氷結の魔術師

瑞樹(小原瑞樹)

第一部 流れる水の地で

第一章 ミストヴィル ―魔術師の姉妹―

破られた平穏

 小国、クリスティアラ。


 国の中心部にある王都と、その四方を取り巻く四つの地方から成るこの国は水晶の原産地として知られている。その希少さと良質さゆえに、水晶は他国との貿易において高値で取引され、クリスティアラの発展を押し上げてきた。

 一方で、水晶を盗掘しようとする賊が後を断たず、王はいかにして国の宝ともいえる水晶を守るかに頭を悩ませてきた。


 王が目をつけたのが、水晶の採掘される地方の街で生まれた、特殊な力を持った者達の存在であった。

 彼らは生まれながらにして魔力を持ち、水の状態を瞬間的に変化させることができた。彼らの力は主に農業や工業の分野で使われていたが、王はその力を賊との戦いに利用することを考えた。


 そうして生まれたのが、水晶の守護者として戦う『水晶魔術師クリスタル・マジシャン』の存在である――。








 王都の東にある地方に、ミストヴィルという街がある。


 そこは水資源の豊かな地方であり、クリスティアラの水はこの地方にある湖を水源として供給されている。湖から少し離れたところにはいくつかの鉱山があり、水晶の八割はその鉱山から産出されている。それらの鉱山に囲まれた街がミストヴィルであった。


 街の家々はいずれも石造りで、その上にパステルカラーの丸屋根が被さった光景は妖精の住む街のように可愛らしい。建物の間を縫うように運河が流れ、川縁かわべりでは人々が木漏れ日を浴びながらのんびりと寝そべっている。石畳の通りには露店ろてんが軒を連ね、商人達の元気な声が飛び交っている。

 豊かな自然に囲まれた美しい街並みの中で、人々は水晶の商いを生業として安穏あんのんとした生活を享受していた。


 だが、平和は長くは続かなかった。長閑のどかさを打ち破るような怒声どせいが突如として街中に響いたのだ。


「盗人だ! 捕まえてくれ!」


 川縁で午睡ごすいを楽しんでいた人々ははっとして身体を起こすと、声のした方を振り返った。両手に大量の水晶を抱えた一人の若い男が、目の前を風のように駆け抜けていった。その後ろから、やすりを振り上げて走ってくる中年の男の姿が見える。黒いエプロンをつけている姿からすると店主のようだ。店で水晶を加工していたところ、商品をあの若者に奪われてしまったのだろう。店主は憤怒ふんぬを浮かべて必死に若者の後を追っているものの、寄る年波には勝てないのか、早くもぜいぜいと息を切らしている。


 人々は慌てて立ち上がり、通りに出て若者を捕まえようとした。だが、若者は彼らを嘲笑うようにちょこまかと人々の手の間をすり抜けていく。次から次へと加勢が現れたが、若者はすばしっこく逃げ回りまるで捕まる気配がない。


 やがて疲れが出始めたのか、人々は店主と同じように膝に手をついて息を上げ始めた。若者は人々の方をちらりと振り返ると、嘲弄ちょうろう的な笑みを浮かべて叫んだ。


「ちょろいもんだな! お前らみたいにお気楽な生活してる奴らは、盗人一人捕まえられねぇんだ!」


 人々は忌々しそうに若者を睨みつけた。情けない話だが、若者の言葉は事実だった。平素から安逸あんいつを貪っているミストヴィルの人々は、有事に対応する術を持っていない。


 若者は勝ち誇ったような笑みを浮かべると、きびすを返してその場から逃げそうとした。


氷結召喚フリージング・サモン!」


 切れのある声が辺りに響いたのはその時だった。若者が咄嗟に足を止める。


(何だ、今の声は?)


 若者は辺りを見回したが、何も起こった様子はない。空耳か――。若者は気を取り直すと、さっさと立ち去ろうとした。


 だが次の瞬間、水のとどろくような音が辺りに響いたかと思うと、たちまち運河の水が空高く噴出した。


 若者は驚いて足を止めた。舞い上がった水は細かな粒となってゆっくりと地上に落ちていき、光を反射しながら次第に凝固し、地面に積み重なって何かの姿を形成していく。四本の足、胴体、尻尾、たてがみ、首、そして角の生えた頭――。


 若者の前に現れたのは、氷でできた一角獣だった。


「な……何だこいつ!?」


 さすがに度肝を抜かれたのか、若者は目を剥いて立ち止まった。一角獣は身動ぎ一つせず、静かな目で若者を見据えている。心の淀みを照らすような冷厳な眼差しを前に、若者は背中がぞくりとしたが、すぐに忌々しそうに舌打ちをした。


「けっ……こんなもん、どうせただの置物だ!」


 若者はそう言い捨てると、さっさと一角獣の脇を通り過ぎようとした。


 その時だった。それまで微動だにしなかった一角獣が、突然前足を上げていなないたかと思うと、若者に向かってまっすぐに突進してきた。


 若者はぎょっとして立ち止まった。鋭い氷の角が今にも目をえぐりそうで、若者は恐怖に悲鳴を上げた。


 次の瞬間、身体が宙に浮き、若者は目を瞬かせて足元を見下ろした。衣服が一角獣の角に貫かれ、宙吊りの格好になっていた。角の先端は顎の三ミリほど手前で止まっていた。少しでも身動きを取れば自分の顎を突き刺すだろう。


「くそっ、何なんだよ……」


 若者は観念したようにがっくりと両手を下ろした。盗み出した水晶がばらばらとこぼれ落ちる。


「よし、一丁上がりね。まったく、白昼堂々盗みを働こうなんていい度胸だわ」


 人混みから声がして、腕組みをしながら一人の女が現れた。

 年の頃は二十代後半くらいだろうか。すらりとした長身を水色のコートで包み、細身の黒のズボンの裾からヒールの高い靴が覗いている。立てたコートの襟元からはほっそりとした首筋が覗き、サイドに垂らした藍色の長い三つ編みが首にかかっている。手には細長い金属製のステッキが握られ、先端には小さなサファイアがついている。顔立ちは利発的で、ちょっとやそっとのことではへこたれない意志の強さを感じさせた。


「よう、リビラ! ありがとな! お前のおかげで助かったぜ! さすがは『水晶魔術師クリスタル・マジシャン』だな!」


 同じく人混みから出てきた黒エプロンの店主が顔を綻ばせながら言った。辺りからも同様の歓声と拍手が上がる。


「当然よ。あたしの目の黒いうちは盗みなんてさせるもんですか!」


 リビラと呼ばれた女が腰に手を当てて言うと、手にしていたステッキをかんと地面に打ちつけた。その頼もしい姿に辺りからまた喝采が上がる。


 そんな中、人混みから離れてリビラを見つめる一人の少女の姿があった。

 年の頃は十代後半に見えるが、青い髪をおかっぱにしたヘアスタイルが幼さを感じさせる。小柄で華奢きゃしゃな身体を、裾部分に波模様のある白いケープで包み、青色の短いフレアスカートを履き、リボンのついた白のショートブーツを合わせている。手には金色のロッドが握られ、先端にはやはり大きなサファイアがついている。見るからに気弱そうで、上目遣いにコートの女性を見つめる表情には自信のなさが現れている。

 住民がリビラを褒めそやす中、少女は唇を噛み、あふれ出る感情を必死に抑えようとするかのように、両手をぐっと握り締めている。


 確かにリビラの活躍は目覚ましいものだった。彼女がいなければ貴重な水晶が盗まれるところだった。だから人々が彼女を称えるのは当然。それはわかっている。


 でも少女は悔しかった。同じ水晶魔術師クリスタル・マジシャンでありながら何の活躍もできず、住民と同じように事態を眺めるしかなかった自分が、不甲斐なくてならなかった。

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