十月と人と浮世にあってなし 〈弐〉

 せぬ……

 

 民宿の一室で畳の上に全身を投げ出し左頬を畳の目に押しつけながら今日の出来事を頭の中で整理する。するったってもう整理は終わってるのに納得してない自分がいてそのために反芻はんすうしてるといった方が正しい。



 女性が池に沈んだのを目撃した直後に出会った社務所のおじさんは彼女の父親を名乗り、あれがああいうことをするのはここではごく当たり前のことなので心配はいらないと落ち着いた様子で私に言った。


 納得できずに何度も119と110番をお願いし、電話が無理ならせめて池を見に行ってくださいとおじさんに頼んだけど、暖簾のれんに腕押しとはこのことだぜ! というしかない感じに大丈夫ですと繰り返され、そのうちに私の方が間違っているような気がしてきて、しばらく待っていることにした。


 私は社務所のなかに案内されてお茶とお菓子を頂き、さらにこの神社の由来を教えて頂いた。ここは稲辺いなべ旅人たびとが創建したもので、まつられている神様は稲辺旅人ではないという。


 おじさんの話を聞いていると、さっきの女性がひょっこり現れニコリと微笑みかけてきた。


「さきほどはすみませんでした」


 私はあわてておじさんにお礼を言うと外へ逃げるように飛び出し、三段飛ばしに石段をくだり民宿に駆け込んだ。どうしたんですと笑う女将さんに予約内容にない昼食をすすめられたので勢いでハイと答えてしまい、またあわててお金を支払おうとしたら女将さんにサービスなので代金はいらないと言われてしまった。


 うわの空での食事を終え部屋に案内してもらってすこし休んでから、女将さんに村の歴史に詳しい人がいらっしゃらないか聞いてみた。


「雑貨屋のじいちゃんが詳しくて話好きですよ」


 宿を出て100メートルほど歩いてその店に入り、まずは買い物をしてから店主のおじいさんに話をうかがった。


 おじいさんによると、飛鳥時代に稲辺旅人が役人としてこの村にきた頃には神社はなく、神様と仲良くなった彼が神様の家として建てたのだという。


「あんたは知っとるみたいだが、稲辺旅人の終焉の地がここというのは、さして根拠がないんだよ」


「あっさり言いますね」


「なんしろ出所がハッキリした複数の古文書に当人はここから日本海に面した土地へ鞍替えになって出て行ったことが確認できるからねえ。その先が今ではどこに当たるんかまでは諸説定まらずだが」


「それじゃ異説の元ネタっていうか、ここが最期の地という話はどこから出てきたんですか?」


「伝承だよ、伝承。この村で語り継がれてきたね」


「お時間よければ聞かせてもらえませんか」


「わしゃあ構わんよお。しかし姉ちゃんも変わっとるねえ」


 おじいさんが昔話調に語ってくれた異説はこうだ。


 稲辺旅人は役人としてこの一帯の仕事をするかたわら、仲良くなった神様のための神社づくりに精を出した。神社建設は朝廷から資金がでたわけではなく、稲辺個人と村の有志で作った、というか、デザインをした。語り継がれるところによると実際にほとんどの作業を行ったのは神様自身だった。この神様は怪力も技術もあったが、誰かに言われないと何をしていいのかわからなくてボーっとしてるのんきな神様で、だから歌人たちが鳥居や石段の形を教えて神社を作ったのだという。


 この村に伝わる異説によると、稲辺旅人は彼の新しい任地先が決まった矢先に運悪く病に倒れ、そのまま亡くなった。遺体は神様と村人たちによって丁重に埋葬されたが、その場所はわからない。


「ところであの神社の拝殿、本殿がなくて池があるのは災害でもあったんですか」


「いやあ、あれはな、わしのこまい頃からずっとよ。わしもガキの頃に気になってなあ、じいさまばさまにそれを聞いてみたんよ。そしたらずうっと昔からああだと言っとったよ。池のまわりの囲みは朽ちたりしたら変えとる。あれも別に深い意味はないじゃろうとは思うがにゃ」


「はあ」


「それで話が繋がっとるんかどうなんかついでに言うと、あそこの宮司さんはこの辺で一番古い家らしいんじゃがのう、あそこが稲辺旅人の子孫なんよ」


「はあ?」


「姉ちゃん、そんな干し柿みたいな顔にならんでもいいじゃろ。言い伝え、言い伝えよ。実際にそうなんて誰も思うとらんよ。ええ人達じゃがのう、こんな村ん中でもっとに浮世離れしとる人らじゃ。時々遠くから親戚がたずねてきとるよ」


「そうなんですねえ」


 家族が池に入っても当たり前とのんびりしている家族はうん、たしかに浮世から浮遊してる。


「したがな、あそこの家は婿さん嫁さんはしっかりとっておるからなあ。ああ見えてちゃんとされとる。村のもんは何百年も昔から宮司さん家に世話になっとるそうでよ。わしらから若いのはないんじゃが、じさまばさまはよう世話になった言うとったなあ」


「お金持ちなんですか?」


「ゼニでない。べつの恵みよ。あそこの人らが神様に祈ってくれると、作物がよう実ったり、雨が降ったり、イノシシみたいに食える獣が狩れたりしたそうでえ」




 左頬を畳から引きはがして起き上がり、部屋の窓を開ける。広がっているのは薄闇だ。十月に入った今はもう日が暮れるのが早い。真正面に神社のある山が見え、まだぎりぎり鳥居が確認できる。そういえばあの山だけ周囲の山林との間に田畑と道が入り込んでさえぎられているように見え、古墳を連想させる。あそこは神社であるだけでなく歌人の墓なのではという気がするけれど、こういう思いつきは誰でも浮かぶはずで、真偽はともかくそういう伝承が残っていないようなのは妙だった。


 ん?


 鳥居の少し上に白いものが見える。光っているのだろうか。さいしょは鳥居の上に乗っかってるのかと思ったけれど、どうもそうでなく石段をのぼっていっているようだ。それはゆっくりゆっくり山をのぼっていく。


 私はショルダーバッグの中身をスマホと懐中電灯と救急セットのみにしてから肩ひもをたすきがけにし部屋を出た。少し散歩してきますと女将さんに告げると、足元に気をつけてねえ、いってらっしゃいとのんびりした声が返ってきた。


 もう見えなくなってきた足元を懐中電灯で照らしながら早歩きで神社に向かう。私のほかには人も車も出歩いていないようだ。秋の虫たちが春の求めを大合唱している。


 仕事柄急ぎ過ぎず落ち着き過ぎずのペースで動くのはなれているし、極力動きやすい服装でいる癖がついているのはこういう観光探索にはもってこいだ。


 私が鳥居までたどり着くと、追っているものは見えなくなった。角度の問題かな。私ものぼれば追いつけると思い、戸惑いなく石段をあがっていく。あせらなくても速度は十分。落ち着いて。


 四十九段あがりきり、荒くなった呼吸を整えながら懐中電灯のあかりでまわりを調べる。何もない。まって、逆になさすぎる。ふもとまではしていた虫の声、まだ石段の下から聞こえてくるあのうるさいほどの鳴き声がこの辺からは一切していない。


 何もないというのに恐怖を煽られる。とにかく探して歩こう。社務所の方に行くのは気まずいので、逆の方向に池の周りの注連縄に沿って足を踏み外さないように歩き出した。静かだ。


 池をちょうど半周し、あがってきた石段のところが池向こうの真向かいにあたるところで小さなほこらを見つけた。ここまで歩いてきた境内と一緒でとても綺麗だ。掃除をこまめにおこなっているんだろう。病院とは違う意味ではあるけれど、ここの人の清潔への情熱を感じる。


 祠の台座部分に文字が刻まれている。読めない。私はまだ古文読み取りスキルがない歴史好きだから読めなくて当然、それでもわかるこの文字は……漢字でも仮名でもない。崩した仮名文字は読めなくてもそういうものなのはわかる。それはたとえばキリル文字、アラビア文字でもそう。図形として教科書かどこかで見ている記憶がある。でもここに刻まれているのはどれも見た事のない形をしている。極端で乱暴に刻んだような凸凹の乱れ、それでいて異常に細かい枝分かれのある……見ていると身体がぞわぞわしてくる。このままじゃ皮膚のすぐ下にムカデ・ヤスデが這っている錯覚にとらわれそうだ。


 耐えきれずに見るのをやめて懐中電灯をそらすと、照らされた場所には入り口にしめ縄をかけられた洞穴があった。




 なぜ私は洞穴の中を進む選択をしてしまったのか。危険を考える余裕がなくなっていた。あの刻まれた文字を見たせいだ。とっさに逃げ込むように洞穴に入ってしまったのだ。火に近づいて燃えてしまう羽虫の様な……いやどちらかというと、追い込み漁にかかった魚の様だ。どうにもならずに追い込まれる運命。


 なぜ?


 あれはおそらく文字、とは思うけれど、それだけのはずだ。それなのに私の脳はあそこから何らかの意味を感じ取った。漠然とした強烈な恐怖。


 我に返り立ち止まる。戻らないといけないと思い来た方を振り返る。


「こんばんは」


 キスだって簡単な超至近距離に昼間の女性が立っている。



 腰が抜けそうになりながら必死に走ってる内に懐中電灯を落としてしまった。地面とぶつかった衝撃のせいか明かりが消え、辺りは真っ暗に……ならなかった。うっす らとした明かりが私のところにも届く。光源は予想がつくけど見たくないのを歯を食いしばりながら光の方に顔を向ける。やっぱり、身体から柔らかい白い光を放ちながらあの女性が近づいてきている。


 ところが不思議なことに、彼女の姿を見ていると自分の恐怖が溶けていくのを感じた。


「ごめんなさいね。昼も夜も、合わせて二回も驚かせてしまいまして」


 彼女はしゃがみこむと事も無げに転がっていた私の懐中電灯を見つけて手に取り、渡してくれた。お礼を言おうとしたけれど、動転が収まりきっていないせいか言葉が出てこない。


「いえいえお礼なんて」


 私の心を読み取ったように軽く首を振った彼女は昼間と同じワンピースを着ている。その古めかしさが洞穴には似合っている。


「お帰りでしたらわたくしが外までご案内いたしますけれど」


 澄んだソプラノの声は世の中にすれてない印象を受ける。不思議な人。でも、不気味な感じは全くしない。ようやく口から発声できるようになった私の答えは自分でも気持ち半々のものだった。


「お邪魔でなければご一緒させてくれませんか」



 女性の後をついて無言で歩いている内に、行き止まりにたどりついた。


「少しお待ちを」


 女性はそう言うと突き当りの岩壁に両手をあてた。途端に岩壁が重い音を立てながら上に上がっていく。隠し扉……まるでダンジョンRPGのそれだ。


「お待たせしました。進みましょう」


 女性と私とが扉を抜けると、再び重い音がした。振り返ると扉が元のように閉まっている。完全に元に戻ったそれは、周囲の岩々と見分けはつかない。


「ここからは勾配こうばいがきつくなります。足元に気を付けて下さいね」


 注意を促されて辺りを見回すと、壁中が緑色の蛍光灯のように光っていた。靴底の感触がさっきまでと変っている。どうやら苔か何かが生えているようだ。できれば壁に手をつきたくない。私はたずねた。


「あとどのくらいでしょうか」


「そうですね。立ち止まらなければあなた方の時間で二十分間ほどで着きます」


 意外とかかるんだ。私は心が折れないようにただ歩みを進めることだけに集中した。さいわい前を歩く彼女の身体と壁の苔は光源として充分で、注意を払い続ける限りはこのまま転ばずにすみそうだった。


 突然、洞穴は通路めいた狭さから大空洞へと姿を変えた。天井の高さと空間の広さとが苔のハンドライトめいた明るさと合体し、推しのライブ会場を想起させる。まだ生きていなければ。また行くんだ。


「着きました。大丈夫ですか?」


 女性が落ち着いた口調で問うてきたので、


「はい」


 私も落ち着いた声で答えた。実際、なぜなのか今は眼の前に広がる光景を当たり前と感じ、恐れはなかった。


 少し離れたところに女性と同じ白く柔らかい光を放っている大きな光源があるのが目に飛び込んできた。


「あれは?」


「わたくしの目的の場所です」


 なるほど納得、一緒に近づいていく。大きな光源は私たちが歩いている地面より一メートルほど高い所にあるようだ。まるでせりあがった舞台みたいだ。近づくごとに光の中にあるものの姿がはっきりと見えてきた。


 大型トラック一台分くらいの大きさのそれはしかし、なめらかな脈動をおこなっている。機械の類ではなく生物のようだ。手を伸ばせば触れる距離まで寄ったところで女性が両手を広げていった。


「近づくのはここまでにしてください」


「あ、はい」


 私は素直に従った。恐怖からではなく、礼儀として。女性と同じ光を放っているこの巨大な生物には敬意を払わなくてはいけないという気持ちが強くわいてきていたから。


 女性は私に、ずっと歩いてこられて疲れたでしょう坐って下さいと、かたわらの隆起した岩を指し示した。その岩は椅子代わりに座るのにちょうどよい平べったさ、しかも苔は全く生えていなかったので、私は安堵して座らせてもらった。彼女の方はというと、巨大生物が乗っている台座——これも苔がはえていないのに気づいた——に背中を預けるようにして立ってこちらを向いている。


「あの、あなたも座った方が良くありませんか」


「わたくしは大丈夫です。身体に関してはあなたがたよりだいぶん丈夫なつくりをしておりますので」


「そうですか」


 彼女の言う通りなのだろう。視線を台座上に乗っかっっている巨大生物にうつして観察する。


 全体としては皿の上にひっくり返した市販のカップゼリーみたいな半円形をしていて、にょろにょろした触手のようなものが色んなところから出たり引っ込んだりしている。にょろにょろはカタツムリの目によく似ていて、あれよりはるかに多い。色は本体 (?) も触手もグラデーション状の半透明の桃色がパノラマ上に展開しているような立体感をもって展開しており、透けている内部は、土管のような太い筒状のものが何本も海中に漂う藻のようにゆらゆら呑気に揺れており、その中を人の形をしたものが流れていっている。人体模型の骨格標本みたいな骨だけのもあれば、マネキンのように肉つきの全裸のものもある。


 湯船の栓を抜いた時のような濁音がしたかと思うと、生物の上部から声が聞こえてきた。


「なにゆえにこられたのですか?」


 問い詰めようという鋭さのない穏やかなその声と姿は紛れもなく昼間お会いした宮司のおじさんだった。衣服をつけていない上半身を生物の上部から、まるで潜水艦のハッチから出てくる途中みたいにのぞかせてこちらを見ている。


 たしかに私は何故ここまできたのだろうか。冒険心に駆られてという程ではなく、死にたかったわけでもない。理由はぼんやりとしている。しかし、引っ掛かりがあったからここまできた。それは間違いない。まずは一番はっきりしてる理由を口に出した。


「光に惹かれたからです。落ち着く光に」


 そしてもう一つ。


「歌人の最期を知りたくなったからです」


 私の返答を聞いた女性、おじさん、巨大生物、全てが連動してうなづいたと感じられた。三者を代表するように女性が言った。


「あの人のことでしたらお話できます。どうぞお好きなだけおたずね下さい」


「ありがとうございます」


「いえいえこちらこそ。ここまで来て下さる方はほとんどおりませんのでうれしゅうございます」


 彼女の微笑みは心の底からうれしそうに見える。私は意を決してたずねた。


「歌人は、稲辺旅人はこの地で亡くなったのでしょうか」


(つづく)

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より良い悪夢 古地行生 @Yukio_Fulci

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