第5章 最高のハッピーエンド
前日、あの話を聞いた後なんとなくきまりが悪くなってすぐに帰ってしまった。そして翌朝、微かな頭痛とともに最近聞かなくなった機械音で目が覚める。どうやら日が昇ってからかなり時間がたっているようだった。音の発生源はあのトランシーバーだった。応答すると彼女は言った。
「やっと気付いた。最後はあそこの海がいいから準備して屋上来て。」
いつものように外に直接面している螺旋階段を上がって屋上を目指していると2階に差し掛かったあたりであの優しくて時の流れを忘れさせてくれる音色が微かに聞こえてきた。
屋上に着いても彼女は集中しているのか僕に気づかず歌っていた。僕は邪魔をしないように彼女が作り上げる世界観に浸った。その時の彼女の表情は、美しいのはもちろんではあるがそれ以上にしっかりと手を握っていないと今にも消えてしましそうなくらいの儚さを持ち合わせていた。歌い終えて少し間が空いてから彼女は僕に気づきいつも通りの表情を見せた。僕は何か会話をしたくて言葉を紡ぐ。
「今日来てる服初めて会った日と同じ服着てるね。」
「あれそうだっけ。なんか恥ずかしいや。」
そう言って間を埋めるように次の曲を歌いだす。何曲か歌っている間、僕は奏でられる一音すらどこにも逃がさないように受け止めた。その奏でられた音は確実にこの残酷すぎる世界の風景すらも優しく彩った。歌い終えた彼女が言う。
「じゃあ、行こうか。」
「昨日の曲は、歌わなくていいの?」
僕が聞くと、彼女は
「あの曲は特別な時にしか歌わないって決めてるから。忘れ物してない?」
僕は返事をして、2人で屋上を後にした。彼女は何も持たずに出発した。あれだけ肌身離さず持っていたギターも持たずに。建物の目の前に止めてある自転車を彼女がいるところまで運ぶ。そして、後ろに乗ったのを確認して海に向かった。その道中に彼女は言う。
「前海行った時星見るの忘れちゃってるんだよ私たち。夕日だけ見て帰っちゃうなんてドジだよね。たしか、落下予測時刻は夜だったはず。」
「それなら、星も見れそうだね。」
そこから、海まではほとんど会話もなく時間だけが過ぎていった。会話が途切れることは2人しかいないからよくあることだったけど、いつものそれとは少し違う気もした。でも、海を眺めながら砂浜までの一本道を行くこの時間は終わらない時間なのだと錯覚させられてしまうくらい夢か現実か曖昧なもののように感じられた。
砂浜の入口に自転車を止めて、ちょっとした坂を下ると砂浜に到着する。彼女はコンクリートと砂浜の境目で靴を脱ぎ裸足になって海に向かってまっすぐ歩きだした。僕は、誘われるようにその後ろを付いていく。以前訪れたときあれ程待ち遠しかった夕焼けはもう既に眼前に用意されていて、そこに存在して当たり前のもののような佇まいだった。そんな夕焼けに照らされている彼女から僕は目を離せずにいることに気づく。目のやり場に困って小さな足跡を目で追う。すると彼女は言う。
「もうちょっとで星見えそうだね。」
そんな会話をした数十分後に徐々にあたりが暗くなり始めて星が見え始めた。
「あの光のどこかに今まで何食わぬ顔で横で生活していた人たちがいるところも含まれているのかな。」
と聞かれたので
「そうだね。日が暮れてすぐなら、宇宙ステーションも見えるし時間がたてば火星も見えるはずだよ。」
どこかでうっすらと耳にしたような情報を話してみる。そんな会話をしているころには日は完全に落ちて満点の星空が顔をのぞかせていた。この世界には本当に、この星空と海、そして彼女と僕だけが存在していた。この場所が世界のどこよりも儚くきれいに存在しているとも思えた。
すると光を放ちながら星空の中を移動する物体が目に入る。その時、僕は咄嗟に彼女の手を握った。彼女は涙を流していた。僕は彼女が泣いていることにも気付けなくなっていることをようやく自覚する。そんな僕にこう言う。
「もっと普通に出会ってたらって考えたこともあるよ。でもさ、不器用な2人だからこんな世界じゃなきゃ、きっとうまく出会えてなかったんだろうなとも思うの。
だからね、これが私たちにとっての最高のハッピーエンドなんだよ。楽しすぎたよ。ありがとう。」
光る物体が水平線の向こうに落ちていく。するとあたりは夕焼けのように優しい光に照らされて、次の瞬間には自分の見ている景色全部が白い光で包まれた。
歌は星降る夜に カズき @kazu_space
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