第2話 喫茶店セイラム
カランカラーンと、心地よい鈴の音が響き渡った。
喫茶店セイラムの店内はオレンジ色の明かりに照らされていて、中にいるだけでさっきまでの胸のモヤモヤが一気に晴れたような気分になる。
「……いらっしゃい」
カウンターの奥で左手をじっと見つめていた男性が顔を上げ、声をかけてきた。
その男性はソフトモヒカンの髪形だけど、メガネをかけていることよりもおでこが広いのが印象的。服は無地の白色Tシャツの上に黒色のジャケットを羽織っていて、カジュアルだけど清潔的みたい。
ここの店長さんかな?
マウがワタシの前に出てくれた。
「ねえ、ここって今やってる?」
「ああ、ここは午前10時に開店し、午後5時きっちりに閉店する。ゆっくりしていってくれ」
マウは、ゆっくりと鼻を動かしながら不思議そうに店長さんを見つめる。
「……今、20時だよ?」
店長さんは驚いたように目をごまにして、近くに置かれている柱時計に目を向けた。
「い、いつのまに……」
「いつのまにって、さすがに窓の外を見れば気づくと思うんだけど……」
マウは後ろの真っ暗な窓ガラスに指をさす。
店長さんは面食らったように広いおでこに手を当てていたけど、すぐに気を取り直したようにうなずいた。
「まあ、問題はない。あんたたちが食事を終えたころ……それが今日の閉店時間としよう」
メニュー表をマウと一緒に眺めて、マウが店長さんに注文してくれた。
待っている間、大きな左腕に埋め込んだ“スマホの紋章”を操作して、お母さまの親戚の“フジマル”さんに迎えに来てもらうように連絡した。車、パンクしちゃったからね。
スマホの紋章は、さまざまなアプリが入ったモニターを呼び出す紋章だ。
そのころ、イイにおいがしてきた。
外食は初めての経験だった。
だから、お母さま以外の人が作ったカレーライスを、スプーンでひとすくいすることにその味をしっかりと確かめた。
どうして似ているのに、こんなに違う食べ心地なんだろう……
お母さまのカレーライスと、店長さんのカレーライス……どっちが本物のカレーライスなんだろう……
「……10年前の事件、知っているか?」
!? 「あぐっ!?」
店長さんがワタシの顔をじっと見つめて、真面目な顔で聞いてきた……
「んっんっんく……急にどうしたの!?」
「あ……いや、なんでもない。ちょっと頭に思い浮かんだことを口走ってしまっただけだ」
店長さんは頭をかきながらごまかした。
でもさっき口に出した言葉は、聞いてしまったからには聞くべき言葉だ。
マウと顔を合わせて、一緒にうなずく。
大丈夫、聞きたいことは一緒だから。
「ねえ、10年前の事件……教えてよ」
「……」
店長さんは大きくため息をつくと、右手の手のひらを頭に置いた。
「……わかった。思い出してみよう」
……よかった。忘れたって言うと思ってた。
店長さんは、10年前の事件について話してくれた。
この喫茶店セイラムの近くでキャンプに参加した者のうち、5人が失踪した。
その翌日、キャンプ地の近くにそれぞれの死体のパーツを、小さな女の子が発見したという。
身元不明の、少女の首とともに。
警察の健闘も空しく、事件は迷宮入りした……
それから、この街に奇妙な都市伝説が広まった。
真夜中の森を歩くと、羊の頭を持った悪魔“バフォメット”に襲われる。
もしも捕まってしまうと、体の部位をひとつ切り落とされ、
裏側の世界に連れて行かれる……
「ねえ、どうして裏側の世界に連れて行かれるって話になるの」
「それはだな……」
マウの質問に、店長さんは再び右手を頭に当て、しばらく黙って……
目を見開き、口を開けた。
「すまん、忘れた」
…… 「……」
……イスから落ちそうになった。
さっきまで乗っていたカレーライスは、今はもう皿の上にはなかった。
最後に、食後のコーヒーを頼んでみよう。
「ねえ店長さん、コーヒーをふたつ……アイスで頼むよ」
マウが注文すると、店長さんはうなずいた……と思ったら、どこからか着信音のメロディが鳴った。
ワタシのスマホの紋章じゃないけど……
「あ、ああ……すまない、私のスマホの紋章だ」
店長さんは「戻ってきたらすぐに作る」と言い残して、スマホの紋章が埋め込まれた左手を耳に当てながら近くの扉に向かった。
誰かから電話がかかってきたのかな?
店長さんを待っている間、マウに「ねえイザホ」と声をかけられた。
「ボクたちの新生活の場所をここにして、やっぱり正解だったみたいだね」
マウの言葉に、うなずく。
ワタシたちがここに引っ越すことになったきっかけは、お母さまの余命宣告。
この世から立ち去る日がそう遠くないと知ったお母さまは、その後のワタシたちのことを心配していた。
だから、お母さまに心配をかけないように、ワタシたちはお母さまのお屋敷から離れて暮らすことにした。
その自立先を、この鳥羽差市に選んだ理由……
それは、10年前の事件が起きた街だから。
あの10年前の事件のことを少しでも知ることが、ワタシにとっての自立になるから……
コンコン
「ん?」
玄関の扉からノックの音が聞こえてきて、マウが振り返った。
ワタシも振り返ると、カラーンと短い鈴の音とともに扉が少しだけ開かれる。
その隙間から、折りたたんだ画用紙を持った左手が現れた。
「……」
左手はなにも言わず、手に持つ画用紙を強調するように上下に動かしている。
……あの手の動かし方、なんだか画用紙を見てほしいって言っているみたい……困っているかもしれない。
困った人がいたら、手を差し伸べて上げて……お母さまにそう言われている。
「イザホ、受け取ってみる?」
マウと顔を合わせて、うなずく。あの画用紙を手にしてみよう。
……
受け取った画用紙を広げてみると、そこには紋章が埋め込まれていた。
左に向いた羊の頭の形をしていて、
ワタシの左手のスマホの紋章のように、緑色に輝いていた……
!!
扉の先にいる人が、いきなりワタシの左腕をつかんだ。
「!! イザホに何するの!?」
マウが叫んだ直後、その人はワタシの左腕を画用紙ごと地面に向けて、たたきつけた。
画用紙に埋め込まれた紋章にワタシの左手が触れて、緑色から青色へと変わる。
!! 体が……右手からゆっくりと……
紋章に吸い込まれていく!!
「イザホッ!!」
マウがワタシの右足にしがみついた感触がした瞬間、
目の前が真っ白になった。
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