二人の魔術師

 一角獣に捉えられていた若者は地面に下ろされ、そのまま王都へ連行されることになった。住民はなおも熱心にリビラの活躍を称えていたが、熱が冷めるにつれて次第に散り散りになり、後にはリビラと少女だけが残された。


「ご苦労だったわね、ユーニ。もう戻ってもいいわよ」


 リビラが一角獣に向かって言った。その瞬間、一角獣の身体が水滴となってぱっと飛散ひさんしたかと思うと、すぐに液体の塊となり、引き寄せられるように運河の中へ戻っていった。ぼちゃんという音が辺りに響き、波紋はもんが運河に浮かんだが、すぐに消えて街は元の平穏を取り戻した。


「……やっぱり、お姉ちゃんはすごいね」


 少女が呟いた。そこで初めて少女の存在に気づいたのか、リビラが振り返った。


「あら、シリカ。見てたの? あなたも手伝ってくれたらよかったのに」


「……私が手伝わなくたって、お姉ちゃん、一人で泥棒を捕まえてたじゃない」シリカと呼ばれた少女がいじけたように言った。


「そんなこと言って、本当は氷結召喚が上手くできなかったんでしょう? いい加減一人でできるようにならないと」リビラが呆れ顔で肩を竦めた。


「……私だって練習してるよ。でも……いざ術を使おうとすると、どうしても緊張しちゃって……」


「シリカ、いつも言ってるでしょ? ミストヴィルにとって水晶は唯一の資源、あたし達の命の源なの。その大事な水晶を悪い奴らから守るのが、あたし達水晶魔術師クリスタル・マジシャンの役目。それが緊張して術が使えないっていうんじゃ話にならないわよ」


「それは……わかってるけど。」


 シリカはロッドをぎゅっと握り締めた。そうだ、自分達に課せられた使命がどれほど重いかはわかっている。わかってはいるけれど――。


 シリカが泣き出しそうな顔になっていることに気づいたのか、リビラは表情を和らげると、優しくシリカの肩に手を置いた。


「ほら、そんな顔しないの。今晩、また特訓に付き合ってあげるから。頑張って特訓すれば緊張しないで術が使えるようになるから。ね、一緒に頑張ろう?」


「……うん」


「よし! じゃ、あたしは長老のとこ行ってさっきのこと報告してくるから。あ、それと街の人からも何件か頼み事されてるから、帰るの遅くなるかも」


「わかった。じゃあ、今日の晩ご飯は私が用意しとくね」


「助かる! あんたの手料理、いつも楽しみにしてるんだからね!」


 リビラは快活に笑ってぽんとシリカの肩を叩いた。そのまま手を振って立ち去ろうとしたが、つと何かを思い出したように振り返った。


「あぁそうだ。シリカ、レイクのとこで薬草もらっといてくれる? もうすぐ切れそうなんだ。」


「また? この前もらってきたばかりじゃない。それにレイク先生のとこなら自分で行けばいいのに」シリカがむくれて言った。


「あたしが直接行ったらまた怒られるからさ。ね、お願い!」リビラが顔の前で手を合わせた。


「……もう、しょうがないな。その代わり、明日の晩ご飯はお姉ちゃんが作ってよね」


「ありがと、恩に切るわ!」


 リビラは再びぱちんと手を合わせると、今度こそ足早に立ち去っていった。シリカは苦笑しながらその背中を見送った。


 まったくパワフルな姉だ。ついさっき盗人を捕まえたと思ったら、休む間もなく街の人を助けて回っている。でもそれを苦にするどころか、楽しんでさえいるのが彼女らしいところだ。

 だからリビラは誰からも慕われている。同じ水晶魔術師クリスタル・マジシャンなのに何もできず、傍観していただけの自分とは大違いだ。






 シリカとリビラは八歳違いの姉妹だ。シリカが十七歳で、リビラが二十五歳。


 リビラは昔から姉御肌で、困った人を見ると放っておけない性分だった。だから彼女は街の人のために自らの魔力を惜しみなく使った。

 リビラの力は水を操るもので、主に水を凍結させることに使われていた。凍結させた水の使い方は様々で、井戸の水を各家の台所まで運んだり、雨水を生活用水として利用したり、運河の水を運んで旱魃かんばつした土地を潤したりした。

 リビラの魔力は街の人から大変重宝され、彼女が力を使うたび、人々は神様でも崇めるように彼女に平身低頭へいしんていとうして感謝した。だからリビラは街のみんなに慕われていて、老若男女を問わず多くの人が彼女の周りに集まっていた。


 そんなリビラが『水晶魔術師クリスタル・マジシャン』として拝命を受けたのが今から七年前のことだ。


 シリカはリビラと一緒に王都に行き、リビラが国王に拝謁はいえつする瞬間に立ち会った。王座の前に跪いて国王を見上げるリビラの顔は誇りに満ちていて、シリカはそんな姉の姿を見つめながら、自分が国王の前に出たかのような誇らしさを感じたのだった。


 水晶魔術師になってからは、リビラは運河の水を魔物の姿に凍結させ、賊を撃退する方法を採るようになった。リビラはこれを『氷結召喚フリージング・サモン』と呼んだ。

 召喚する魔物はその時々で違っていたが、最も多いのは先ほどの『氷柱一角獣アイシクル・ユニコーン』、通称ユーニだった。見目麗みめうるわしいその魔物は子ども達からも人気があり、リビラは子ども達からせがまれては、賊がいない時でも一角獣を召喚し、その背中に子ども達を乗せて楽しませてやっていた。リビラは子どもからも慕われるようになり、彼女の周りにはいつも多くの子ども達が群がっていた。


 だが、リビラのことを誰よりも慕っていたのは、他でもないシリカだった。


 シリカは幼い頃からいつも姉の後をついて回っていた。リビラは運河の水を凍結させてすべり台やブランコを作っては、そこでシリカを遊ばせてやっていた。シリカはその時間が大好きだった。他の誰にもできない体験を自分がしていることや、そんな特別な力を自分の姉が持っていることが嬉しくてならなかった。


 『水晶魔術師クリスタル・マジシャン』としてリビラが活躍するようになってからは、姉の存在はますます特別なものになっていった。


 リビラが家に帰るたび、シリカは姉の元に飛んでいっては、今日はどんな風に魔力を使ったのか、何の魔物を召喚したのかという話を聞きたがった。リビラは疲れていると言いながらも、いつも子細に一日の出来事を話してくれた。

 シリカは目を輝かせて姉の話に聞き入ったものだ。リビラがどれほど水晶魔術師として活躍し、ミストヴィルにとって欠かせない存在になっているかを考えるたび、シリカは誇らしさに胸がはち切れそうになるのだった。


 だが、シリカ自身が『水晶魔術師クリスタル・マジシャン』として拝命を受けた頃から雲行きが怪しくなった。


 当時のシリカは十五歳。自分にも魔力があることは知っていたが、リビラがいる以上、自分が水晶魔術師になることはないと思っていた。魔力があるといっても、シリカの力は姉よりもずっと弱いものだった。姉の真似をして水を凍結させて運ぼうとしても、一分も立たないうちにただの水に戻ってしまい、住民の服や家をびしょ濡れにして怒られたことが数知れずあった。


 そんな次第だったから、シリカはできるだけ魔力を使わないようにしていた。


 だからリビラから、自分を『水晶魔術師クリスタル・マジシャン』に推薦したいと言われた時、シリカはひどくまごついたものだ。何度も説得されてやむなく承諾したものの、正直シリカには自信がなかった。自分が姉と同じように、颯爽さっそうと魔物を召喚して賊を撃退する姿など、全く想像がつかなかった。


 実際、シリカは氷結召喚ができなかった。

 リビラに相手になってもらって何度も練習はしたが、生まれるのはアメーバのようないかにも頼りない物体ばかりで、とても賊と戦う強い魔物など召喚できそうになかった。


 リビラはそのたびにシリカを叱った。氷結召喚ができないのは、水晶魔術師としての自覚が足りないからだと。シリカは姉に注意されるたびに唇を噛み、じっと押し黙ってその叱責に耐えた。

 でも内心では悶々としていた。お姉ちゃんは元々優秀だから簡単に術が使えるんだ。私みたいな落ちこぼれの気持ちなんて、お姉ちゃんにわかるはずない――。


 水晶魔術師になって間もなく、シリカは自分が姉に対して強い劣等感を抱いていることに気づいた。

 リビラが活躍したという話を聞くと、以前は自分のことのように嬉しく思えたのが、今はかえって自分の無能さが露呈したように思えて居たたまれなくなった。人々がリビラを褒め称える声を聞くたび、シリカは自分の存在意義がわからなくなった。


 ミストヴィルの人達は、この街にもう一人水晶魔術師がいることなど忘れてしまっているだろう。実際、リビラがいればこの街の平和は守られている。だったら自分など必要ないではないか――。シリカは何度そう考えたか知れなかった。


 自分がこんな風に悩んでいることに、リビラはきっと気づいていないだろう。リビラは訓練さえ積めば、妹も優秀な魔術師になると信じているようだった。

 だがシリカは、自分は決してリビラのような魔術師にはなれないだろうと考えていた。

 自分は姉と違って能力が低く、おまけに臆病で引っ込み思案だ。だから努力したところで氷結召喚一つできず、誰かから頼られる存在にはなりえない。だが、リビラはそんなシリカの心境など知る由もなく、何度も耳に痛い言葉をかけてくる。


 リビラが自分のためを思って言ってくれていることはわかっている。

 それでもシリカは辛かった。姉に何かを言われるたび、その期待に応えられない現実の自分とのギャップが浮き彫りになり、罪悪感に心が押し潰されそうになるのだった。

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