻め入ってきた魔物と戦ったことは一度もなかった。
「ど、どうしようお姉ちゃん、私、魔物なんて相手にしたことないよ……」
シリカが不安そうにリビラを見上げた。賊が相手ならいざ知らず、魔物などという得体の知れないものとどうやって戦えと言うのだろう。
「落ち着きなさい、シリカ」リビラが表情を引き締めた。「誰が相手でも戦法は一緒よ。氷結召喚をして敵を撃退する。あたし達にできるのはそれだけよ。カイルさん、案内してくれる?」
最後の言葉は店主に向けられたものだった。店主は頷くと、足を
シリカは一瞬ためらったが、すぐに自分も二人の後を追った。
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