不吉な来訪

 その夜、ようやく診察を終えたレイクは、診療所で今日一日の患者のカルテをまとめていた。子どもから老人まで、実に多くの患者が診療所を訪れては、取るに足りない痛みや症状をさも大病であるかのように訴えていった。レイクはその一つ一つにじっくりと耳を傾けてやりながら、何故彼らはこんなにも病院に来たがるのだろうかと内心いぶっていた。


 患者の訴えの多くは誇大広告こだいこうこくで、診察してみればどこにも異常はないことが多い。それなのに彼らは、まるで不治の病に陥ったかのような口振りで、自分がいかに過酷な状況に置かれているかをわからせようとする。それはきっと、ありもしない病気を持ち出すことで、自分が人とは違う存在だと思い込みたいからなのだろう。――かつての自分と同じように。


 レイクの両親は共に水晶魔術師クリスタル・マジシャンだった。両親は、息子が自分達の跡を継いで水晶魔術師になることを疑わず、レイク自身も、自分はいずれ水晶魔術師になるのだと信じていた。


 だが、通常であれば五歳頃までには自然に魔力が発現するところ、レイクは七歳になってもその兆候を見せなかった。


 両親は最初、レイクが単に遅咲きだと思っていたようだ。今はまだ力が眠っているだけで、この子は内に強大な魔力を秘めているのだと頑なに信じていた。レイクもその期待に応えようと、魔力を発現させる方法が書かれた本を読み漁ったり、魔力を高めるのに効果的とされる薬草を大量に摂取したりした。


 だが、そんな努力の甲斐もむなしく、レイクの魔力が発現する気配は一向になかった。






 自分に魔力がないという現実を悟ったのは、レイクが十歳になった頃だった。


 人が魔力を持つか否かは遺伝によって決まる。両親共に魔法を使えれば、その子どもも魔力を持って生まれる可能性は高い。そして元々の魔力が微弱であっても、鍛練たんれんを積めば力を増強することはできる。

 だが、生まれつき魔力を持たない者は、どれだけ鍛錬を重ねたとしても魔力が発現することはない。すでに魔力に関する本を何冊も読みこんでいたレイクはその事実を知っていた。だがまさか、それが自分の身に当てはまることだとは思いもしなかった。


 レイクはその説を否定する証拠を必死になって探そうとした。魔術師の血を引いていなくても、突然変異で魔力が発現した例があるのではないかと。

 だが、レイクがどれだけ手を尽くして調べても、魔力が先天的に決まるという事実を覆すことはできなかった。


 受け入れがたいその事実を前に、当時のレイクがどれほど苦しんだか――。

 両親の期待に応えられなかったことへの罪悪感はもちろんあった。だがそれよりも辛かったのは、自分が魔術師として選ばれなかったという事実だ。幼い頃から自分は特別な存在だと信じていたのに、所詮は掃いて捨てるほどいる人間でしかないことを悟った。あの時の絶望感と敗北感は、今も忘れることができない。


 レイクが医師になることを決めたのは、そんな屈折した感情が根底にあったからかもしれない。

 水晶魔術師になるという夢に敗れたレイクにとっては、違う形で自尊心を満たすことのできる目標が必要だった。それが医師だった。医師になって一人でも多くの患者を救い、名医としての地位を獲得する。それはレイクの傷つけられた誇りと虚栄心を回復させる唯一の方法に思えた。


 それ以来、レイクは医者になるために血のにじむような努力をした。朝から晩まで医学書を読み耽り、王都で高名な医師の下に弟子入りし、身を粉にして働いた。幸い、彼には生まれ持った知性と、目的のためなら苦労をもいとわない気骨稜々きこつりょうりょうとしたところがあった。レイクは着実に医師としての知識と経験を重ね、ついに二十歳という若さで開業医の地位を獲得した。


 七年ぶりに故郷に帰ってきたレイクを、ミストヴィルの人々は暖かく迎えてくれた。夢に破れたレイクの過去を忘れ、医師としての彼の優秀さを褒め称えた。今や彼はミストヴィルでなくてはならない存在になり、それによって彼の虚栄心は慰められたかのように思えた。


 リビラと交際を始めたのも、最初は純粋な感情からだった。人々の力になりたいという彼女のひたむきさに心を打たれ、医師として彼女を支えたいと強く願った。


 だが、水晶魔力師としてリビラが活躍を見せるたび、自分の中で複雑な感情がうずいていたことも事実だ。


 最初にその感情に気づいた時、レイクは当惑したものだ。自分は今や一人前の医師として確立している。それなのに、今さらリビラに修羅しゅらを燃やすことに何の意味がある? レイクはそう考えて何度も自制しようとした。だが、そうやって抑え込もうとすればするほど、レイクの嫉妬心はいっそう激しく波打つのだった。


 その時、診療所の扉をノックする音が聞こえ、レイクの意識は現実に引き戻された。こんな時間に誰だろう。診療時間はとっくに過ぎているが、もしや急患だろうか。レイクはカルテを置いて立ち上がると、入口まで歩いて行って扉を開けた。


 最初、そこには誰もいないように見えた。だがレイクが訝しげに辺りを見回していると、下から声が聞こえてきた。


「あぁ……あんたがレイク先生か。いや、お会いできてよかった。もう帰られていたらどうしようかと思っとったところで……」


 レイクが視線を下げると、ぼろ布のようなローブをまとった小柄な人物が、雨に濡れそぼった子犬のような目でレイクを見上げていた。

 レイクは上から下までとっくりとその人物を見回した。黒いローブは何日も風雨にさらされたように擦り切れ、ところどころ穴が開き、風雨を防ぐ役割すら果たせなさそうだ。ローブの下には薄汚れたシャツと丈の足りないズボンを着込み、ズボンの下から痩せ細った裸足が覗いている。顔はフードに覆われてよく見えなかったが、声の調子からして老人のように思えた。


 レイクは思わず眉をひそめた。美しいミストヴィルの街並みには相応しくない浮浪者。追い返そうかとも思ったが、さすがにそれは無下に過ぎると思い直し、平静を装って尋ねた。


「どうかされましたか? もう診療時間は終わっているのですが」


「いや、それが……さっきからどうも腹が痛くて。道に生えとったキノコを食ったのが原因かもしれませんな。何しろ丸三日何も食っとらんかったもんで、腹が減って仕方がなくて」


 言いながら痛みが襲ってきたのか、老人は顔を歪めて腹に手をやった。


 やれやれ、また毒キノコか。レイクは内心うんざりした。すでに診療時間は過ぎている上に、こんな乞食こじきのような成りでは治療費だって支払えないだろう。このまま追い返した方がいい。レイクはそう考えたが、口をついて出たのはそれとは真逆の言葉だった。


「わかりました。すぐに解毒剤を注射しましょう。お代は結構ですから、どうぞ中へお入りください」


 レイクは人当たりのよい笑みを浮かべると、診療所の中を手で指し示した。老人の顔がぱっと明るくなる。


「あぁ……やはり噂通りの高名こうみょうなお方じゃ。わしにはあんたが神様に見えますよ、レイク先生」


 老人はそう言ってレイクの白衣にすがりついた。レイクは微笑みを浮かべながら、内心激しい自己嫌悪を感じていた。


 まったく自分もお人好しだ。こんないかにも惨めで哀れで、くたばり損ないの老人を助けたところで何になる。そう考えながらもレイクが老人に手を差し伸べたのは、ただ自分のイメージが先行したからに過ぎなかった。


 誰にでも親切で優しいレイク先生。人々が作り上げたそんな幻影がレイク自身の行動を縛りつけ、本来の彼の姿を覆い隠していた。

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