4 乱れ入る(2)
紫月がとっさに女宮司を自身の結界内に引き入れたのと、黒い刃が彼女の横をかすめたのとが同時だった。
男が残念そうに顔をしかめる。その顔は、虫さえ殺しそうにない優しげなもの。しかし、瞳はぞわりとするほど冷たい。
そんな、いつの間に──。
彼の足元で、風に吹かれて塵が舞う。さっきまでいたはずの宮司が二人消えたのだ。それが何を意味するか、確認するまでもない。
「長柄……」
「俺の名前を覚えてくれたのか? 光栄だな。だとしても、呼び捨てはいただけない」
感情の読めない単調な口調で長柄が言った。「光栄だ」とも「いただけない」とも思っていないと紫月は感じた。
刹那、
「長柄さん!」
地味女と交戦中だった鷹也が、乱暴に相手を押しやり身をひるがえす。感情をあらわにした声は、そのまま鷹也の長柄に対する思いを感じさせた。
一方、長柄は特に取り乱す様子もなく
「頼む、もう終わりにして」
「終わり? これは始まりだ、鷹也」
長柄は地味女に下がっていろと手で合図をしつつ鷹也に答えた。破魔矢の攻撃が止んだことで、残りのモッズコートの男とスーツ姿の男も屋上に姿を現した。が、長柄の指示なしに動く気配はない。
長柄が片手を差し出し鷹也に語りかける。
「こっちに来い、鷹也。おまえなら分かるだろう?」
「分からないよ。だって、なんで──、力に飲まれるなと言っていたのは長柄さんじゃないか」
鷹也が絶望的な様子で首を左右に振った。あんなに迷いのなかった鷹也の切っ先が、微かに震えているのが分かる。
鷹也の言葉は何一つ長柄に届いていない。でも彼は、諦めきれないでいる。
紫月は見ていられなくなって、思わず声を上げた。
「鷹也はあなたを止めるために来たのよ。そっちになんか行かないわ」
鷹也が決して口に出すことのできないであろう決別の言葉を口にする。長柄は、ほんの一瞬だけ不快げに顔をしかめたが、すぐに気を取り直し紫月に言った。
「俺たち鬼斬に殺された者たちの死は、どこに行くと思う?」
「え?」
「何度も見ただろう? 塵となって消えていくのを」
「いきなり何を──」
戸惑う紫月の前で、長柄は人差し指で自身の胸を指す。そして口の端にかすかな笑みを浮かべた。
「死の行き先は、ここだ。俺たちの糧となる。鬼喰は、しがらみを断ち切る刀。世のしがらみから断ち切られ、器を失った魂は、斬った者に取り込まれ力となる。なんとも言えない感覚だ」
すっと細められた目が紫月を捉える。長柄の言葉は、まるで呪文のように心の中に入り込んでくる。
「分かるか? 俺が強いのは、それだけ俺が多くの命を奪ってきた証しだ。それは鷹也も変わらない。つまり、こいつの強さは、そのまま奪った命の数だ。こいつが淡々と戦い続けるのは、そうでもしないと平常でいられないからだ」
そして長柄は、「さあ」と、再び手を鷹也に向かって差し出した。
「鷹也、これからも俺が導いてやる。力に飲まれるんじゃない。ありのままの自分でいろと言っているんだ。どうせ忌み嫌われている一族だ。世界を敵に回したところで何も困ることはない」
「久澄、こいつの言葉に耳を貸すな! 惑わされるんじゃない」
女宮司が、力強い口調で会話を断ち切る。彼女は紫月の肩越しに長柄をにらみながら鷹也に声をかけた。
「誰だって業を背負って生きている。堪えきれなくなった人間の屁理屈に付き合う必要はない。忘れるな、おまえはそれを止めるために来たんだ」
鷹也は切っ先を長柄に向けたまま、しかし、動かない。
きっと鷹也は、「長柄を説得できる」と、どこかで思っていたのだろう。しかし、投げかけた言葉は届くことなく、望みは完全に断ち切られた。
鷹也の背中を見ているだけで、紫月は押し潰されそうなほど胸が苦しくなる。これは、たぶん鷹也の気持ち。
(また──、同調している?)
さっき
それならと、紫月はあえて乱れた彼の気にそっと寄り添う。ひんやりとした深く暗い水底のような彼の気は、もともと乱れる要素がない。意に反してできてしまった不穏な渦。それを優しく包み込み、必死でなだめると、再び静かな闇が訪れた。
「鷹也、自分を見失わないで。あなたは力の渦に飲み込まれたりなんかしない」
彼の背中に向かって声をかける。ややして、鷹也の心の揺れが収まった。同時に、彼の気持ちが力強く固まっていくのが分かった。
「紫月、ありがとう。助かった」
視線は長柄に向けたまま、鷹也はようやく口を開く。そして深く息を吐いて呼吸を整える。
その変化は長柄にも伝わったようだった。彼はほんのわずか、鼻にしわを寄せた。
「残念だよ、鷹也」
「本当に」
鷹也がうなずく。その声に、もう迷いはない。彼は刀を持つ手に力を入れた。長柄が、「そうか」と嘆息した。
「この状況で本気で俺たちを止められるとでも?」
「止めるよ。だって、俺にいろいろ教えてくれたの長柄さんじゃない」
しかしその時、
激しい閃光が空を切り裂いた。
けたたましい音とともに、
思わず空を見上げれば、大きなジンベイザメがゆったりとたなびいていて、その背に二つ鬼の青年が立っていた。
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