よくあるひとつの話
チバ
第1話
私が中学に上がる前、親の離婚を機会に母方の祖父母と母、弟と暮らすことになった。
祖父母はわざわざ土地を買い、二世帯住宅を建ててくれた。完成と共に引越しをして、私は友達も知ってる人も誰もいない中学校に通うことになった。
その中学校はいわゆるマンモス校。なんと一学年7クラスもあった。孤独な気持ちを抱えて入学をしたが、生徒数の多さもあってか特有の女子の輪のようなものがなく、近くの席の子たちとすぐに仲良くなることができた。
そのまま順調に中学校生活を送っていたのだが、2年生になった時に起きたある事で私の人生は大きく変わった。
ソフトボール部に入っている友達が、入部してくれと頼んできたのだ。
私は当時プロ野球にハマっており、その友達に高橋由伸のかっこよさを熱く語っていた。友達はベイスターズのファンだったが、よく聞いてくれたのを覚えている。私はいわゆるミーハーで、細かいルールも分からず推しの選手がテレビに映るとコーラ片手にキャーキャーと騒いでいるレベルだった。が、その友達は実際にソフトボール部に入部しており、今考えれば結構な温度差があった。
その女子ソフトボール部の部員の数が少なく、あまりの少なさに試合もままならないということでミーハーな私に声がかかった。
私は素直にルールもきちんとわからないと伝えたが、それでも良いというので帰宅部だった私はいきなり運動部に入ることとなった。
いざ入ると、確かに人数は少なかった。そしてその少なさの原因をすぐに知る。
3年生の中に超が10個はつくくらい有名なヤンキーがいたのだ。生徒、教師は勿論この辺りでは皆知っている、かなりのワルだった。学校に高校生くらいの仲間が原付で迎えに来て授業の途中でも平気で抜けていくような。廊下で平気でタバコを吸うような。絵に描いたような金髪で、少し太めの化粧が派手なギャルめのヤンキー。
何故そんな人が部活をやっていたのか、未だにその理由は知らない。
とにかく、生徒は誰もが避ける腫れ物のような人がいた。ミットを持って顧問とキャッチボールをしていた。
最初は少し身構えたが、母親が元ヤンキーという顔もあり割とすぐに話ができた。そして何故か気に入られた。めちゃくちゃ悪い人だったが、性格はサバサバとしたお姉さんといった印象だった。
余談だが、そのヤンキー先輩には一個下で私と同い年の妹がいた。妹も同じくヤンキー。目についた大人しめの女子をいじめるタイプだった。私も漫画と小説が好きでクラスの中心グループには属さない位置にいたので、その標的になっていたのだが、女子ソフトボール部に入り姉と仲良くなりいじめられなくなった。これが一番ヤンキー先輩と仲良くなれて良かったと思った所。
そんなこんなで私は女子ソフトボール部の一員になり、今まで縁のなかった運動部員の生活を送り始めた。
先述したとおり野球経験もなければルールも対して分からない。大して上達もしないまま、冬になると他校と練習試合が組まれた。
野球オタクの友達を筆頭に、私以外にも付き合いで入った友人数名と三年生というガタガタなチーム。皆不安な気持ちを抱えたまま試合は行われた。
友達に迷惑をかけたくない。その思いは強かったが、いかんせん身体は帰宅部からあまり変わっていない筋肉も中途半端な状態。セカンドを任された私は、飛んできたボールを獲ろうとして親指にぶつかってしまった。
激痛。
経験のない頭に耐えられず、試合を抜けて病院へ行った。
結果は骨折。
それを機会に私はすっかりやる気を無くし、暫くして部活には戻ったがまた折れるのではないかというトラウマが出来てしまい、ほどなくして退部をした。誘ってくれた友達には正直に伝えた。
人生が変わったポイントは、実はここから。
ソフトボール部に誘ってくれた友達と、周りの子たちが一斉に私を無視し始めた。
他のクラスの子たちも、すべて。
私は友達がいなくなってしまった。
一緒に登校していた友達にも避けられ、家を出てから帰るまで私はひとりになった。
すぐに学校に行きたくなくなった。
しかし母はそれを許さず、泣きながら学校に行った。メンタルはボロボロ、吐き気と頭痛で毎日地獄のようだった。
そのまま三年生になり、最大のイベントである修学旅行が待ち構えていた。クラス替えがあったが相変わらず無視されている状況の中、班決めというイベントがまずあった。状況を知っていた担任が無難な班に私を無理やり入れたが、「班のみんなはいじめられてる子が入ってしまった」という空気をなるべく出さないようにしてくれてるのがまた辛くて、ずっと黙っていた。
そのまま修学旅行を迎え、みんなが決めたルートについていく形でなんとかクリアした。正直に言うと内容はほとんど覚えていない。唯一覚えているのは、旅行雑誌におすすめとして掲載されていた九条ネギがたくさん載ったネギラーメンを食べたことくらい。食べたという経験のみで、味は覚えていない。
修学旅行を終えたタイミングで、私は不登校になった。
どうやって祖父母と母がそれを認めてくれたかも覚えていないのだが、もしあのまま登校させられていたらビルから飛び降りていただろう。当時、幻覚が見えるくらいおかしくなっていたしリストカット未遂もあったので冗談でも話を盛るでもなく高いビルに昇らなかった私を褒めてあげたい。出来ることなら思い切り抱きしめてあげたい。
暫く家にいたが、教師の薦めで市がやっているフリースクールへ通うことにした。そこでの出来事もほとんど覚えていない。ワケアリの子たちが自由に通っていたな、というくらいだ。先生という形で勤務していた大人が好きではなかったから、それで記憶が薄いのだろうなと思うのとやはりメンタルはボロボロのままだったからだろう。
夏になった。
母が突然カナダへ行こうと言い出した。海外旅行なんて行ったことがないのに、と戸惑ったが行動力の塊と化した母は本当に私を連れてカナダへ飛んだ。
実は私は小さい頃から英会話の塾に通わせてもらっていたので、英語が好きだった。お陰で乗り継ぎなどもなんとか無事にでき、目的地へと着くことができた。
そこには知り合いのカナダ人の老夫婦がいた。この時母はこの夫妻に私を預けるつもりだったらしいのだが、結果として一週間滞在し、二人で日本へ帰った。
一週間、夫妻は私達をカナダの色んな所で連れて行ってくれた。壮大な自然、野菜の生き物、ご当地のカロリーがスカイツリーレベルのカナダご飯。そしてそこで出会ったカナダの人たち。
死を選びかけてた私にとって、とにかく物凄い体験だった。殻の中に籠もっていた所を後ろから怪力で押されたような感覚。自分がちっぽけである事をこれでもかと思い知った。
この体験のお陰で私は市外の県立高校の英語科へ進学する決心をし、猛勉強の末無事に入学した。
私は一年そこそこで「人生が変わる体験」というものを3回もした。
だらだらと書いてしまったが、何が言いたいかというと人間いきなり底のほうへ落ちたらそこからいきなり引っ張り上げられたりする事がある。
私が大人になったらいじめなんてものは無くなると思っていたのに、今だにニュースでは悲しい事件が流れるし、その度に私は中学時代の事を思い出してしまう。
誰か手を差し伸べて、引っ張ってくれる人が。
私はたまたま母にそうしてもらったが、現実としてそれが難しい人もいる事は分かっている。
だけど、こういう経験をした大人がいるんだという事を伝えられたらと思っている。思いながら、仕事くそったれと言いながら余裕なく毎日を生きている。時折カナダの景色とあの夫婦と、ヤンキー先輩を思い出しながら。
あの時私を突然無視した友達とはあれきり連絡も取ってないし、今後会う事もないだろう。過去は過去なんて割り切れたらいいだろうけど、私は未だに他人の様子を伺いながら生きてる。すごく疲れる。あんな事がなかったらもっと他人を気にせずにいられたんだろうなと思うけど、あれがなかったら私はカナダの景色や人々を知らないままだった。でもやっぱり、あの時の友達には小さな小さな不運がたまに起こってほしい。
よくあるひとつの話 チバ @chiba69
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