8 私は騙されない

 碧霧は、明らかに動揺していた。まるで、浮気を告白されたような気分だ。彼は、理性を総動員して平静を保ちつつ、あらためて鷹也に尋ねた。


「紫月とシンクロって──?」

「ええと、最初に言っておくけど、わざとじゃないよ。ただ、紫月は同調し過ぎなんだ」


 鷹也が困った様子で頭を捻る。


「やたらめったら絡んできて、ちょっとどうかと思う。あれじゃあ感情が混濁しちゃって、自分の気持ちなのか誰か別の人の気持ちなのか分からなくなる」

「だから、言い方──!」


 紫月が顔を真っ赤にさせた。一方、鷹也は「そう思わない?」と碧霧を見る。ふいに同意を求められ、碧霧はにわかに答えられずに言葉を詰まらせた。


「碧霧さま、」


 すると、ごく冷静な美玲の声が会話を遮った。彼女は、ちらりと鷹也を見てから碧霧に言った。


「今日は何かとあって疲れたと思います。あらかたのことは久澄さんから聞きましたし、今後のことは明日にして、紫月と二人もうお休みになられては? 私も休ませてもらいたいと思います」

「ああ、うん」


 絶妙なタイミングで美玲が不穏になりかけた空気をすくい取る。しかも、「紫月と二人で消えろ」という命令付きだ。

 碧霧は美玲の言葉に甘えることにした。これ以上、冷静でいられる自信がない。


「じゃあそうするか、紫月」

「……うん。でも、美玲と鷹也の寝る部屋を準備しなきゃ」

「私たちはここで十分よ。ね、久澄さん?」


 やや強引に紫月に答えつつ、美玲が他人行儀な笑みを鷹也に向ける。鷹也は、「うん」と無邪気にうなずいた。


「俺は横になれればどこでも。あ、さっきの狛犬と一緒に寝たいな」

「だそうよ。紫月、吽助うんすけと毛布を貸してもらえるかしら」 

「そう? でも吽助は気難しいわよ」

「いいよ。狛犬は初めてじゃないし」


 鷹也が子供のように目をキラキラさせる。紫月が肩をすくめつつ吽助を呼ぶと、白い狛犬がリビングにのっそり現れた。


「ほら吽助、鷹也が仲良くなりたいんだって」


 吽助がガウッと唸り、後退する。警戒している証拠だ。


「気に入らなかったらガブリといくからね。私、毛布を取ってくるけどいい?」

「問題ないよ」


 鷹也は吽助の前にひざまずいた。




 その後、紫月が毛布を持ってきて、彼女は碧霧とともに自分の部屋へと消えた。鷹也は少しだけ手間取っただけで、美玲と二人になる頃には吽助を従えさせていた。

 美玲は感心しながら鷹也に言った。


「本当に手懐けたわね。みんな、それなりに時間がかかるのに。例外は碧霧さまぐらい」

「だとしたら、葵の実力だ。狛犬は、獰猛どうもうだけど賢い霊獣だもの。個体差はあるけど、信じるに足るかどうか、そして自分より上かどうか、それが分かれば懐いてくれる。葵は両方ともずば抜けてるって証拠だよ」

「ふうん」


 と言うことは、この短時間で吽助を手懐けた鷹也自身も相当なのだと美玲は思う。一方、鷹也は人懐こい笑みを美玲に向けた。


「それと鷹也でいいよ。俺も美玲でいい? 葵みたいに姓はない?」

七洞しちどうよ。七に洞、」

「七……。紫月は九洞くどだろ。ってことは、美玲の方が家柄は上?」

「違うわ、九洞の姓は特別なの。今の鬼伯を排出した姓で──って、あなたには関係ないでしょ」

「まあ、確かにそうだけど」


 言って鷹也は、美玲にソファを譲りつつ、自身は少し離れた床に吽助と一緒に横になった。口調は柔らかで強引さは露ほど感じないのに、ぐいぐいと距離を詰めてくる。これは、どういう仕掛けだと美玲は鷹也に眉をひそめた。


「あなた、人間なのに鬼とこんなに仲良くしていいの?」

「別に関係なくない? そもそも人間だけど、俺の一族って基本的に拒絶されてるから。そういう意味では、俺と普通に接してくれる美玲たちの方がどうなんだろう? 人間よりよっぽどお人好しだよ」

「……それ嫌味?」

「まさか」


 無邪気なその顔に、他意があるのかないのか。美玲は、ため息を漏らした。


「どちらにしろ、紫月と碧霧さまの間に波風立てないでくれる? 二人の関係、見て分かるでしょ」

「だからって、あからさまに会話を終了させなくてもよくない?」

「なんだ、気づいていたの」


 そもそも話を終了せざるをえなくなったのは、あなたの爆弾発言のせいじゃないか、という突っ込みは無意味そうなので止めておく。あれこれと無邪気なくせに、妙なところで聡い。一番面倒なタイプだ。


「二人が喧嘩をしないように調整するのが私の役目なの。邪魔しないでね」

「美玲って何者?」

「碧霧さまの秘書兼、紫月の教育係」

「すごい肩書き。だから美玲はお節介なのか。ていうか、阿の国では葵ってやっぱり皇族みたいな身分? 紫月はともかく、葵だけはみんな『さま付け』だよね」


 鷹也はあれこれと興味津々だ。本当に屈託がない。美玲は軽く鷹也をにらんだ。


「……北の領を統治する鬼伯の息子よ。そして紫月は、その碧霧さまの大切な方なの。だから、不用意に馴れ馴れしくしないで」

「別に馴れ馴れしくなんか──。ただ、今日は感謝してる。俺たち鬼斬は、いつだって闇の淵に立っていて、いつ誰が闇に落ちても不思議じゃない。紫月は、そんな俺を引っ張り上げてくれたから」

「……」


 まずいな、と美玲は思う。自覚はいまいちなさそうだが、この感情は看過できない。距離感もおかしいのだからなおさらだ。

 そもそも紫月は気づいているだろうか。自分が人間の異能者にほだされ始めていることを。いや、紫月だけじゃない。その実、警戒している碧霧もこの人間のペースに引き込まれている。


「あなた、と言われたことは?」

「何それ? 美玲は面白いこと言うね」


 さらさらの黒髪を揺らし、黒い瞳をきゅっと細める。その人懐っこく甘い表情は、女の子であればコロリといってしまいそうだ。

 早々に引き離したのは正解だった。それに、自分も気をつけないと。


「私は騙されないから」

「いきなり、何?」

「しらばっくれないで」


 具体的に答えることは避け、鷹也に釘だけ刺しておく。そして美玲は、もう話はおしまいとばかりに部屋の明かりを消すと、彼に背を向け目を閉じた。

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