第1話 鳥羽差市の山中にて
「――え、ねえ、“イザホ”ってば」
耳元がくすぐられるような声で、ワタシは眠りから覚めた。
「ああ、やっと起きた。イザホが寝ちゃっている間に、もう
ドライバーのいない自動運転の車の中、運転席にワタシは腰掛けていた。
さっき、変な光景を見たからかな? 意識が霧にかかったようにぼんやりしている。
バックミラーに映る鏡には、少女の目元が映っている。
口を隠すお気に入りのデニムマスクに、肩まで伸びたストレートロング。その前髪は、右目を隠す。見えている左目の眼球の中には、目の形をかたどった紋章が青色に光っていた。
……あ、これワタシだ。マスクで隠れているけど、思わず口を開けちゃった。声なんて出ないのに。
目の前のダッシュボードには、ハンドルの模様をした紋章が青色に光っている。普通の車ならばあるべきハンドルの代わりを勤めているように。
横の助手席にいたのは、背もたれにもたれた白ウサギ。ぬいぐるみのように見えるけど、本物のウサギ。小さなタキシードを着て、頭にシルクハットを乗せている。
ワタシの顔を見つめるその目の中には、目をかたどった形の青色の紋章がゆっくりとしたリズムで点灯している。そして首元の一部が、緑色に発光していた。
「……その顔、まだ寝ぼけているね。だってボクと初めてあった時と同じ、不思議そうな顔をしているんだもん」
首元の緑色が青色に変わり、その場所から声が聞こえてきた。
感覚的には、スピーカーから声が出ているみたい。かわいらしい子供の声帯が、そのまま移植されたかのようだ。
……なんだか、意識が少しだけ鮮明になってきた。
そうだ、この子の名前は“マウ”。ワタシの大切なお友達。
年はまだ2歳なのに、箱入り娘だったワタシとは違ってすごい物知り。
ウサギなのに二足歩行で歩いたり、しゃべったりする理由も、初めて会った時に教えてくれた。
マウの体には、刻印を刻まれたような跡……“紋章”がいくつか埋め込まれている。知能を高める紋章、声を出す紋章、視力を上げる紋章……
その紋章には、魔力が込められているらしい。
紋章を体に埋め込んでいるのは、ほとんどの人に当てはまるってマウは言っていた。ワタシも紋章を埋め込んでいるし、ワタシたちを育ててくれたお母さまも埋め込んでいたっけ。
……意識がより鮮明になった。そういえば、もう鳥羽差市には入ったのかな?
鳥羽差市は、ワタシたちが初めてふたり暮らしをする引っ越し先。マウとふたりで、鳥羽差市に入ったことを示す看板を見て喜びを分かち合わないと……
「ねえ、わくわくしているような顔をしているところ、ごめんだけど……さっきから鳥羽差市に入ったって言ってるよ」
……本当?
看板を探して後部座席の方向を見ても、暗闇が広がっていただけだった。
その時、体が大きく揺れた。
すぐに体が左右に揺れ出したかと思うと、車は徐々にスピードを落とし、止まった。
「まさかあんなところでパンクするなんて……愛するふたりの新生活の、最初の思い出としては悪くないけど」
ワタシたちは、森の中を道なりに歩いていた。
お母さまから借りた自動運転の車は、もう動かない。
仕方がないから、ワタシたちは近くにあった看板を頼りに、喫茶店に向かっている。
マウのおなかが、小さな音を鳴らしていたからね。
やがて、明かりのある一軒の建物が見えてきた。
それはまるで、小さなコテージ。
側に立っている“喫茶店セイラム”の看板とその上に立っている木彫りのフクロウが、あの建物の正体を親切に教えてくれていた。
「こんな時間にも営業しているんだね……お客さんも来ているみたいだし」
マウの言うとおり、ワタシたちの前には街頭に照らされるように人影が立っていた。
でも、あれは本当にお客さんかな?
ずっとその場に立っていて、歩きだそうともしない。どんな姿をしているかも、黒い影しか見えないけど……
!! 「!!」
目の前の人影がこっちに振り向いた!
その人影は黒いローブで全身を包んでおり、顔も見えない。
じっとこちらをにらむと、人影は横の茂みの中に消えていった。
「……ああ、びっくりした。なんだか、本能的に肉食獣ににらまれたような気がしたよ」
さっきまでを見開いていたマウは、ホッと胸をなで下ろした。
気を取り直して、喫茶店セイラムの中に入ろっか。
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