3 乱れ入る(1)

 独特の抑揚のある旋律に乗せて紫月は言葉を紡ぐ。不思議な色をまとった歌声が、空に大地に降り注ぎ、街は清廉な空気に包まれた。

 そんな中、不穏な気配をまとった影が一つ、二つとこちらに近づいてくる。間違いなく鬼斬たちだ。

 紫月は感覚を研ぎ澄ませた。鬼斬とは別に白い気を持つ者たちも複数いて、彼らは闇を包むように鬼斬たちの外側から距離を詰めてくる。

 きっとこれが、御前みさき衆と呼ばれる宮司たち。


 自分を中心に三者の距離がぐんぐんと縮まる。このスピードが人間たちの動きなのかと思ってしまう。鷹也は気配を消して動かないままだ。

 あともう少し。5……、4……、3……、2──。


「紫月、結界を結んで」


 ゆっくりと息を一つ吐き、鷹也が呼吸を整えた。紫月は歌うのをやめて、上下左右に小さな鬼火の玉を展開し、さっきよりも強固な結界を結ぶ。

 その刹那、紫月たちの元に三人の人間が降り立った。現代の人の国では珍しい袴姿の彼らは、紫月の姿を認めると、すぐさま彼女を守るように取り囲んだ。

 猿師の言っていた御前みさき衆だ。


「鬼姫さんてのは、あんただな。待たせた、久澄くすみ!!」


 その内の一人、紫月の前に立った女宮司が声を上げ、三人は一斉に矢をつがえる仕草をする。刹那、彼らの手に光る矢──破魔矢が現れた。


「ていっ!!」


 かけ声とともに三つの方向に放たれる白光の矢。闇夜を切り裂いて進むそれぞれの矢は、一つは建物の屋根、一つは電柱の先、最後はビルの側面で大きくはぜた。


「正面に一、左が二、右が一! 来たよ、久澄!」

「うん、出る」


 戦いに望む人間とは思えないほど柔らかな声で言って、鷹也がどんっと飛び出した。

 前方から破魔矢の攻撃をかいくぐり、濃紺チェックのミニスカートをなびかせた女子高生が漆黒の刃を振り上げて突っ込んで来る。


「久澄ぃ! この──、一族の回し者!!」


 彼女は口汚く呼び捨てながら屋上に降り立ち、勢いそのままに刃を容赦なく振り落とす。すかさず鷹也がそれを受け止め、がきっという鈍い音が響いた。


「もう、終わりだよ」


 鷹也の柔らかな口調は変わらない。そして彼は、少女を後方へと弾き飛ばした。その先は、屋上の端でもう後がない。少女がなんとか寸でで踏みとどまったところへ、今度は御前衆の破魔矢の一つが容赦なく突き刺さり爆発した。


 少女が屋上のへりを踏み外し、バランスを崩して落ちそうになる。鷹也はその隙を見逃しはしなかった。

 彼は一気に少女の懐にまで入ると、そのまま流れるような動きで鋭い一閃を繰り出した。少女の「ぎゃっ」という叫び声とともに、血しぶきが宙に散った。

 ぐらりと少女の体が傾く。そしてそれは、糸の切れた人形のように屋上のへりから闇夜へと落ち──、そのまま彼女は空中で塵となって霧散した。


「あ──」


 紫月は、思わず声を上げた。

 存在そのものが消える。土に還ることさえ許されない。

 なんて、あっけない。

 例えば、誰かが死んだとして、そのしかばねは土へと還る。しかし、塵と消えた命は、いったいどこへ行くのだろう? その残酷な終わり方と鷹也もやはり鬼斬であるということに、紫月はぞくりと体が震えた。


 御前衆の破魔矢を放つ手は緩まない。彼らは他にも潜んでいるらしく、地上からも破魔矢が飛んでくる。ケモノたちは破魔矢に阻まれ、与平の時のように集団での攻撃ができない。

 しかも、御前衆は全員を同じように抑え込んでいない。一人だけはわざと破魔矢の包囲網をかいくぐれるよう誘導している。

 今度は、グレーのパンツに紺のカーディガンという地味な容貌の女がその誘いに乗って隣の建物から鷹也の前に躍り出た。


「ちくしょうっ、よくも仲間を──!!」

「言ったじゃない。もう終わりだって」


 鷹也は動じることなく地味女と刃を交える。死に物狂いで斬りつけてくる彼女の刃を鷹也は難なくかわしていく。実力差は歴然だった。

 なるほど、猿師が「保証する」と言っただけはある。そこへ御前衆が援護に入り、形勢は一気に逆転していた。


「よしっ、一里四方に奴等を閉じ込める。逃亡なんかさせない」


 女宮司が空に向かって破魔矢を打ち上げた。それに呼応するかのように、ちょうど紫月たちのいるビルを中心として、東西南北の一里ほど離れた地上から白光の矢が上がる。

 複数の術者による広範囲の結界だ。六洞衆の四番隊も似たようなことをしていた。

 

(これで完全に閉じ込められた……)


 この結界を解くには要の術者─つまり、紫月の前に立つ女宮司をなんとかするのが一番だ。とすれば、ケモノたちはやはりこちらを攻撃するしかなく、鷹也と戦うことになる。


 悪夢のような夜がやっと終わる。


 なのに、心の奥に不安がずっとくすぶっている。あの男──、長柄の気配がどこにもない。

 一人だけ逃げるわけがない。きっとこの状況をどこかで見ているはずだ。


 その時、


「素晴らしい。まさに天女の歌声だ」

「──!」


 突然降りかかった無機質な声。

 はっとして振り返る。と、紫月の左右背後に立っていたはずの宮司の姿がない。

 代わりに、灰色のタートルに黒のジャケットとパンツに身を包んだ男が涼しげな顔で立っていた。

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