3)近づく二人

1 面倒なお誘い


 阿の国北の領浦ノ川柵──。西の領境を守る要塞は、今や周辺の村に住む者や商人たちも多く集まる伯子の活動拠点である。

 小高い丘に建てられた本舎は、碧霧の住居であり仕事の場でもあった。執務室である二十畳ほどの板間の奥には、碧霧が使う一枚板の机がしつらえられ、その両脇に左近ら側近の机が並ぶ。部屋の中ほどには、打ち合わせ用のソファーとテーブルもあり、今日は碧霧や守役の左近、六洞衆一番隊長の牟呂むろ、そして七洞家の美玲がそこに座っていた。


「それで美玲、御座所おわすところの様子は?」


 ソファーにもたれ掛かり、左近から受け取った織工房の売り上げの報告書に目を通しながら碧霧は向かいに座る美玲に尋ねた。彼女は、「月夜の里の近況を報告に来てほしい」と碧霧に急に呼び出されここにいる。

 いつもなら七洞家直属の御用使いである良見と多聞が交互に報告に来ており、美玲が出向くことは希である。こんな風に呼び出されることは、ほぼないと言っていい。


「……最近、人の国から使者が来ました。非公式の会談でしたけど、何もしない訳にはいかないので、御用方で簡単な宴席の準備をしました」

「人の国の……誰?」

「そこまでは──。でも、伯のこうした動きに三洞みとさまが珍しく嫌悪感を示されて。結局、伯に一蹴されましたが、あちこちで不満をこぼしているとのことです」

「保守気質の三洞みとらしいな」


 碧霧が「ふむ」と思案げに拳を口にあてる。阿の国に住むあやかしは、人の国の進んだ技術や文化を取り入れはするものの、人の国そのものに入っていこうとは考えない。そして、こうした考えは、わば不文律の掟のようなものとなって定着している。

 人間に対する本能的な恐れがそうさせると碧霧は思っている。事実、人の国ではあやかしは隠れながら生きていて、それはそのまま人間とあやかしの力関係を表している。

 あの一見ひ弱に見える種族を侮ってはならないと思うのは碧霧も同じだ。


五洞ごとうはどうだ?」

「表立っては何もありません。ただ……、伯がいないところで人の国の使者に嫌味を言っていたという報告がありました。五洞さまは、ご自身の地位を危ぶんでいられるようです」

「それも分かりやすい。……牟呂むろ、みなの不安をあおれるか?」


 しばし思案した後に碧霧が牟呂に話を投げると、彼は「もちろん」と即答した。


かくれに言って、噂でも流しましょう。いや、何か驚くような話題デマの方がいいですな」

「うん。そこは任す」


 言って碧霧は、自身の感情を隠すように視線を落とす。何か良からぬことを考えている時に見せる彼の仕草だ。

 しかし彼は、すぐにいつもの穏やかな顔になり、がらりと口調を変えて美玲に話しかけた。


「ところで美玲みれ、せっかく浦ノ川柵に来たんだし、」

「はい」

「今夜は暇?」

「は?」


 まるで逢引デートのお誘いのような言葉を伯子から唐突に投げられ、美玲はあからさまに嫌な顔をした。「せっかく来た」も何も、呼び出したのはそっちではないか。

 崩れた表情をなんとか元に戻しつつ、美玲は碧霧に尋ねた。


「あの……私たち、そういう仲じゃないですよね?」

「違うな」


 きっぱりあっさり否定され、ひとまず美玲はほっとする。ではどういう意味だろうと周囲に助けを求めたが、みなさっと目をそらして素知らぬ顔を決め込んでいる。唯一、ちょうどお茶を持ってきた加野が、やんわりと碧霧をたしなめてくれた。


「碧霧さま、そのような言い方は美玲さまに失礼です。伯子というお立場上、誤解を招くような言動はお控えくださいませ」


 柔らかい口調で、しかし、ぴしゃりと碧霧の失言を切って捨てる。美玲は心の中で加野に手を合わせて感謝した。

 碧霧はばつの悪い顔をしながら、コホンと咳払いを一つして、あらためて美玲に向き直る。


「ええと。紫月のところに、今夜一緒にどうかなあっと思って」

「今夜、一緒に、」


 誘っている場所が寵姫ちょうきの元なので、言い方はもう気にしないことにする。自分のことを完全にとして認識している証しと思えば、そんなものかもしれない。

 ただ、別に一緒に行きたい訳ではない。

 美玲は大きなため息を一つ吐いて、大げさに首を傾げた。


「どうして私が一緒に行かないといけないのです?」

「積もる話もあるだろ」

「碧霧さまが整備してくださった御化筋おばけすじのおかげで、人の国に私でも一人で行けるようになりました。なので、紫月には会いたい時に会いに行っております。お気遣いは無用です」

「そこをなんとか、」

「うっとうしいわね。喧嘩でもしたの?」


 いい加減やり取りがまどろっこしくなって、美玲はため口で聞き返した。刹那、伯子がうっと言葉に詰まる。

 そんな彼をじとりと美玲はにらんだ。


「喧嘩の仲裁をするのは御免よ。そうやって誤魔化そうとするところが面倒臭いのよ。自分の寵姫ぐらい自分でなんとかしたら? でございます」


 最後は無理やり丁寧な言葉で締めくくる。この伯子は優しい顔のわりに図太いので、これぐらいはっきり言わないと効き目がない。その甲斐あって、碧霧が珍しく落ち込んだ様子を見せた。

 美玲の胸の内が、ちょっとすっきりする。しかし、彼女が周囲に目をやれば、左近をはじめ全員が「伯子の機嫌をなんとかしろ」という無言の圧をかけてきた。

 伯子の精神状態の良し悪しは、そのまま浦ノ川柵の施政に関わるからだ。今度は美玲がうっとなった。


(絶対にわざとだわ。わざと、みんなの前で私を誘ったわね!) 


 彼は自分が断れないことを十分に知っている。策士の碧霧らしいやり口だが、それがめちゃくちゃ腹立たしい。美玲は、不本意極まりない顔で碧霧に言った。


「しょうがないわね。本当に行くだけよ。間違っても仲裁なんてしないわよ」

「もちろん。じゃあ、残りの報告は行きながら聞こうかな」


 さっきまでの落ち込みはどこへやら、碧霧が満足そうに笑った。

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