4 夫婦喧嘩partII

 碧霧が阿の国へと帰り、客人は美玲と鷹也の二人となった。ひとまず、小袖姿の美玲に着替えてもらうことにする。

 背丈やウエストサイズはさして変わらないが、美玲は紫月より胸回りが大きい。彼女は、それを「太って見える」と気にしていて、人の国ではゆったりしたデザインのトップスを着ることが多い。


「うーん、どれがいいかな?」

「なんでもいいけど……このシャツを貸して。あと、そこのスキニーと」


 ちなみに働き者なので、動きやすさも美玲にとっては重要なポイントである。彼女はクローゼットに掛かっている厚手のモスグリーンのシャツと白いスキニーパンツを選ぶと、さっさと着替えてシャツの裾を前の部分だけウエストにインした。

 最後に長い髪の毛を後ろで一つに束ねれば、人の国の美玲スタイルの出来上がりだ。


「さあ、昼食と夕食は何にしようかしら?」

「もう? さっき朝食を食べたばかりじゃない」

「今から決めておかないと面倒なのよ。足りない食材は──買い出しって行けるのかしら? あと──、あの人間の男を追い出すわ」

「鷹也のこと? 駄目よ。せめて百日紅さるすべり先生が戻ってくるまでいてもらわないと」

「じゃあ、そこまでよ」


 美玲がしぶしぶ了承する。紫月は苦笑した。


「そんなに邪険にしなくてもいいじゃない。彼、私たちを助けてくれたのよ」

「無駄に距離が近いのよ。だいたい、人間とは言え男と二人きりなんて──」

「美玲もいるし、母さんやヘイさんもいるじゃない」

「そういう問題じゃないの。まあ、そこが紫月の良いところでもあるのだけど、見ていてヒヤヒヤするわ」


 しょうがないといった様子で肩をすくめられ、紫月は縮こまる。距離の近さで言えば、美玲もわりと許しているように思わない訳でもない。しかし、彼女の逆鱗げきりんに触れそうなので突っ込むのはやめた。

 すると、一階のリビングが騒がしくなり、紫月たちを呼ぶ鷹也の声がした。


「あら、猿師さまがいらっしゃったみたいよ」

「うん。行こう、美玲」


 紫月たちは、部屋を出てリビングへと降りていった。




 リビングには、猿師だけでなく紫月を助けてくれた女宮司の姿もあった。いつの間にか、与平も部屋から出てきてソファーに座っている。どうやら総出で与平をリビングに移したらしい。

 与平の前にひざまずき、猿師が彼の足の状態を確認しながら話しかける。


「傷口はほぼふさがりつつあるな。もう心配はないだろう。しかし、移動の度にこれでは大変だから、当面は車椅子が必要だな。あと、義足を用意する」

「義足か、」

「ああ。人の国の義足は人間の知恵の塊のような代物だ。その知恵をもって、東の鍛冶に作らせよう。細かい要望は、あらためて聞く」

「助かる。足を失うと左右のバランスが悪くてな。どうにも動きづらい。それで、現場の後始末は?」

「……伯子がいないのが残念だ」


 言って猿師がリモコンを手に取って、リビングのテレビをつけた。ちょうどニュースがやっていて、昨夜、長柄たちと戦ったビルの爆発事件がトップ記事になっていた。


「誤魔化すのに、どれほど苦労したと思っている? さすがに儂らだけでは無理だったぞ。人目のある街中で暴れるとどうなるか、あの若造にはきっちり教え直す必要がある」


 苦虫を噛み潰したような顔をしつつ猿師が吐き捨てた。テレビの画面には、ビルの屋上から一階までの床が全て抜け落ちている映像が流れている。

 あーあ、これでまた絞られるな。

 碧霧の自業自得とは言え、気の毒に思ってしまう阿の国の面々だった。

 すると、与平の隣で寄り添っていた深芳が、再び与平の義足について話を戻した。


「弟子殿、ヘイさんは義足を使えば歩けるようになるかしら?」

「もちろんです。ご心配には及びません」

「そう」


 深芳がほっと息をつく。不安は尽きないが、ひとまず見通したついたことで安心したようだった。

 鷹也が両手を頭の後ろで組んで大きく伸びをしながら言う。


「おじさんの戦うところは見たことないけど、鬼斬まとめて相手にしたくらい強いのなら、訓練すればすぐに戦えるようにもなるんじゃない? ねえ、先生」

「そうだな」


 すると、今まで遠慮がちに遠巻きにやり取りを見ていた女宮司も、大きく頷いて同意した。


「大丈夫だろう。与平は強いぞ。安心して背中を任せられるからな」

「……あの、あなたは?」


 深芳が眉をひそめれば、女宮司はにこりと笑った。


「ああ、初めまして。旦那さんにはいつもお世話になってます。私は、御前みさき十四宮じゅうよんぐうの柚木美紀。よろしく」

「十四宮──。ミサキ14?」

「ああ、そう、それ!」

「……」


 深芳の顔からすっと笑みが消えた。彼女はじとりと与平を見る。仕事であることはさて置いて、やっぱり女だったじゃないかとその目は言っていた。

 深芳は、きっと鋭い視線を柚木美紀に向けた。


「昨日は、親子三人でデートをしていたの。そりゃ、ちょっと喧嘩はしたけれど……ちゃんと仲直りしたし、そのあと通りのカフェで美味しいモーニングを食べたんだから。私とヘイさんは、ラブラブなの」


 突然、深芳が与平の腕にしがみつき、彼との仲の良さをアピールし始める。その姿を見て、紫月はどっと汗が吹き出した。

 いやいや、誰もそんなこと聞いていないし、なんの対抗? こと与平のことになると、どうしてこうも余裕がなくなって、ポンコツになるのか知りたい。

 すると美紀は、当然ながら気分を害する様子もなく「ああ、あそこか」と軽い調子で頷いた。


「通りのカフェって言ったら、モーニングの種類がたくさんあるとこ? あそこ、ちょいちょい利用するんだよなあ、与平?」

「……え? ヘイさんは初めてじゃなくて?」

「いいや。奥さんは初めて?」


 愕然としながら深芳はわなわなと震える。隣の与平は、そわそわと体を動かし、完全に目が泳いでしまっている。

 ある意味、足を失う以上の事態かもしれない。

 夫婦喧嘩に巻き込まれるのは、もうこりごりである。紫月は、思わず叫んだ。


「ねえ美玲っ、買い物に行こう! ほら、しばらくいるなら私の服を貸しっぱなしって訳にはいかないし、ほらっ、昼食と夕食の買い出しも!」

「え? でも、買い出しって行けるの──?」

「いいからっ、今すぐ出るよ!!」


 紫月はぐいぐいと美玲を引っ張り部屋の外へと向かう。鷹也が無邪気に「俺も行く」とついてきた。

 よしっ、安全面もこれで問題ない。

 紫月たちはそれぞれ上着を羽織ると、不穏になり始めた空気を振り切り、町へと飛び出した。

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