とある侍女の想い
「じゃあ、この手紙を妃殿下のもとへ届けてくれる?」
「かしこまりました、では行ってまいります、姫様」
王族に仕える侍女の仕事は主人の身の回りのお世話からスケジュールの管理、更にはこういったお使いごとまで多岐に渡る。国によっては身の回りの世話をする侍女と執務面を補佐する女官に分かれている国もあるようだが、トレシア王国を含めこの辺り一帯の国では、それらをひっくるめた仕事をするのが「侍女」という認識が一般的だ。
故に求められるスキルは高く、通常の使用人とは一線を画す高級使用人として厚遇もされる。王族や高位貴族の侍女ともなれば、彼女たち自身が貴族であることも稀ではない。
ある日の昼下がり、主人であるトレシア王国王太子妃リリーからお使いの仕事を頂いたクレアは早速主人の私室から妃殿下の元へ向かおうとする。部屋を出ようとした彼女だったがそこに穏やかだが、よく通る声がかかった。
「いってらっしゃいクレア。そうだわ、妃殿下の元へ行ったらそのまま休憩に入りなさい」
「ありがとうございます。そうさせていただきますマリアンヌ様」
マリアンヌはこのサン・ローレ宮殿の女性使用人を束ねる侍女頭であり、同時に今はこの国に来て間もないリリーを補佐するため王太子妃付き侍女のリーダーのような存在となっている。仕事には厳しいが、同時に優しく、人の上に立つことにも慣れている。そんな上司の言葉に返事をしたクレアは、「でも私が休憩の間、リリー様のお世話はどうしましょう」と考えかけて我に帰る。
彼女の故郷、ベルン公国にいた頃はリリーの侍女は自分一人であり、休日などもってのほか、休憩を取る、と言う考えもなかったが、ここトレシアでの主人の立場は違う。
王太子自らが選抜に関わった優秀な侍女が何人も付き、ベルンにいた頃のようにクレアがいなければ主人のお世話をするものがいない、ということはない。もちろんクレアを含めて侍女たちは交代制で働くので、休日もあれば、休憩もある。
もちろん自身の労働環境が改善されたことも嬉しいが、それ以上にベルンでは随分とないがしろにされてきた主人がトレシアでは大切にされていることがなによりも嬉しい。王宮の廊下を歩きつつ、クレアはふとベルンでの日々を思い出していた。
クレアは代々ベルン大公家の従僕や侍女を排出してきた使用人としては名門の家に生まれた。彼女が生まれた数年後にベルン大公家に待望の長女が誕生したことから、クレアはリリー姫の侍女に就くことを期待され、教育された。そしてその努力が実り姫が8歳の時に侍女見習いとして姫に仕えることが許されたのだ。
「クレアっていうのね。よろしくね」
緊張しつつも、厳しい教育で身につけた所作で挨拶したクレアにそう満面の笑みで返した主人の声をクレアは忘れない。
どのような魔力を持っているかがわかるのは10歳頃だと言われている。主人もその魔力が明らかになるまでは、周囲から愛されて育っていた。むしろ末っ子で待ち望まれた女の子ということもあり、過保護なほどの愛情を一身に受けて育った。
そんな状況が一変したのは、10歳の誕生日だ。集まった家族や親しい貴族たちの前で始めて変身魔法を使ったリリー姫が変身したのは小さな鼠。あまりにも予想外な動物に慌てて専門家がその魔力を図ると、その魔力は非常に弱いことが判明した。
ベルン公国では魔力がものをいう。庶民でもその傾向はあるが、やはり地位が上がれば上がるほどそれは顕著になる。ベルンの公族、貴族は軍人としての気質が強く、ベルン公国自体が魔力で国を守るための集団から出来上がった国であることもあって、魔力重視の考え方は根深い。
その日から周囲の人々のリリー姫への対応は悲しい程ガラッと変わった。幸い公族の姫として周辺国に認知されていたこともあり、城から追い出されたりはせず、むしろ政略結婚の駒としてその身は大切にされたが、人々の心は明らかに彼女から離れ、大公は目に見えてリリー姫を冷遇した。
その最たるものが侍女の数だ。10歳になるまでは公族の姫君らしく多くの侍女を始めとした使用人達に傅かれて暮らしていたリリーだったが、その日を境にほとんどの侍女がリリー姫付きから外された。本来は自分も外れる筈だったのだが、クレアは侍女長に直談判した。
「姫としての品位を保つには専属の侍女の一人ぐらいは必要なはずです。それは姫様がより良い縁談を得るためにも必要なことでは?」
その頃のリリーはようやく見習いでなくなったばかりの駆け出しの侍女。本来そんな新人が侍女長に直談判など許されるはずもないが、新人であれば、リリー姫につけておくにはちょうど良いと思われたのか、クレアの直訴は受け入れられ、リリー姫の唯一の侍女として残ることが許されたのだった。
ただ大変だったのはそれからだった。いくら使用人としてあエリートの道を歩いてきたとはいえ、クレアはまだ駆け出し。さらに魔力の弱い姫が存在することを許せない人々による嫌がらせも多かった。リリーを貶めるために嘘の予定を教えられることなど日常茶飯事だったのだ。
しかしそれでもクレアは賢明に主人に仕えたし、またリリー姫も通常の姫としてはありえない境遇にめげることもなく、不便なことも笑って流してくれた。
そしてまた、彼女は向上心も強かった。魔力は生まれ持ったものだから、と諦められ魔法の教師も引き上げられた中で、リリー姫とクレアは2人で弱い魔力を活かす方法を探った。そんな中でリリー姫が度々、お忍びをするようになったのは予想外だったが、それが今回の結婚に結びついた、というのだから世の中何が幸いするか分からない。
どんな国に嫁がされるか分からないが政略結婚の駒にされるのは決定事項。恋愛の余地などない、と言う状況で豊かな隣国に嫁げたのはリリー姫にとってはまさに幸運だった。これはまさに初恋を忘れず、ベルン大公と果敢に渡り合ったロビン王子に感謝しかない、とクレアは思う。
そうして、このトレシア王国に嫁いで来たリリー姫は目に見えて幸せそうだ。何より諦めを通り越して、夢に描きすらしていなかった愛し愛される結婚生活を送ることが出来ている。主人の幸せはクレアの幸せと同義。改めてこの国に来れて良かった。
そんなことを考えているといつの間にか結構な距離を歩いていたらしい。もう目の前は王太子の執務室だった。
もう何度も来ているここではクレアの顔も覚えられている。王太子妃のお使いだ、と伝えるとすぐに中に通され、対応してくれた文官に手紙を渡せばお使いは完了だ。
執務室を出たクレアは、使用人用の食堂へ行ってお茶でもいただこう、と思いまた歩き出す。すると後ろから声がかかり、クレアは立ち止まって振り返った。
やや急ぎ足でクレアを追いかけてきたのはリリー付きの侍女の一人ブラニカ。ややお行儀の悪い時もあるが、明るくて、またよく気のつく優秀な侍女だ。彼女もまたどこかへお使いに出ていたのだろう。その帰りにクレアの姿を認めて声をかけてくれたらしい。
「クレアはこれから姫様のもとに戻るの?それともこのまま休憩?もし休憩なら一緒にお茶でもしない?」
「このまま休憩で良いと言われているわ。ちょうど私もお茶でも飲もうと思っていたの。食堂で良いかしら」
「ええ、もちろん」
愛嬌のある笑みで答えたブラニカはクレアの横に並び歩く速度を緩める。食堂へ向う2人の話題は間近に迫った聖誕際についてだった。
「クレアは精霊祭のパーティーには出るの?」
「パーティー?」
「えぇ、そうよ。精霊祭は家族で過ごすものだけど、特に実家が遠い使用人はそうそう帰れないじゃない?そんな使用人達が集まってパーティーをするのが毎年恒例なの。毎年主人、妃殿下や王女殿下が差し入れも下さるのよ」
「そうなの、もちろん私も精霊祭は帰らないし、ぜひ参加したいわ」
「分かったわ。じゃあ姫様が下がって良い、と言ってくださったら一緒に向かいましょう」
ベルンにいた頃は侍女が自分ひとりだったから、主人とふたりきりの精霊祭を過ごしていたが、今年は随分と賑やかになりそうだ。もちろん主人もまた新しい家族と賑やかな精霊祭を迎えることができるだろう。ロビン王子が色々と計画しているらしいことは使用人仲間から聞いていた。
トレシア王国へ来て半年以上、クレアもまたベルンで得ることの出来なかった幸せな日常を過ごせる噛みしめていた。
猫の王子と鼠の姫君(連載版) 五条葵 @gojoaoi
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